93人目 井之口豊さん:株式会社井之口笑店
会社名:株式会社井之口笑店
URL:https://blog.goo.ne.jp/yutak-ing
公開日:2011年09月12日
今回の旅は、株式会社井之口笑店の井之口豊さんです!
まずは読者向けに自己紹介をお願いします。
2011年1月に株式会社井之口笑店という会社を設立しました。
現在、新宿御苑の「関西酒場らくだば 」と
四谷三丁目の「関西酒場らくだば はなれ」の2店舗を経営しています。
僕の出身が大阪なので関西の料理や商品が売りのお店です。
「らくだば」というお店の名前の由来は、僕のニックネームから来ています。
自分の顔が「らくだ」に似ているからです。
そのままお店の名前につけました。
らくだばの「ば」は「バー」とたまりばの「場」という、2種類の意味を込めています。
お店自体を出したのはちょうど2年半前です。
会社にしようと思ったきっかけは?
1店舗で終わりたくない気持ちがあり、
税理士さんと相談して、将来的なことも考えて会社にしました。
先に起業したい思いがあったのか、
それともお店を主体でやりたかったんですか?
やはりお店をやりたい!という気持ちが先です。
大学3年生の時にショットバーでアルバイトをした経験が一番のきっかけ。
その時に漠然と「将来、お店を持ちたい」と思ったんです。
では就職活動も飲食中心で?
いえ。就職活動はゼミの流れで銀行に行ったりもしました。
でも、面接の時にすんなりと志望動機や自己PRができなかったんです。
一方、飲食の会社を受けてみたら、
そちらは質問されたことに自然と受け答えができたんですね。
まぁ、アルバイトでの経験もありましたから。
面接を受けた飲食の会社はすべて通りました。
就職した飲食会社はどういう会社だったんですか?
サントリーグループの「ダイナック」という会社です。
10数年お世話になりました。
もともとお酒が好きだから、サントリーの会社に就職したかったんです。
アルバイトでの経験も就職を決めた大きな理由にもなりますね。
そうですね。ショットバーはカウンターを挟んだ対面の仕事なので、
アルバイト時代、接客の喜びを直に感じ取ることができてすごくうれしかったんです。
自分よりも年上の方が自分を求めて来てくれるのが飲食の醍醐味かなと思い、
「ダイナック」に就職したわけです。
でも、最初に配属されたお店は、
希望していたショットバーとは全然関係ないファミリーレストラン。
僕のやりたい仕事ではなかったんです。
朝6時に出勤して、7時にオープンし、夜の10時まで営業。
早朝、昼、夜とお客さんがどんどん来るお店で、労働状況も大変だった。
ただ、今思えば、最初に出会ったファミリーレストランの店長の存在が
今の僕の原動力になっています。
とても厳しい人でした。
僕も初めて社会に出たので全然わからず、
決まった出勤時間で、繰り返して働いていたんですね。
で、1か月くらい経った時に店長との面談で
「ちょっと、お前座れ」
「お前、アルバイトにどういう風に見られていると思う?」
「このままでいいんか!」
「社員なのにアルバイトと同じようなことをしていると、人の上に立てへんぞ!」
と、厳しく言われました。
それから休日を返上してお店に出て、仕事も一気に変わりましたね。
意識がガラッと変わったんですね。
そうなんです。アルバイトも自分を見る目が変わってきて、
「井之口さん、井之口さん」って慕ってくれるようになりました。
今はその店長に感謝の気持ちでいっぱいですね。
でも、当時は店長に腹が立っていたから、
人事部に提出するアンケートの自由項目の欄に
「○○店長を必ず超える!」というようなことを書きましたね。
店長は読まないと思っていたから。
ところが回りまわって人事部の人が店長にそれを見せたんですよ。
「お前、俺を越えるらしいな」と言われちゃいました。
もちろん、「はい!」と答えましたよ。
店長を見返してやろうという気持ちでいっぱいだった。
3か月後、京都に新しいお店ができるというので、
「このままこの店にいたら成長がないから」
と言ってくださり、新しいお店に推薦してくれました。
わずか3か月とはいえ、厳しい人に出会えて、
悔しいと思えることを言ってくれたのが今でも原動力になっています。
それが22、23歳の頃。
新しいお店ではドリンクのセクションを一つ任されました。
新入社員といっても新しいアルバイトが入るので
そのリーダーとしてやっていかないといけません。
新店の立ち上げはかなり大変な仕事だったんですけど、
やりがいはありましたね。
その次は四条河原町という街にある
2階はイタリアンレストランで
1階にはファーストフードがあり、
地下がワインバーというお店に転勤させてもらい、
入社2年目でそのワインバーを任せてもらいました。
入社して2,3年してから、
店長がソムリエの資格を持っていたので、
その店長の下にいる間に自分でも資格を持ちたいと思い、
ソムリエの勉強を始めました。
いつか自分のお店を出したい思いがあったとは思いますが、
「何歳までにお店を自分でやりたい」という明確な目標はありましたか?
