87人目 慶長久和さん:株式会社日本シニア総合研究所
会社名:株式会社日本シニア総合研究所
URL:http://www.jsri.co.jp/
公開日:2011年07月08日
今回の旅は、株式会社日本シニア総合研究所の慶長久和さんです!
まずは読者向けに自己紹介をお願いします。
もともとITのエンジニア、プログラマーでソフトウェアの開発に携わっていました。
30代の時に外資系の会社のERP(Enterprise Resource Planning)パッケージのベンダー部門で働き、
その後、独立してITコンサルティングのような形でベンチャー企業を渡り歩きました。
45歳か46歳の時に、あるNPO法人に声をかけられて、
そこに何気なく参画したのが事の始まりです。
そのNPO法人は団体としてはあまり活動していなかったんです。
「何かちゃんとやりましょうよ」って働きかけたら、
「おまえがやれよ」ということに。
JR大崎駅近くの「ゲートシティ」にレンタルできる会議室があるんですが、
そこで月に1回、30人前後を集客していました。
その半数がシニアの方。
シニアの方たちは「仕事はないか」という情報を求めて集まってきていたんですね。
メインで2年半ほど運営をしているうちに、
シニアビジネスの将来性を感じ始め、
自分なりにいろいろと調べていったんです。
他にも非営利のシニア支援団体があるんだけど、どこもうまくいっていない。
要するに他力本願。
リーダーシップと責任を取って、運営をしないからあやふやな状況になってしまう。
それを目の当たりにして、
「シニアビジネスをやるならNPOは止めよう、完全にビジネスでやろう」
と思いましたね。
起業するためにどうしたらいいかを考えていたけど、
タイミングの問題なので法人を立ち上げようと決意しました。
NPO法人の会員になっている5、6人の
シニアのアクティブなおじさんたちに事業計画を見せて、
「私はNPOではなく法人を設立してやりたいんだ」
とプレゼンをしたました。
「私はお金がないです。
1人1口5万円でエンジェル出資してくれませんか?」
と一言添えてね。
すると文句を言わずに快諾してくれて、全員5万円を出してくれました。
ただ、割合的にバランスが取れないし、将来的に困ると嫌だから、
友人・知人に声をかけて1口5万円をさらに集めてきました。
そのエンジェル資金で会社を設立したんですよ。
私は1円も出していない。
これこそ他力本願だね(笑)
何人集められたのですか?
合計60万円でスタートしたから12人。
出資金は60万円、設立費用は30万円くらいで会社を立ち上げました。
2009年6月17日に登記し、7月からスタートしました。
だけど、NPOのようになってしまって、1年間鳴かず飛ばずだったんです。
資本金を食いつぶしてしまった。
私が何か言うと、「おまえは金を出していないから、決定権はない」って言われる。
「だったら俺を代表にするなよ」と思うけどね。
これという仕事の柱がなく、売上も資本金もない。
2010年1月、あと6か月で決算期になるという時期に、
「売上を上げなくてはいけないから、ちゃんとビジネスをやりましょうよ。
何かアイディアありますか?」
ってメンバーに聞いたの。
みんなに聞いたんだけど誰も持っていないわけ。
「これはやばい。もう終わりかな」と思ったね。
それでもあきらめたくないから、
かねてから頭にあったビジネスモデルの事業計画書を作り、
今度は有無を言わせないために自分で大口の協力者を見つけ出しました。
それもエンジェル出資なんですけど。
そこで1年経った決算期の月に最初にお金を出してくれた、
シニアのおじさんメンバーたちに辞めてもらうことにしました。
それをやらないと、大口のエンジェルをしてくれる人が協力をしてくれないから。
それが去年の8月です。
「慶長さん、辞めてください」
っていう慶長降ろしが始まったけど、それを想定していて、こう話したの。
「ビジネスモデルをちゃんと考えていて、2期目に向かう方策があるんですね。
私も私なりにアイディアがあるから辞めてもまたやります。
資金調達者もいるし、社名にこだわらないからどうぞ」
そして、ビジネスモデルの計画書を見せて、
「ITを絡めて、スピーディーにやりたいので整理したい。
もし辞めないなら代替えの案を出してください。
私が納得できるものを提示してくれたら潔く退きます」
と宣言しました。
結局、何もなかったから押し通しました。
私の計画は8月と9月の2か月間でシステムを構築して、
10月1日にスタートさせる計画。
おじさんメンバーには納得してもらい、
ちゃんと9月24日にプレスリリースを流しました。
そして、去年の10月1日に今のビジネスをスタートさせました。
だから、ビジネスを始めてまだ9か月くらいなんですよ。
仕事の内容としてはどのようなことを?
