7人目 似鳥陽子さん:株式会社タイガーリリィ

似鳥 陽子さん
会社名 株式会社タイガーリリィ
URL http://ameblo.jp/tiger-sweet-lily/
公開日 2010年01月15日

今回の旅は株式会社タイガーリリィの似鳥陽子さんです!
今日は素敵なお店を紹介して頂きありがとうございます。
こちらのお店は?

私がオープンの縁を繋いだ場所。
後ほど、こちらのお店の社長さんもご紹介します。
とても面白い方なので、インタビューしてみてくださいね。

有難うございます。
それでは早速、29歳から30歳のお話を。30歳になる誕生日は何をされていました?

30歳の誕生日になる時に、
「30歳になりたくない!」
と、暴れてました(笑)
日付が変わったら諦めの境地に達してましたけど。

パーティーとか飲み会をしてたんですか?

いえいえ、
そんな華々しくやりたくなかったので
ヒッソリと、普通に飲んでましたわ(笑)

当時のお仕事は?

そのときはフリーライターをしてました。
ライター業は今も続けていまして、マナー系のですとか、美容系、スピリチュアル系など、キラキラ系を書いていますが、20代の頃は、サブカル的な事とかアンダーグラウンド的なことが好きだったので、わりとそっち方面のお仕事が中心でした。
ちょうど29歳の時は、ビッグコミックスピリッツで相場師(専ら相場での利益で生活をする職業)のマンガが連載されていましてそのマンガの原作の監修をやっていました。
茅場町周辺にネタ探をしに行って、色んな人に会っていたりしましたわね。
あとは、インターネットのアンダーグラウンドですとか、風俗、水商売系のやわらかい取材とかもしてましたね。新潮や宝島、洋泉社、データハウス、白夜出版などでの仕事をよくやってましたわ。

男性が凄く興味を持つような分野をやられてたんですね?

そうそうそう(笑)中吊り的なね。

いつ頃からそういったお仕事を?

東京に上京して来てからなので、26歳からですね。
もともと札幌出身でして、ショールームレディやシステムエンジニアなんかしていましたわっ☆

え?システムエンジニア?意外です。

インターネットが走りの頃に、凄くハマッていたんです。
当時は常時接続とかが無い時代で、浅井君の世代は知らないと思うけど、夜だけ通話料が定額のテレホーダイに入ってました。
でも夜は回線が凄く遅いんですね。それで、昼にも繋ぎっぱなしにしてたら、電話代が何万円にもなってしまうようなくらいハマってたんです。
昔って、女子でインターネットにそうコッテリはまってる人ってあまりいなくて、コアな感じだったので、同じようにインターネットをやっていた東京の編集者が興味を持ってくれて、お友達になったり、いつも掲示板で文章をやり取りしていて、
「面白いから、ライターになったらいいんじゃない?」
とか言われて、それで東京に来たんですね。

システムエンジニアを辞められたのは?

もともと、私、全然理系じゃないので、超ストレスフルでしたの。
あるプロジェクトが終わった時、ふぅ。って気を抜いちゃったら、寝込んじゃって、一日、体が起き上がらなかったんですね。
次の日に病院に行ったら、数値的にも凄く悪い結果がでちゃって、
「この仕事向いてないから辞めよう……」と思いました。
それで辞めて、しばらくプラプラしていました。
働けないから証券会社に毎日出入りして、毎日株をやって、その利益で暮らしてたんですよ。
今では「デイトレーダー」というかっこいい呼び名がありますが、当時はデイトレードのことを「日計り(ひばかり)」といいましてね、かなりギャンブル的なイメージです。
といっても私は、

「株価は世界経済の反映だから、これはギャンブルじゃなくて知的投資ですわっ」

なんて、うそぶいていたのですが(笑)
昔だから、今みたいにオンライントレードじゃなく。
株価を見るために、毎日、証券会社に行くんですよ。まるで出勤してるみたいでした(笑)

家に引きこもったりはしなかったんですね?

