88人目 廣川知典さん:株式会社ライフェクト
会社名:株式会社ライフェクト
URL:http://ameblo.jp/lifect
公開日:2011年08月01日
今回の旅は、株式会社ライフェクトの廣川知典さんです!
読者向けにお仕事のご紹介をお願いします。
インターネット回線の販売および
マンション等へのインターネット設備の導入がメイン事業です。
昨年の秋からパートナー企業と合同事業を始めました。
マンションのオーナー様へ回線を提供するだけではなく、
様々なサービス提案をしています。
インターネット回線や設備導入の他に地デジアンテナ設置工事、
火災報知器設置などの防災関係に太陽光発電システムの普及です。
複合的な建物設備に関わるサービスを提供するために
動きだしている状況です。
起業のきっかけはなんだったのでしょうか?
28歳の時に個人事業主で独立したんですよ。
前の仕事は大手メーカーの開発部門で、
1日中コピー機を触る単純作業をしていましたね。
職場の人たちとも反りが合いませんでした。
僕には窮屈な組織で息苦しくなってしまった。
とりあえず、その会社から出たいという一心で、
交流会に足を運ぶようになりました。
たまたま都内の交流会で、とある社長さんから
「営業をやりませんか?」
って声がかかったんですね。
営業はやったことはなかったんですけど、
ちょっとやってみようかなと。
その頃は光ファイバーが普及し始めた時期でもありました。
見様見真似で営業をやり、
時期もよかったので個人事業主として
それなりにいい売上を出しました。
そして平成15年、29歳の時に売上も右肩上がりだし、
会社のほうが対外的に信用されると思い、
法人を設立したんです。
ただ、法人は必要か不要かで考えると
まだ個人事業でもよかったんですよね。
でも、いろんな人と接していくうえで
会社というバックボーンのほうがいろんな話ができるかなと思いました。
そもそも起業は意識されていなかった?
何かしたいとは思っていました。
単純作業の仕事で自分の性に合わない気持ちがだんだん出てきましたね。
何となくなんですけど、
いろんな人と会話して、
企画提案することをやってみたくなったんですよ。
ただ、それまで企画提案をやったことはありませんでしたが。
営業の経験も28歳くらいまでは全くなかったわけですか?
そうです。
若干ね、不動産業に行ったことはあります。
2か月くらいかな(笑)
軍隊みたいな会社で心が折れちゃって。。
営業はダメだと思っていましたけどね。
起業する以前は他にどんなお仕事をされていたんですか?
もともとは測量屋さんです。
3年ほど、作業着を着て現場で働いていたんですよ。
あとは実家の土木屋さんを1年間手伝っていました。
足袋を履いてタオルを巻いて現場作業です。
本当に現場のお仕事ですね。
もろ現場で体だけ使って頭を使わない仕事。
他には2年間、政治家の秘書の経験があります。
そこで対人関係や年配の人に対するやり取りを覚えましたね。
今回のインタビューのテーマは「29歳」なんですが、
29歳の1年間はどのような思い出がありますか?
29歳は一番いい時期。
会社の売上もそうですし、
いろんな人とお仕事でのお付き合いが広がりましたね。
そして、嫁さんとも出会いました!
すべての出会いが集約されているわけですね。
そんな転機ですかね。
当時は何もない所から電話一本で不動産屋さん、
マンション管理会社さんにアプローチして契約を取っていました。
そんなにすんなり取れたものなんですか?
電話一本で取れましたよ。
何か戦略があったわけですか?
他の人があまりやらないような自分なりの戦略です。
よくある、誰でもいいから無差別にやる電話営業ではなくて、
電話で明確な目的と何をしたいかを伝えることができたら、
結構、相手にしてくれましたね。
そのやり方でいろんなお付き合いが広がりましたね。
売上も順調に上がっていったことで
社員も何人か雇ったんですか?
それはなかったですね。
ずっと一人で仕事をしていました。
社員を雇うようになったのは2009年からです。
一人でやっていくことの限界を感じ始めたんですね。
それに組織を整備したほうが
いろんなことができて楽しいですから。
それで会社を広げ始めました。
では今までで、苦労したり、
これはきつかった。失敗したなという経験はありますか?
