3人目 四ノ宮浩さん:有限会社オフィスフォープロダクション

四ノ宮 浩さん
会社名 有限会社オフィスフォープロダクション
URL http://ameblo.jp/basura-movie/
公開日 2009年12月22日

3人目!
数々のドキュメンタリー映画で世界中に名前が知られている四之宮さんのオフィスへ!

あさいちゃん。どうしたの?なに?

いや。お電話でお話させてもらったと思うのですが、、、
今、僕が29歳なので、多くの先輩方は29歳の時、そして20代の時。
どんなことを考えていたのか。どんな行動をしていたのか。を聞いていきたいなと思っています。
そして若い人達にも少しでも元気や勇気を与えられるインタビュー企画になれればと思って動いてます。

俺、経営者ギブアップしたからねぇー(笑)

いやいや、そんなこと言わずに(笑)
早速ですが、20代最後。29歳から30歳のとき、覚えてますか?

20代が終わるときはなにもなかったね。
何も考えて無かったよ。
ただ、29歳、30歳とか。その辺が一番大切だったんじゃないかな。
ちょうど僕も30歳の時にフィリピンに行ったんだよ。
1958年生まれだから1988年。
フィリピンに行って限界を超えたから現在(いま)があるよね。

その頃にフィリピンに行かれたんですね。

そう。
だってさぁ、、もう日本にいちゃダメなんじゃないの?
だいたいね。30歳くらいで自分の仕事が決まるというのが通常のパターンだろうから。
自分達は何の仕事をずっとやっていきたいのか。という事が決まってくる。
30歳か31歳くらいまでに決めないとまずいと思う。
そのために、自分の限界を超えること。
フィリピンは自分の限界を超えるのに最適なところだったよね。

ほぅ。。

あとは、動いてるだけじゃダメだと思う。
それよりは自分の限界をこえるということ。
それしかないと思う。
そうすれば自分の道が見つかってくると思う。
僕もそうだったよね。
20代の後半。26、27歳くらいで日活とかで監督させられて。
「これでいっぱい映画撮ろう。」
と思ったんだけども、いざやってみると「人間性」がわからない。
自分自身が大変な苦労をしていないからわかんないだよ。
そして、何を撮っていいのかわかんなくなって、フィリピンに行って。
たまたま出会ったスタッフの一人がうちの愛する女房だったからさぁ、今、こうして続けられてやってこれたけれど、そうじゃなかったらやれなかった。
大切なことは、愛する人を見つけるということと、自分の限界を超える。
その2点じゃないの。
愛するってどういうことかっていうと、自分を犠牲になっても良いと思うこと。

奥様の存在というのはやっぱり大きいんですね。

いやもう凄いと思うよ。そりゃ。間違いないと思うね。
そうじゃないと大変な状況で、何回も日本に戻って来たかったんだけど女房がいたから支えられたよね。

先ほどから出てくる、限界を超える。という言葉ですが、監督の「越えた」と思った瞬間ってなにかありました?

あったね。
フィリピンのゴミ捨て場に住んだことがあったんだけどさぁ。
その時が「越えた」と思ったよね。
2週間目くらいに体をおかしくして、肉体的な限界だった。
そんな経験があったから今やっていけるようなもんだと思うよ。
その限界を超えたときにどういう風に思ったかというとね。
全てにわたっての答えが出たんだよ。

全てですか?

そう。全て。
自分なりにできることや大切な事、自分の道。
全部に渡って全ての答えが出た。
それって日本に住んでいるとあまりないと思う。
辛いことだよね。
辛いというか、自分の足元がわからないというか。
何の為に生きて、何が大切か。がわかるかどうかだからね。
若い人たちは絶対に越えなきゃダメだよ。
日本にいちゃダメだよ。どうせ日本にいても仕事ねーんだろー?(笑)
日本のことをわかりたければ、外をみて、日本を忘れる位、居ないと外から見れないよね。
大切な事は「自分の限界を超えること。」
これが全ての結論だよ。

そういう意味ではフリピンはすごくいい場所だったんですね。

そりゃそうだね。抜群の場所だったと思うよ。
だってさぁ。世界中で一番、環境が悪いゴミ捨て場。
さらにフィリピンの国自体、一番貧しくて一番危険だといわれているという地域だぜ。

そうですよね。。

それにフィリピンというのは家族を凄く大切にするわけ。
家族、親族、親戚、擬似家族。それが一つの家族なんだよ。そこに入るのが大変。
そこに入らせるまでにいろんな仕掛けがあるわけだよ。わざと。
人を試すわけ。本当に信用できるかどうか。
ただ一回入っちゃえば、そいつが悪い事をしたって、何したって、全部かばってくれるよ。
その代わり、家族以外の人は虫けらと思う。
それくらい繋がりが強い。
だから日本のヤクザやさんが憧れるんだって。
金じゃないところ。
義理人情がすごいからね。
それが日本には無い世界かもしれない。
自分と家族は同等だ。
自分が犠牲になっても家族の為にと思えるかどうかだよね。
家族を愛するってことだよ。
それが出来ないのが日本なんだよ。豊か過ぎるから。

20代の頃にフィリピンに出会ったというには転機だったんですね。

大転機だったね。
それが無ければやぱり人前で話もできないしさ。
何が正しいか。自分なりの答えが何でもあるんだよ。
それが自分の限界を超えたからだ見つかった。

20代の頃から映画でやってやる!という気持ちだったのですか?