企業の定年退職、早期退職をされている人は50~60代が多いですよね。
会社の組織を離れるのはいいけど、なかなか転職は見つからない。
ハローワークに行っても全然見つかりません。
私も経験あるけど、40歳以上の仕事のマッチングはありませんね。
ハローワークが機能していない。
シニアに対しての社会的インフラは、なきに等しいわけなんですよ。
それはおかしいですよね?
確かにそうです。
私たちはその環境がおかしいから整えているんです。
結論から言うと民間のハローワークをやります。
始めに「SeniorJob.jp」を任意団体方式の会員制にして、会員登録(無料)をしてもらいます。
会員の方が業務遂行により受取報酬が発生したら、その受取報酬の中から入会金
¥4,000、年会費¥6,000を徴収させていただきます。
登録していただきますが雇用はしないし、
人材派遣・人材紹介やヘッドハッティングなどの人材業は一切しません。
世の中には物やサービスといった商材を持っている企業さんがいますよね。
このご時世ですから、営業部門に対する人件費の維持は厳しいはずです。
そういった企業に対して、
「登録しているシニアの方に営業代行として働いてもらいますから、
御社の商材を扱わせてくれませんか?」
と、私たちの会社が営業に行きます。
営業をしてシニアの方の仕事を見つけてくるわけです。
日本の商習慣というのは、法人が個人に仕事を発注することは滅多にない。
シニア総研がその間に入って、法人の販売代理店契約を結ぶんです。
契約書も締結するから商材を持っている企業さんは私たちだけを見ればいい。
「完全成功報酬でやります。
売上が上がり利益を回収できたら私たちに報酬をください。
その報酬が何%かを契約書に記してください」
と、企業さんにお願いしています。
契約金は一切ありません。
商材を持っている企業さんにはリスクはありませんよね。
そのような形で販売代理店契約をして商材を手に入れているんです。
そして、「SeniorJob.jp」に登録しているシニアの方たちに業務委託をします。
この時に業務委託契約書を交わしています。
インディペンデント・コントラクター、要するに独立業務請負です。
平たく言うと個人事業主。
契約を取ってきたら成功報酬を払います。
完全成功報酬の個人事業主として働くのもなかなかいいものですよ。
年度末に青色申告をすれば、
交通費や飲食費などを経費としてうまく落とすこともできますから。
税金面で有利になりますね。
でも、いつもシニアの人にこう言われます。
「難しい説明はできないし、トークもできない。
経験もないからムリだよ」
その問題を解決するために
商材を提供する企業さんに動画を10分くらい作ってもらっています。
プレゼンのデータをYouTubeやUSTREAMに動画をアップしてもらい、
企業の方にその動画を見てもらうわけです。
さらに商材を扱っている企業の営業マンにわからない部分を
電話で質問できるシステムにしています。
ITのことを知らなくてもITの商材を売ることはできるんですよ。
営業スキルがなくてもシニアの方でもできます。
だから、うちはスキルや経験は何もいらない。
そして実はここからが本題です。
ビジネスモデルの取っかかりは今の話で20%くらいかな。
この仕組みを大手上場企業さんに提案するんです。
定年退職者や早期退職者、リストラされそうな人材を「SeniorJob.jp」に登録してもらいます。
年間100万円(月額10万円で年間120万円ですが、
割引価格の100万円税別)の協賛金で人材を何人でも紹介して登録してもらう法人契約を結びます。
法人契約=協賛、つまり「SeniorJob.jp」という会員制の組織のスポンサーです。
CSR(企業の社会的責任)の一環で私たちのスポンサーになってもらいます。
今まで上場企業は人材を採用して事業を拡大して行きましたけど、
今日の日本は超少子高齢化なわけです。
あらゆる市場マーケットが縮小していて、
人数を持っていること自体が最大のリスク。
市場がないと必然的に人があふれてしまう。
あふれると50代、60代が仕事を辞めざるを得なくなり、
早期退職、リストラが始まってくる。
それに超少子高齢化の時代に若い人を採用したら、
50代、60代の人たちが押し出されてそれこそ辞めなければいけない状況になります。
だから、私たちが第三者の立場で担うから、その代わり、
私たちのスポンサーになってもらうわけです。
企業には大義名分が必要だからCSRで自分たちの企業イメージを良くしてもらう。
上場企業ならIRリポートに掲載すると、企業としての価値も上がります。
お金を払うメリットは2つあります。
1つ目は、企業で営業経験があるシニアの方は、
人脈を持っているし、抵抗なくやってもらえますよね。
逆にバックオフィスにいた方には研修やコーチングをします。
有料でやるか無料でやるかは企業と相談しますが、
そのような制度を提供します。
そして、2つ目がポイントです。
20~40代の若い人たちにアントレプレナーになってもらいたいんです。
会社を創ってほしいんですね。
シニアの方にメンターとしてサポートしてもらうわけですね。
週1回、月額5万円である程度の距離を置きながら、
居酒屋とかで若い方たちの愚痴を聞いてあげるわけです。
あとは営業に行った時に隣に座ってあげる。
隣に年配者がいれば、相手も変なことを言えませんから。
シニアの方たちは若い人たちと仕事ができて、
今までと違った仕事に携われるし、
自分の存在を認めてもらえるから、イキイキするんですよ。
お金は二の次で一緒に仕事をしてくれます。
経験やスキル、人脈も豊富だから
いろんなアイディアをどんどん提供してくれるでしょうね。
なぜなら、ストレスやプレッシャーがないから。
結果を求められないし、報酬も5万円だから。
そのような環境を創るのが我々の仕事なんですよ。
わずか9か月の間に一人で形にしたわけですよね。
その情熱はどこから沸き出てくるんですか?