人事の部分は結構ありますね。
社員やアルバイト、業務委託を受けている営業さんとのやり取りで
ここ2年くらいはそれなりに苦労しましたね。
やっぱり、人ってすごく難しい。
本当に痛感しましたね。
望むような結果を得られず、
離れていったこともあります。
外注さんに仕事をやりやすい環境を提供しようと試みたんですが、
なかなかうまくいかなかったです。
最初は順調だったんですけどね…。
インターネット関係の市場が
やりづらい状況になってきたことも原因の一つです。
競合も急激に増えてきたのでは?
競合というよりは通信会社さんの方針かな。
コンプライアンスの強化やCSRの徹底など、
自分たちではコントロールできない外部要因。
厳しい監視体制とルールが年度ごとに変更していくんですよ。
僕がスタートした頃は、
何でもOKみたいなやりたい放題な時期でしたね。
始めた時期がよかったんですね。
よくも悪くもタイミングよく乗ってしまったわけです。
成功体験をなかなか払拭できませんよね。
そうかもしれないですね。
本当にいい時期に始めていましたし、
経験や知識もなく仕事ができましたから。
今後の会社のビジョンや方向性はありますか?
先ほど話したように、
マンションオーナーさんにインターネット回線を提供しています。
さらに回線だけではなく、
マンションオーナーさんのニーズを満たした
サービスコンテンツを導入していきます。
オーナーさんは50~70代の方が多いんですね。
ネット時代とはいえ、中にはアナログな人もいるわけです。
そのオーナーさんたちに手の届くサービスを届けていきたい。
「地域密着」をテーマに置いているので、
地域のよき相談相手といえる存在になっていきたいですね。
相模原の他に横浜にも拠点があるので、
各地域をカバーしていきたいですね。
今から5年後、10年後の明確な目標がありますか?
どうかな、非常に考えちゃいますね。
5年前は5年前で思っていたことがありましたけど、
状況は変わっていきますから。
5年前はどんな風に思っていました?
会社がどうこうはなかったな。
日々、自分の力で稼ぎ、しっかり財を築いて生きていくという
漠然とした思いしかありませんでしたね。
今はすばらしい仲間がたくさんいます。
社内に限らず、同業や異業種の仲間がいます。
彼らと共同体のような事業を創ってみたい。
それぞれが持っているフィールドを活かして、
共同体的な事業ができたらおもしろいんじゃないかと思います。
異業種の交流会もいろいろとやられているようですが、
交流会を始めたきっかけは何なんでしょうか?
最初は自身が扱う商品の販売をする目的がありましたけど、
それもすぐに変わっていきました。
個人事業主や経営者には仲間が必要だと思います。
交流会で売り買いだけじゃなくて、
仕事の概要や顔と名前がわかっているだけでも
後々の蓄積になっていくと思うんですね。
もともとは都内で交流会を開いていましたが、
それを一度中止して、今は町田に移しています。
ここは継続していきたいですね。
やっぱり、商売は繋がるか繋がらないかでいったら
繋がるに越したことはないですよね。
ただ、どのタイミングで何が繋がるかはわからない。
タイミングが訪れた時にパッと話したり、
相談できる人がいるのはすごく心強いですよね。
その関係はすぐに作れるものではないので、
交流会という環境があることによって、
話せる相手ができるのかなと思っています。
ちょっとした曖昧な会だからこそ、
気兼ねなく集まって、何気ない会話もできます。
明確にしすぎないゆるい会は非常に重要だと考えています。
確かにゆるい集まりの会のほうが
つながりやすいかもしれないですね。
交流会に来る方も参加しやすいでしょうね。
向上心と何がしたいかという自己発信があれば来ていただきたいです。
では現在の悩みや困っていることは何かありますか?
「ヒト・モノ・カネ」ですね。
どちらかというと、金銭の悩みがあります。
経営者であればほとんどの方がもつ悩みになりますね
いろいろ事業計画を立てて投資をしてきましたけど、
それと計画が合わなくなるとひずみが生じてきます。
それをどう修復しようかと考えています。
お金を追いかけてもお金の問題はなくなりませんから、
事業をどうにかすることで両方とも解決すると思っています。
今は「住環境サービス事業」というテーマで
太陽光発電システムの普及に力を入れています。
太陽光発電は節電の影響でニーズがあるんじゃないですか?
まだタイミング的には難しい状況ですね。
興味を持っている人はたくさんいると思います。
ただ、実際に太陽光発電システムを導入するのはいろんな壁があります。
まず、基本的に高価な買い物になります。
国や県など各自治体では補助金を出していますが、
それでもお客様の負担は大きいです。
安くても100万円以上しますので、
10~15年で償却していくことを考えると
ためらってしまうんですね。
まだまだリスキーなんですか?