そうですね。
外に出て行ってるニートみたいな感じですね(笑)
ただ、その頃の経験があるから、後の相場師のマンガの監修などにも活かせたんですね。
私、株はそううまくはないのですが、その裏話や、そういうところに出入りする人達のドラマ的な人間模様が好きだったんですね。
来ている人たちが、競艇場や競馬場にいる赤鉛筆を耳に挟んでたりするようなおじさんたちと一緒なんですよ。
その頃のスケジュールとしては、相場が朝9時になるから、そのまえに、証券会社に行ってカウンターの前に席をとって、短波を聞きながら株式新聞を読んでますよね。
日中はずっと相場の動きを見てる。
お昼はちゃんとランチをとりにいって(笑)、午後3時で相場は終わりますの。
そのあとは、ビジネスホテルのラウンジとかに集まって情報交換をするのですが、そういうところから産まれた人脈で、たとえば、証券会社の口座を通さないで株券を売買する「相対売買」や、単価の大きな株を共同出資して売買したり、口座の名義を売ったり、やっちゃいけないようなことをやってる人もいまして、リアルにそういう姿を見てきました。
その当時、女の子なんて普通いないから、凄く可愛がられましたよ(笑)

それが23,24歳位の時ですわね。
そのあとにインターネットにはまって、上京してライターにという流れかしら。

今、独立されてますが、もともと起業しようという思いとかはあったんですか?

全然無かったです。なりゆきですね。。
30歳くらいの時に中国系のメディア企業に入り、
そこで3年間くらい、中国のPR紙みたいなものの編集をやっていました。
中国人って、いきなり商売の鞍替えをしちゃうんですよ。
今やっていることが業績が悪かったり儲かりそうな商売があると、石油会社がアパレルに転換するなど珍しくありません。
それで、自分が編集していた雑誌の売れ行きが悪くなってきまして、月刊から2ヶ月に一回、季刊と……。
そんな、ある時、突然、完全フルコミッション制で広告営業という辞令が下りたんです。
そうなると、法人契約したほうがいいというアドバイスを周囲から受けて会社をつくったんです。

「起業」のきっかけがそんな感じですので、今でも私ビジョンがゆるゆるで、事業を大きくしたいとか、いっぱい従業員を増やしてとかそういう事業欲ってあまりないのですわよね。

でも、今、色んな事をされてるじゃないですか?

それも、なりゆきなのですわよ~(笑)

なりゆきとは言え、どのようにして今のスタイルに?

相手に喜ばれる事。相手に望まれる事とか、相手に役にたつ事をしようと考えているうちに、今のようなスタイルになっていたんです。
実は私、自分の営業が凄く下手なんですよ。
こうして喋るのは得意なんですけど、自分を売り込むのやお金の話をするのも苦手なんですね。
じゃあどうしたらいいかなって考えた末、
なるべく相手にメリットになる話や興味を持ってくれそうな話からはじめるようにしてます。
そうしているうちに、相手から、

「こういう話があるんだけど、誰か紹介してくれませんか?」

と言われるようになり、色んな仕事に繋がっていったのですわ。

20代の頃の夢とかは何かあったんですか?

いやーわたくち、10代、20代の頃って、アンダーグラウンドとかサブカルが大好きな、暗い乙女でしたの(笑)
だから夢っていうと。。。そうですわねえ。。。
高校生の時に家庭科の時間で、自分のライフデザインを描くという授業があったのですが、その時に凄く好きなバンドがあったので、追っかけをして、
「最後はドラッグ中毒で死ぬ」
とか、夢も希望も無いような事を書いてましたわね。
当時、90年代のノストラダムスの大予言も盛り上がっていましたし、とにかく私のライフデザインでは、20代前半でとっくに死ぬことになっていたのですわ。
それで、30代で凄く自分が変わりました。
夢とかポジティブマインドって強制されても、心から思ってないと無理ですわよね。
だけど、「生きていれるんだったら頑張って生きて、そのうちに自分がやりたい事とかが見つかるのでもいいのかな、人生長いんだし」と思えるようになりましたの。

私のブログタイトルは「ハッピーマインドで人生は変わる!」ですが、キラキラ感はマインドチェンジで本当にアップします!
「類は友を呼ぶ」という言葉がありますが、楽しんでいる人や運が良い人は自然に集まるんだと、ほんとうに今、実感できています。
今の自分を変えたいとか夢がある人は、自分の心や夢にブロックをかけないで、
「無限の可能性が自分にはある」
って心から信じて欲しいですわっ。