私の個人的な意見ですけど、
何もないものを生み出すことが仕事だと思っています。
私が亡くなった後に
「慶長さんがこの仕事を残していったよね」となったら本望。
まさに起業家ですね。
私の目的はお金じゃない。
お金がほしいならエンジェル出資でやりませんよ。
自分で全部出して牛耳りますよ。
お金なんてどうでもいいんです。
もっと言えば、シニア総研をほしい会社がいたらあげてもいいです。
ただし、私は実現させてから手放したい。
自分の納得いく形まで実現させたら会社から離れてもいいです。
実現するということは、基盤を創ったことを周りが認めることですから。
それができたら離れてもいいと思っています。
エンジニアやプログラマーとしてキャリアを築いてきた方が
起業して世の中のためになるものを残そうという発想になるのは珍しいですよね。
プログラマーの人たちが起業の道に転身されるのは少ないと思います。
起業へと至るきっかけがあったんですか?
28歳頃に「アントレプレナー・カレッジ」というビジネススクールがあったんですよ。
当時の日本にはビジネススクールはなかったの。
そこで勉強したんですよ。
テキストはなくて、政治評論家の竹村健一さんやアサヒビールの社長が講義してくれた。
ワタミの渡邉美樹さんや光通信の重田康光さんとも一緒に勉強していた。
そんな時代です。
どのくらいの期間、勉強されていたんですか?
6か月間。
毎日、平日の夜に勉強して、金曜日の夜は現役の企業の社長さんが講演してくれる。
講演が終わると懇親会をしていましたね。
それが楽しくて勉強していました。
28歳はちょうどバブルの時代でしたね。
インタビューのテーマは「29歳」なんですが、
ちょうど勉強されていた時期ですか?
そうです、その頃に独立したいという夢を持った。
ただ、お金を貯めていなかったので、すぐには起業できなかった。
友だちはどんどん起業していったのにね。
そこで自分の力を試すために30歳の時に外資系に入ったの。
英会話はできないけど、ノーザン・テレコムに飛び込んだ。
4年半くらいいたのかな。
「アントレプレナー・カレッジ」に入学して、
プレゼンテーションやコミュニケーションを勉強していくうちに
完全に私の頭の中が180度変わりましたね。
オフィスでプログラム開発をしているのがもったいないと思うようになったんです。
逆に人とコミュニケーションを取るのがおもしろくなった。
「アントレプレナー・カレッジ」に出会えたことが大きな転機だったんですね。
本当に私の転機です。
それがなかったら今でもずっとオフィスにこもっていたと思う。
ちょっとしたきっかけがご自身を変えていったと思います。
シニアの方もガラッと価値観が変われば人生も変わってくるんだなと。
すでに実体験としてあるんですね。
「アントレプレナー・カレッジ」の入学するきっかけはというと、
大手町の日経ホールで
起業家に向けたビジネススクールを立ち上げるという発表があったんですね。
それをたまたま新聞のチラシを見て、
応募して話を聞きに行ったんです。
ホールの真ん中に座って、ずっと説明を聞いていました。
ビジネススクールの代表である社長さんの説明を聞いているうちに
「何か、これスゴい」ってビビッときたんですよ。
「ここの学校に入りたい、どうすればいいんだ?」
当時の私は100名くらいの独立系のソフトウェアハウスにいたの。
残業が100時間くらいあって、自由な時間を取れないよね。
だけど、履歴書を書いたの。
で、履歴書を書いて
学校の説明をしてくれた社長宛てにそれを手紙として送ったの。
その頃から情熱的だったんですね。
もう情熱しかないよね。
ただ履歴書を送っただけでは、
分野が違うから採用されない。
履歴書を送った後はどうアクションされたのですか?