29歳が僕の大きな分岐点でした。
ワインバーを任された次のお店で3年半働いていた時に
新業態のお店の初店長に抜擢してもらったんです。
京都の四条の木屋町の「とりどり」というお店で、
26歳で店長になり、29歳まで働いていました。
会社から店長を任されたので、
その頃は将来お店を持つことを考える余裕はありませんでした。
与えられたチャンスにどう応えるかだけをひたすら考えていた。
幸いにもお店の成績はすごくよくて、会社でも評価されていましたね。
ショットバーのアルバイトで一緒だった1歳下の仲間がいるんですけど、
関西の芦屋でショットバーを開業していたんですね。
店長をしていたお店も2年くらい経ち、軌道に乗っていた時に
「一緒にやらないか?」という話が来たんです。
自分も30歳になるから会社を辞めて、
「一緒にやろうか」という話をしたんですけど、
その1週間後に東京の人事の方から
「井之口、東京に来ないか?」って声をかけてもらったんです。
すごく悩みましたね。
会社を辞めて仲間と一緒にやろうと思っていた矢先に
会社から「東京で働かないか?」と言われましたから。
飲食をやっていると東京に憧れがあるんです。
東京で飲食をやりたい気持ちがあった。
関西にいるよりも東京に行って視野を広げたいという気持ちが芽生えてきました。
散々悩んだ結果、関西の仲間にはお断りをしました。
それが29歳の旅立ちの大きな転換期だったかな。
それが東京に来たきっかけなんですね。
憧れの部分が大きかったかな。
その時も東京でお店を出すことなんて考えていなくて、
ただ環境を変えたいだけだった。
それまでは与えられた仕事を無我夢中ですることしか考えていなかった。
ふと「もう30歳だな」って考えて、3年後、5年後の未来を想像してみたら、
関西にいては自分の成長はないなと思ったんです。
大半の人は会社で安定した場所を選びますよね。
逆に周りの同僚の方々はどうだったんですか?
30歳を前に辞める同期が多かったかな。
まったく違う仕事に就く人が多かったかもしれないですね。
東京に来てからどんな道のりを?
まずはJR新宿駅東口の「卯乃家」という
お店の立ち上げで呼んでもらい、
東京ではゼロからのスタートです。
アルバイトの右腕と左腕がいないまま始めたので、
大丈夫かなと思いながらも、やれるとも思っていましたね。
というのも、京都で店長をやっていた3年間、
いろいろなアルバイトと関わってきて自信がついていたんです。
ゼロからのスタートだけど、
人との関わりはできるという自信があったんです。
新入社員の頃と同じような気持ちで卯乃家の立ち上げを無我夢中でやりました。
そして、3年くらいやってきた時に
「らくだば」をオープンするきっかけとなった大きな転機が訪れました。
24時間リレーマラソンというイベントにお客さんの誘いで参加したんです。
そこで「地球探検隊」という旅行会社のスタッフのトミーと出会って、
地球探検隊を知ることになったんです。
地球探検隊のオフィスが新宿御苑にあり、
自分のいたお店が新宿駅東口だったから、
よく利用してくれるようになったんです。
この歳になって20人、30人の人たちと友達になれることは大きかった。
そのうちに自分も50人くらいのイベントの総幹事をして、
上に立って発信する機会が増えてきたんです。
その際に自分のお店を利用してもらうことが多かったので、
一気に自分を支えてくれる人が増えてきました。
33、34歳くらいでしたね。
その頃、卯乃家のグループ長という形で出世させてもらっていました。
現場の業務以外に本社の業務も並行してやるようになったんです。
現場を離れて本社の仕事に就くことを考えていた時に、
自分の原点を改めて振り返ってみたんですね。
「自分、この世界に何のために入ったんやろう?」
その時にお店を持ちたい気持ちが出てきました。
本社業務と現場の仕事を兼任して1年経った頃に
オーナーさんのいる六本木のお店でマネジメントしてくれる人を探しているという話が
お客さんを通じてやってきたんです。
そのお店で勉強して、自分のお店を持つという決断をしました。
33歳の時に、「35歳までにお店を持ちたい!」という決断をしました。
やっと明確な目標を持ったわけです。
今回のインタビューのテーマでもある「29歳」の時は、
お店を持ちたいという強い気持ちはなかったのにね。
人生はどこでもやり直しができると思うね。
何歳になっても遅くない。ということですね
何年先にやりたいという明確な目標を立てて、
逆算して何が足りなくて、
何をしていかなくてはいけないかを考えていけばいいんだと思います。
らくだば本店をオープンさせるまでに
いろいろ足りないものがあったと思いますけど、何に一番苦労されました?