なるほど。昔からキラキラしていたわけじゃなかったんですね。

だって、私、自分のブログに30歳になったばかりの写真を載せてたんですけど、疲れた表情で肌も荒れてて今より凄い老けてますよ。
人と会うとエネルギーを凄く消費しちゃうので、ヒキコモリがちで人と会うのが億劫でしたし、感覚的にはニートっぽかったです。
高校入ったばかりの時にドラゴンクエスト3というゲームが出たんですけど、はまっちゃって2週間学校に行かなかったりしましたし。
このままここで一生ゲームできたら幸せとか思っちゃったり。
そういう仮想世界の中に生きてましたね。

ヒキコモリがちで人と会うのが億劫ですか。。

今の若い人たちにも多いかもしれないですわね。
だから、今のそういった子の気持ちが凄くわかるんです。
なので、マンガ喫茶とか行っちゃうと平気で一日中とか居れちゃう。
たまに自分へのご褒美として、こもる日。としてスケジュール作ってます(笑)

この前、女子大生に就職関係の講演とかをやったんですけれども今の若い方って、親からも上からもがんじがらめになっちゃって好きなように生きていくってことについて、萎縮しちゃってるんです。
夢を持って生きていくよりも、無難に生きた方がいいんじゃないかって。

講演が終わったあとに、控え室まで訪れてくれた女子大生たちがいらっしゃったんだけどすごく若くてキラキラした子達が、なんだかしょんぼりとして、

「夢を持ってもいいんですか?」

質問してくるんです。

なんでもできる!無限の可能性があるのに!
私にとっては、本当にうらやましいくらいです。
そんなに不安だったら、「取り替えて~☆」って思いますわね(笑)

では、今に至るに転機みたいなものはありました?

大きな転機は、中国系企業に入ったことかな。
社員の半分以上が中国人でしたので、日本の中の小中国のようでした。
大陸と島国の違いというか、肉食と草食というか、とにかく価値観やパワーが違うので、毎日が無我夢中でしたね。

私は親のしつけや教育が厳しかったので、自分の性質の中にどこかブロックがあったのですが、中国人パワーをみてたら、そんなこと言ってられないですよ。

30歳で中国系のメディア企業に入って、34歳位からキラキラに目覚めて、そして今に至るので、遅いんですよ。
でも人って目覚めた時、その時がやり時だと思います。
やりたくなった時がやり時でいいんじゃないかな。
今は成功法則とか自己啓発系とか好きですし、本を読んだり、そういった方々に会ったりもしてますけど、もともとはアンダーグラウンド&サブカル好きでしたし、ハッピーマインドに目覚める前は、

「朝起きて10回ありがとうを言って運気が良くなら、誰も苦労しないわ」

とか。斜めから見てすっごくバカにしちゃってたんです。

30歳過ぎてから一気に変化されたんですね。

「もう一回20代に戻りたいか?」といわれたら、戻りたくないです。
結構、精神の根底がドロドロドロドロしてたし、突き抜けてなくて、悩みも多かったですし。
逆にアラフォー世代の今の方が突き抜けちゃいました

若い頃からの夢や目標とかは何かありました?

小学4年生の時に母が再婚したのですが、そのあと、義理の父の事業が倒産しちゃったんですよ。
数億もの負債で、家にも債権者が押し寄せていきますし、夜逃げ同然で引っ越したりしました。
ですので、高校を卒業するまではずっと貧乏だったんです。
行政の援助がないと、学校とかにも行けない状況でしたので、大学に行くとか、将来の目標とか夢を持つとか、その時はいっぱいいっぱいで持つ事ができなかったですね。

学校でもいじめられたりしました。
性分として、やられたらやり返していたので、そんなに陰湿なものではなかったですけど、周りから浮いちゃって、友達は常に居ない状態でした。
図書館が大好きで図書館に行って、本ばかり読んでましたね。

で、色んな本を読んでて、戦後の混乱期で何もないところからのし上がった人の話とかがすごく好きだったので、将来、政治家とかフィクサー(背後で影響力を行使する 強力な人物という意味。)になりたいとか。。
そんなことを思ってました。

では、20代の頃にもどって、これは失敗したな。とか最大の痛手だったな。っていう経験は?

失敗だらけですよ。
飽きっぽいので転職も多いです。

何回くらい転職されました?

ある時、履歴書を作ったら紙が足りなかったので、貼り足したら、巻物みたいな履歴書になってました(笑)

色々とやられた中で、一番大変な仕事は?