20代の頃は映画と言う気持ちはなかったね。
映像中心だったけれども、天井桟敷といって、寺山修司の元に居たり、エッチなビデオも撮ったり、コマーシャルも撮ったり、企業PRとか、日活も撮ったりしていた。
ただ、映画でやっていこうとは思ってなかったよね。
さらに、ありとあらゆるアルバイトとかしてたね。
新宿の路店の花売りもやったり、飲み屋でもやったし、工事現場。
ありとあらゆる事をした。
家をなくしたこともあって、放浪。
人の家を転々として、「こりゃ辛いなぁ。」って思ったね。

だけど、そういうことをやってもダメ。
一つの限界を越える事の方が大切だなぁ。って思うよね。今の気持ちとしては。
だって一つの限界を超えたことで色んな答えが出るからね。

できるだけ早く超えた方が、人の上に立つ仕事が出来るんじゃないのかな。

20代を振り返って、最大の失敗、苦労は?

それはいつも失敗だよね。
そもそも失敗とかってあんまり覚えてない。
いつも忘れるようにしてる。
それが仕事なんだよね。
映画の編集とかもしてるから、昨日のことを覚えててもしかたない。
わざと忘れる。
そして、「これは無理だな。絶対にできない。」
ここがポイントだと思うよ。
それをやるんだよ!
それを一生懸命やっていくってこと。
それが一番だよね。

 

では、上手くいったこと、成功体験は?

20代の頃はまだ自分の限界を超えてないから、全て陽炎(かげろう)みたいなもんでさ。
まともじゃないんだよ。
人間になってないわけだから。
人間としてしっかりと足をついたのは限界を超えてからだよ。
そこまでは陽炎。
全然大変な苦労をしていない、限界を超えていない為に、ウロウロウロウロしてるわけ。
限界を超えたときから自分の足元がちゃんとみれるし、生きるってことも真剣に考えるようになった。
そして家族ができたことで、大きなことになっていくよね。
自分が犠牲になってもいいなと思える女に出会えて、子供が出来てさ。
子供が生まれた瞬間にさ。あぁ。これで自分は2番目になったな。って思うわけ。
その感覚ってあったね。
だからずーっと今でも2番目だよ。

ちょっと自分の理解力不足か。。質問と答えが噛み合わない感じもしますが、次いきますね(笑)

監督はそもそも20代の頃、夢とかはあったんですか?

無いね。一切。
適当に生きていければいいな。って思ってた。
強いて言うなら、いい生活をするとか、お金持ちになってということが夢だったんじゃないのかな。
ただ、フィリピンにいってそういうことは全て飛んだよね。
どういう風に飛んだかといえば、子供らが死んだりして、家族の為に死ぬまで働いてるわけでさ。
それはすごいよなぁ。というインパクトがあったから、夢とか変わったよね。
14歳のノーラって言う少女がさ。
お父さんが病気で家族が困っているんですと。
お父さんの命を助けてください。
私の命を少し短くなってもいいから。
と言ってたんだよね。
ビックリした。
自分を犠牲になってもいいと、どうしてそこまで言えるのか。
貧しい子供達。そこが自分の転機だった。
命までも犠牲にしてもいいと思ってる。これはなんなのかなって思ったからね。

適当に生きていければ、って意外でした。最近の若者は。と言われているいまどきの子と変わらないですね。

 

だってさぁ。なにやっても食えてたんだよ。
仕事いっぱいあったから、どんな事でもできたし。
どんなことでも食べられる時代だったからさ。
だから何やってもいいやーって、そう思ってたね。20代は。
今はそれこそ違うかもしれない。大変な時代かもしれないけどね。

さて、今の映画の会社を作ろうとおもったのは?

流れだよね。
会社自体、自分で持ってたんだけどね。
1986年くらいからね。色んな映像製作の会社を。
本格的にやりだしたのは映画が終わった95年公開から。
前の会社をずっと引き継いで。
じゃあもう20年くらいになるんですね。
なるんじゃないの。いや、もともと「有限会社オフィスフォー」というのを持ってたんだけど。
その時は資本金が300万円にならなきゃダメだ。
という時代があって、
「そんなのおかしいじゃないか。」
と思って黙ってたら、会社が無くなっちゃったんだよ。
抹消されちゃったんだよ。

抹消ですか!?