会社を辞めた時に、目標として3つの「貯める」を自分のブログに書きました。
1つ目が「人脈を貯める」。
次に「お金を貯める」。
最後に「気持ちを貯める」。
3つとも同時には叶えられないから、
六本木のお店では、人脈を貯めることに絞った。
そのお店は会員制のお店だったんです。
今までの卯乃家のお客さんだったり、
24時間マラソンで出会ったお客さんを含めて、
六本木のお客さんを人脈としてプラスアルファにしたくて、
会員制のお店を選んだわけです。
狙い通りに順風満帆にいったかというとそうではなかった。
オーナーさんがある会社にお店を委託してもらい、
僕はその会社に所属して働く形だったんですね。
元オーナーさんと僕を雇ってくれているオーナーさんが何かで揉めてしまって、
喧嘩別れになったんですよ。
だから、六本木のお店には半年間しかいなかったんですね。
その時はまだ自分でお店をやる気持ちはなかったですね。
次に高田馬場のお店を紹介してもらったんですけど、
僕が思い描いていた仕事ではなくて、全然やりたくない仕事。
「このままではあかんな」
「何のために会社を辞めたのか」
って思いました。
まさに逆境で、実際働いた期間は5ヶ月間。
最初の1ヶ月で辞めようと決意し、
仕事しながら平行して物件探しを始めました。
その逆境のおかげでやる気が貯まっていきました。
ただ、人脈と気持ちは貯まりましたが、お金は貯まらず(笑)
ある程度の自己資金はありましたよ。
でも、自分がやるお店の資金繰りを計算してみたら、
自己資金では足りなかったんですよね。
その時に初めて、親に頭を下げるため大阪に帰りました。
で、親からお金を借りました。
お店をやろうと思ってからは、とんとん拍子。
物件が見つかり、お金の借り入れもうまくいって、
2009年に新宿御苑にお店をオープンさせました。
場所もベストな所だったんじゃないんですか。
地球探検隊の近くにあるのでみんなが集まりやすい場所ですから。
最初から新宿御苑を狙っていたんですか?
初めはどこでお店ができるかをいろいろ考えました。
JR新宿駅東口を皮切りに六本木と高田馬場の違う街に出てみて、
自分とは違う街だなと思いましたね。
やっぱり、自分がお店をできるのは土地勘のある新宿しかないと。
地球探検隊が新宿御苑で、勤めていたダイナックも本社が新宿御苑だったから、
辞めてからもお世話になろうと(笑)
ナイスな考えですね(笑)
会社を辞めているにもかかわらず、
今でも「井之口、井之口」って心配してお店に来てくれます。
会社の肩書きやしがらみを抜きにして付き合いをしてくれているのは、
会社にいた時に人と人との付き合いをちゃんとしてきたから。
会社を辞めたら縁が切れちゃうことが多いですね。
そのケースは多いですよね。
今年、2号店を出されましたが、
今後の目標やビジョンを教えてもらえますか。
2号店を出す経緯をお話すると、
今年の2月に2周年を迎えた時は、
2店舗目を出すという目標は特に掲げていなかったんです。
では、なぜ出したかというと、
一番の大きな影響は、3月11日にあった東日本大震災。
地震があった翌週は全然お客さんが来なくて、
たまたまお昼に来たお客さんとも暗い話になっていたんですね。
何か明るい話題でも振り巻こうかと思い、
そのお客さんが不動産屋の方だったので
「この辺の物件の相場を調べておいてよ」という話をしたんです。
2店舗目を出したいという気持ちはなかったんですけど、
夢を持ちたいと思ったわけです
で、その晩にいろいろな物件資料を持ってきてもらいました。
その資料の中に今の2号店の物件があったんです。
すぐに見に行き、「こんな近くにこんないい条件でできんのや」って思ったんですけど、
スタッフがいない状態だったんですよ。
ちょうど、本店のお店のアルバイトの子が
自分の夢を追いかけて沖縄に行った直後でもあったので、
本店を切り盛りするスタッフもいない状態で、
「2号店なんてとても!!」って思いましたね。
そんな状況だったんですけど、
1年間ずっと「らくだば本店」に通ってくれていた人が
近くのお店を辞めることになったんです。
らくだばが好きで、将来同じようなお店をしたいという話は聞いていた。
お店を出すには物件と人が重ならなくてはいけないんだけど、
そのタイミングがすべて重なった瞬間ですね。
大地震の後でしたから、
らくだばに来るメンバーや世間に元気を与えたいとも思った。
お金はなかったけど、さらに自分に負荷をかけたんです。
決して儲かっていて、余裕があってやったわけではないです。
今のこの年齢なら体も動くから、
それならムリしてでも本店も2号店もがんばろうという気持ちで
「らくだば はなれ」をオープンさせたんです。
そんなエピソードがあったんですね。
この前、映画を観た時に「夢の先には何があるんですか?」という場面があったんだけど、
「その時になってみないとわからないんじゃないの、
その時になったら、またその先の夢がある」って言っていたのかな。
それを観て思ったけど、夢はずっと終わらないね。
ビジョンとしては、40歳まで違う業態のお店を出したい。
そう簡単にはできないようなことにチャレンジしているような気がする。
そういう風にしないと成長のないままダラダラ歳を取っていくから。
会社をもっと大きくしていこうという気持ちはなくて
今いるお客さんが第一。
自分がこの本店を離れて、経営者として現場から退くことはしたくない。
本店や2号店、そしてもう一つお店ができるのなら、
そこへ行ったりと、らくだばのグループ店に来てくれるお客さんが
満足してくれるサービスや商品提供をすることが当面の目標かな。
~~~同行サポーターからの質問ターイム~~~
独立する時に怖いという感情はありましたか?