「説明会を聞いて、ぜひビジネススクールに通いたいと思った。
この学校に通いたいから私は転職をしたい。
転職をすれば、夜は学校に通うことができる。
その学校に通うにあたって6か月間残業はなしにしてください。
残業なしの代わり、学校にかかる費用の80万円を自腹で払いますから」
と、直談判しました。
そのおかげでビジネススクールに通うことができました。
それを実行できる人ってなかなかいないですよね。
直談判で合格したから、学校に行くのが楽しくてさ。
いろんな知らない人に会えるし、起業家にも会うことができる。
講義も楽しくて仕方なかった!
29歳から30歳に切り替わる誕生日の思い出はありますか?
誕生日じゃないけど、12月24日の夜にすごいことがありましたね。
会社が潰れてしまったんですよ。
潰れた日がクリスマス・イブで翌日はクリスマスです。
12月のボーナスはないし、給料もなし。
そんな状態で年末とお正月を迎えて悲惨でしたね。
誕生日じゃないけど、こんな経験をしています。
どうやって立ち直ったんですか?
当時付き合っていた彼女がいたから助かった。
たぶん、一人だったら自殺していたかもしれないね。
僕は若者の仕事にきっかけを作る仕事をさせてもらっているのですが、
自分の力をどう発揮していいかわからないという人たちが多くて、
彼らの支援ができたらと、常々思っています。
今の若いうちにこれを行なったほうがいいというアドバイスはありますか?
雇用されることが仕事ではありません。
自分で意志と夢を持って歩んでいくのが本来の仕事です。
学校を卒業して大手企業に入るというルートに行かなくてもいいんですよ。
私たちの会社に入れば、仕事はできますよ。
なぜかというと、シニアの方がOJTをしてくれるから。
ここでリアルな経験をし、3年くらい経って自分で事業を興してみたら?
シニアの方が支えてくれますよ。
やりたいことを仕事にして自分でやってみることです。
視野を広げてアジアなどに展開するという考えでビジネスを立ち上げてください。
若いうちにいろんなことにチャレンジして視野を広げておくことです。
20代は失敗していい、むしろ、逆に失敗したほうがいい!
その場数をどれだけ踏むかだよね。
私から言わせると、同じ会社で働いている時間ほどもったいないですよ。
大半の人たちは同じ会社で長く働いていたいという価値観に支配されていますよね
去年の12月の日経新聞にハローワークについての記事が書いてあったんですよ。
行政のハローワークは機能していない。
民間に任せるべきだと書いてあった。
みんな、頭の中で思っていたことが記事として世に出ることになった。
もうハローワークはダメだと言っているのと同じだよね。
そして、今年(2011年)の1月、これが最大の事件です。
年金の受給開始年齢の法律が65歳に変わりました。
現在の日本企業は60歳が定年退職。
60歳でお役御免と言われても年金受給開始年齢は65歳。
空白の5年間も働かなければ生活をすることができなくなる。
だから、早いうちに収入のポケットを準備しておいたほうがいい。
実は、こういう世の中になることを想定して去年の10月にスタートしたんです。
それがこのビジネスモデルを立ち上げた一番の原因です。
実は、年金受給の開始年齢が70歳になるとも言われていますけど、
もし、そうなったら年金だけではやっていけないよね。
それに企業年金も減らされる方向になっているし。
今の50代の人たちが60歳以降になったとしたら、
自分たちの子供たちに一番お金がかかる時期に自分の仕事がないわけですよ。
カッコつかないよね。
そこで私たちは仕事をできる場を提供しているんですよ。
その年金受給年齢の話をするとみんな納得してくれますよね。
私の考えていることは闇雲じゃないって。
だから、企業の方にスポンサーになってほしいんです。
社会のインフラがないから整えているんです。
~~~同行サポーターからの質問タイム~~~
一流のプロスポーツ選手はたくさん年棒をもらっていますけど、
怪我などが原因で引退した終わったスポーツ選手は
お金もないし技術もないじゃないですか。
先ほどのお話はビジネスマン向けですけど、
アスリートの人たちにはこのビジネスは展開していないんですか?
そういう意味では紹介していないね。
まず接点がないから。
スキルはいらないから、逆に元スポーツ選手の方々に参画してほしいね。
スポーツをやってきて情熱はあるはずだから
仕事を貫いてくれるような気がするよね。
ありがとうございます!
~~~同行サポーターからの質問タイム終了~~~
最後に当時29歳のご自身に向けたメッセージを色紙に書いてください。
本日はありがとうございました!