そもそも勝手に国の政策で資本金300万にしなきゃ有限会社はダメだ。
なんて、そんなのふざけたもんだなぁ。と思って黙ってたらさぁ会社がなくなってたんだよ。
それに気づかずしばらく。
で、2001年に登記し直して、今の形。
有限会社オフィスフォープロダクションとしてやってるわけ。

監督は20代の頃、影響を受けた人や先輩は?

先輩は寺山修司だけど。

ではやはり影響は凄く受けられました?

いや。無いね。影響は無いね。

どうしてそう思われます?

いや。。無いからだよ。

影響を受けた本とかは?

本はよく読む人間だからねぇ。
一日1冊とか。
だからねぇ。わかんないねぇ。
ただねぇ。本を読んだって残らないから。
残るものっていうのは、自分の心についた傷とか大変な想いとか。
最高の喜びとか。そういうのしか残らないよ。
だから自分の体験が一番なんじゃないの。
自分を犠牲にした経験だとか、人を愛した経験であるとか。
そういうことじゃないの。
残るものが自分の生きる哲学になるわけだからさ。
本を読んでどうのこうのじゃないよね。
本はあくまでも本でしかないからさ。

あさいちゃん。
ママチャリでフィリピンに海渡ってくればいいじゃん。

話、ぶっ飛びますね・・・・
監督は今、悩んだり困ってることはあるんですか?

一番の悩みっていうのは、いつもお金の事なんだよね。
それ以外は一切ないんだよ。
だから、お金と情報と石油、エネルギーにコントロールされない。
頼らないで生きる世界をつくらなきゃいけないとおもうんだよね。映画で。
じゃないと、みんなコントロールされてるからさぁ。
何の為に生きてるんだよ。って思うよね。
夜中1時頃に電車に若い子が仕事帰りで疲れて帰っているのをみて、そりゃ頭おかしくなるのは当たり前じゃない。って思ったね。
もうちょっと楽な生き方ってないのかなぁ。って。
バカらしいよなぁ。色んなもんにコントロールされて。
生きるってコントロールされるってことじゃないからね。
率先して、自分がやりたいことをやることだからさぁ。
だからフィリピン人は自分が好きなことしかやらないよね。嫌な事はやらない。
嫌な事やったって、寿命縮めるだけじゃない。
生きることって、目に輝きがないと。人の為にね。

なるほど。

好きなことをやって生きる。っていうのがこれからの時代の生き方になっていくんじゃないの。
いまって新しい時代の変わり目かもしれないよね。
人を助けてお金がもらえたらそりゃ嬉しいよ。
やっぱそういう仕事がいいよね。
映画をとって、相当な人間の生き方を変えてる。そういうのが大切だと思ってる。

あさいちゃん。楽しそうだよね。
うちのスタッフになる?

また、えらい話、飛びますね。。
やりませんけど、ちなみにどんな事を?

なんでも。
自分、社員抱えてますし、社員を守りたいので、スタッフ以外で何かお役に立てることがあれば何でもしますよ(笑)
四之宮浩。今年売れると思うよ。

今年、もう終わりますけど。

来年。

売れる??監督は今後、どういった活動を?

3月まではバスーラの家を作って、子供達の予防接種と救助プログラムをきっちりとやる。
子供達の命を助け、日本語を教える教育をする人材を確保して終わりだよ。僕の仕事は。
その後は僕は日本で映画を撮る。って決めてる。
来年の4月から。
自然の中で暮らす様子。
情報やお金。色んなものにコントロールされない世界で生きていく。ってことをね。
生きるって、感じる体験をしていかなきゃね。

今の親の世代って、飯が食えなかったとかありえないんだよね。
戦争体験をしてなかったりするしね。
その極限状態になったときの思いってあるからさぁ。
なんにも大変な思いをしていないんだよ。
それってまずいんだよ。
その親世代からは何一つ学ぶ事は無いって思ってるからさぁ。

だから子供がかわいそう。
子供が学べない。親から。

それは辛い。
便利になるってことは失うものも沢山あるよね。

これからは、そういう映画を撮りたい。

では。最後にお願いがあります。
みなさんにお願いしているのですが、好きな色紙を選んでいただき、一筆書いていただきたいと。
未来を担う若い子に。ちょっと元気のない大人に。
多くの人に勇気・元気・やる気・無邪気・本気がステキな未来へ繋がるように。
強く思っている言葉や信念。イラストでも構いません。
よろしくお願いします。

あとは、

「日本の若者が世界を変える。」だね。

是非頑張って欲しい。
こういうことをやらないと、子供達の命が失われていくからさ。

今日はどうもありがとうございました。


ママチャリで日本一周している経営者
■Profile:(2018年時点)
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指すこと11年目。ほぼ一周を終えつつ、まだまだ走り続ける口実をつくるべく、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人1団体の理事として活動中。
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