不確定要素はありますね。
いかにその高い壁を取り払うかどうか。
日本メーカーのソーラーパネルの仕入れ金額は需要と供給の関係でまだ、
そんなに安くはなりません。
ドイツやカナダ、韓国などの比較的安いメーカーをうまく使いながら、
お客さんには低価格で高品質な物を提供していきます。
東日本大震災がきっかけでエネルギー問題に関して、
国会では再生可能エネルギー法案が可決されそうですし、
県や市などもがいろいろ動いているじゃないですか。
今よりも充実した補助金制度が出てきたり、
購入者に対して絶対得だと思えるタイミングがきますので、そこを見越して、
その普及曲線に乗った時、一気に売れると思っています。
今はその準備です。
取扱メーカーの中である一社は日本メーカーで海外製品のOEMを手がけています。
今、一番力を入れているメーカーさんです。
日本の家電メーカーと比べると名前は知られていないので、
ネームバリューの面では落ちますけどね。
製品がしっかりしてあって、
発電と売電もできて
ちゃんと補償されていれば、お客さんも納得していただけます。
日本のメーカーで限定するよりは、
お客さんが本当に望むサービスを提供していきます。
10代や20代の頃に何か夢みたいなものはありましたか?
あまり夢見がちではなかったかな。
測量会社に入社したのも工学部の土木科だっただけの理由です。
ゼネコンに行くか、道路会社に行くかなどで測量会社を選択しました。
本当に何がやりたいのかまったくわからなかった。
個人事業主になってからのほうが
いろいろしたい思いがありますね。
廣川社長も今どきの若い人だったんですね。
まさにそうですね。
かといって、大きい会社にしたいという思いはあまりない。
自分の周りには経営者が多いですけど、
小規模なスタイルで経営をしている人が多いですね。
その人たちと共同事業体を創って、
何か一つのことを取り上げて事業をやるのは楽しいかなと思います。
あとはみんなで箱根とかに行きたいな。
共通項目を作って、何か目標を達成したら、
1泊2日でみんなと一緒に行けたらおもしろいでしょうね(笑)
運動会もおもしろいし、ライブもやりたい。
それぞれグループを作ってね。
音楽をされていた経営者の方もいますもんね。
僕はまったくやったことがないけど、
ギターをやってみたいですね。
大人版の運動会や学園祭、ライブをやりたい。
若い頃はご自身も悶々としていたとのことですが、
現在の悩める若者たちに向けて何かアドバイスはありますか?
夢はムリに持たなくてもいいんじゃないんですか。
目の前にある与えられた使命や役割を
一生懸命やっていくと道が開けると思います。
今やるべきことを何となくこなしていると
その時間ってもったいないじゃないですか。
安い給料かもしれないけど、
自分なりに意味を見出して、その会社でやるべきことを
一生懸命やると次のことが見えてくると思います。
学生であれば勉強をがんばる。ということですね。
「勉強って何の意味があるの?」
って考えちゃうと
意味なんて何もない勉強も沢山あると思います。
でも、自分に必要なことだと思って、
勉強していけば、何かが見えてくるかな。
若いサラリーマンの人も夢を持てないかもしれないけど、
一生懸命やっていけば何かの道が開けると思いますね。
ただ、高い志を持ちすぎちゃうと、
そのギャップで挫折を感じちゃうかもしれない。
自分も世の中に貢献しようという志を持ちすぎて、
「本当にそれをしたいのかな」
と考えていた時期もありました。
だから、自分のレベルより一歩二歩上の目標でいい気がしますね。
ムリして夢を持たないほうがいいと思います。
自分のしたいことをして、
遊びたい時に遊んでいけばいいと思います。
ただ、せっかく仕事をやるなら嫌々やらず、
営業の人ならお客さんに対して精一杯尽くしてください。
管理部門の人なら営業さんたちに対して、
仕事のやりやすい環境を一生懸命作っていく。
では当時29歳のご自身に向けたメッセージを色紙にお願いできますでしょうか。
「お金は一時、友は一生の宝物」
いつもその言葉を意識されているんですか?
プライベートでは同級生の友達がいますし、
仕事関係では事業者仲間もいます。
友達や仲間がいるだけでありがたいし、安心できますよね。
交流会を開くのも仲間との連携を大事にされているからですね。
その通りです。
本日はありがとうございました!