システムエンジニアは大変でしたね。
早朝から夜中までっていうのが当たり前。
窓が無い。密封された電算室みたいなところで、周りがスーパーコンピューターみたいなのに囲まれて、一日中、ピコピコいってるような場所です。
そこにたった一人で毎日いますから、電磁波も浴びるし、精神的にも良く無かったです。

私、理系にコンプレックスがあったんだけど、

「単に数字が嫌いという先入観があっただけで、頑張れば克服できるかもしれない」

って思っちゃって、半分憧れもあったからソフト業界を受けてみたんですよ。

システムエンジニアから、経営者になり、しかも業種が全く異なるところが面白いですよね。

メジャー路線よりマニア受けを狙うというか。
万人に好かれるというよりも、ニッチを狙っていくタイプなんだと思います。
2週間学校に行かないでひきこもっちゃう性質ですから、今でも気をつけないと戻っちゃうんですよ。
熱しやすく冷めやすいハマリ症ですので、ゲームとか見ないようにしてますもん。
ずっと我慢して、止めてる状態だから、今やり始めると、一週間とか音信普通になっちゃうと思います。
それはさすがにまずいので。

では、成功体験みたいなことってありますか?

成功体験は、それだけ転職回数が多くってもなんとなく希望の仕事に就けちゃったりとか。
大きな挫折って知らない事かもしれないですね。
大体、望むものはできたかしら。

それに見合うように努力とかしてきました?

継続的な努力ではなく、一発集中的な努力ですね。

今もですか?

昔よりは忍耐力とか努力とかはあるんですけども、割と思いつきと勢いだけで生きてるますわね。

20代の頃に特に影響を受けた本や人はありますか?

ずっと捨てないで持ち続けてる本があって、それは東洋経済社の「相場師列伝」
戦前、戦後の大相場師って言われた人達の伝記みたいなエピソードを集めた本なんですけど、私のバイブルですね。
みんな貧しいところから、立身出世とか、人が考え付かないような発想の転換とかで生き抜いてきた人達なので。

自分の中で一番大きく影響を受けている言葉が、相場の格言であるんですけど

「人の行く裏に道あり花の山」

おお。まさかの言葉です。鳥肌立ちますよ。
だって、前回のインタビューで青山さんも全く同じことを言われてたんですよ。

えーーっ、おんなじ格言ですか!? シンクロ!?
宇宙から何かが降りてきたのかしら?(笑)

まあ、それはずっと一貫してるんですよ。
自分の人生訓として、何か行動する時の指針にありますね。

だから割と人のやらないこととか裏とかに興味をもってずっときてるんだと思います。
世間情報、大勢の人の話とかに左右されたり、不安になったりするじゃないですか。
まぁいいんだ。これでいいんだ。って思えるようにね。

では今後はどういった目標や方向性なんでしょうか?

ないです。
逆に、目標をきっちり立てすぎて、好奇心とかやりたいことがなくなるのが怖いです。
常にワクワクが欲しくなるんですよ。

あまりビジョンが無く生きているというのは私のコンプレックスでもあるんですけど、
巷の成功法則でよくいわれる
「ビジョンを持って!」「目標設定をすることで願いが叶う!」とか。
そういうのが無いんですよね。

そこは変えるつもりはなく?

そのことについてはコーチングなどをうけていますが、どうも、幼少期の体験から、精神にブロックがかかっているようです。
これは正さないとサクセスできないのかもしれないけれど。

ただ、皆が、目標を持って成功する!ってなると、ちょっと重いかもですよね。

そうなの~
「あーダメだー。わたしなんてー」
って、私いっつも気持ちがくじけちゃうのです。
考える間もなく動いてると、考えなくても済みますね。
浅井君ならとりあえずチャリンコこいでる。とかね(笑)

はは。たしかに!(笑)最後になりますが、これからの未来を担う人たちやちょっと元気の無い人達に何か伝えておきたい事とかありますか?

生きてるだけで丸儲けですわよ、ほんとーに。
その時は「もうやだ、死にたい……」
と死ぬほど悩んだことでも、あとになって振り返れば

「あんなつまんないことで死ななくてよかった♪」

って思えるものですから。

その上で、自分のミッションに目覚めた時は邁進すればいいんだと思いますわっ☆

では最後に、座右の銘など、未来に残したい言葉をお願いします。

ありがとうございました!


ママチャリで日本一周している経営者
■Profile:
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指す。ほぼ一周を終えつつ、まだまだ走り続ける口実をつくるべく、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人1団体の理事として活動中。
PAGE TOP