それは今もずっとある。
今は会社にいてもずっといられる安泰もないけど、
独立は会社にいた時の保障が一切なくなってしまう。
ただ、当時は会社に残るほうが怖かったかもしれないね。
40代、50代になった時に
「あの時やっていたら」
と後悔している自分を考えているほうが怖かった。
あと半年でお店を始めて3年になりますけど、
今でも怖いという気持ちはありますね。
3年間やってきた自信があるので、
恐怖の度合いは減ってきているけど。
最初の1年目は本当に無我夢中だった。
「365日中、何日働いたの?」って言われた。
定休日を設けなかったから。
周りには「心配しなくても大丈夫」って言われたけど、
飲食はお店を閉めたらその日の収入がないわけ。
お店を開けないと生活ができないから、
そんな状態でぬくぬくと週1とか、夏休みを取る余裕はない。
1年、2年、3年経ってお客さんがそれなりに付いてくると、
この先はちょっと大丈夫かなと、怖さの気持ちは減ってくるけど、
社長をしていたらそれがゼロになることはないかな。
恐怖を減らすための努力はしなくてはいけない。
来月、再来月のことを考えて、常に行動をしてやっていかないと。
誰も社長になんか言ってくれないから。
常に自分に問いかけながらやっていかないと、
会社やお店を続けることはできない。
変な話、お金さえあればお店を出すのは簡単やからね。
「継続は力なり」
という言葉あるように、続けていくほうが本当に大変。
将来、起業したいという気持ちも大事だけど、
続けていくためのスキルや困った時に助けてくれる人脈を作っていくことも大事だと思う。
生活していくためのお金も必要。
お話は変わりますが、
もし大学生だとしたら何をしますか?
時間があるなら、海外旅行をもっとしたかったかな。
英語が話せたらもっと海外に行っていた。
「地球探検隊」という旅行会社と仲良くさせてもらっているから、
若い頃に海外旅行の経験をたくさんした人に会うと、物の見方が違うって感じるしね。
僕は飲食しか知らないから、
違う国の食文化や習慣を見たかったなと思う。
働くようになると海外へ行く時間が取りにくくなってくるから、
行けるうちにどんどん行っておく。
アドバイスというか、自分はそうしたかったな。
ちなみに行ってみたい国はありますか?
「らくだば」というお店を経営しているので、
よくお客さんとの会話で「ラクダに乗ったことあるの?」って聞かれるわけ。
自分はまだなくて、すごくがっかりされることがある。
僕の人生のテーマは「笑いと感動」なの。
関西出身だから常にネタを提供して笑いを生むことをしていたから、
ラクダに乗ったことのない自分がいるのは、アカンと思っている。
どこでもいいけど、一度も行ったことのない国でラクダに乗りたい。
この商売をやっている以上、
常に延長線上で「らくだ」や「関西」に関することを
掘り下げていくしかないから。
ありがとうございます!
~~~同行サポーターからの質問タイム終了~~~
最後に、当時29歳のご自身に向けたメッセージを色紙にお願いできますか。
今回の同行サポーターもそうですが、
人生に悩んでいる20代の若者たちへ。
20代のうちにやっておいたほうがいいことなど何かアドバイスがあればお願いできますか?
おもしろいと感じられるものが自分の人生を楽しめるんだと思う。
大学の時に楽しいと思っていたアルバイトが今こうしてつながっているから。
途中あちこちブレていたこともあったかもしれないけど、
軸となる部分を一つでも持っていれば、何かあった時に原点に戻ることができます。
小さくても細くてもいいから軸を持つこと。
まだ軸が見つかっていなければ、
いろいろチャレンジして見つけてほしいですね。
小さくても軸があるなら、それを信じて突き進んで行ってほしいかな。
本日はありがとうございました!