9人目 黒沢 勉さん:株式会社ライズグループ

黒沢 勉さん
会社名 株式会社ライズグループ
URL http://ameblo.jp/jinseiseikoujuku/
公開日 2010年01月25日

今回の旅は株式会社ライズグループの黒沢 勉さんです!
今日はどうもありがとうございます。
早速ですが、ずばり29歳のときは何をされてましたか?

29歳っていつになるかなぁ……。平成8年くらい。
何をしていたかって言うと、もう、仕事、バリバリ!!

どういった仕事を、当時はされていたんですか?

不動産会社、前職で、マンションの販売の仕事。
取締役。営業本部長をしていましたね。
18歳からずっと不動産業界でやってます。

他の業界はやらずに、ずっとこれ1本でされてたんですか?

そうですね。不動産の仕事1本ですね。

20代最後の日、29歳~30歳に切り替わる誕生日のとき、何をされてましたか?

がむしゃらに仕事をしていたと思うんですね。

誕生日の日も?

はい。あんまり、僕は記念日とか、そういうのはあまり、なんとも思わなかったんです。
仕事をして……、仕事が終わってから、たぶん飲みに行ったと思います。
今は、家族、社員、取引先、パワーパートナーの記念日は盛大にお祝いしていますよ(笑)

今とあまりスタイル変っていないですか?

あははは、今はほとんど夜のパトロールはしていませんね(笑)

30歳になるぞ!っという思いや、気構えはなかったんですか?

その時点で、30歳になるんだっていうのは、気にしたことが無かったですね。
がむしゃらに仕事をして、あっという間に過ぎた。
そんな感じですね。
ただ、20代から、30代になって、年を取るのが早い。
35歳を過ぎたら、もっと早いですね。
20代のときよりも、30代の方が、1日1日が早いっていう…。
一年があっという間。
本当にあっという間に終わってしまいます。

では、29歳から30歳になる誕生日は、盛大にパーティとかしなかったんですね。

パーティはしたのかもしれないんですけど、、、。たぶん。
仕事をした後に、夜の、パトロールに行ったんじゃないかなぁ(笑)

これ書いても、大丈夫ですか?(笑)

全然大丈夫です。全然構わないですよ。

仕事をがむしゃらにされる、想いとか、目標があって、仕事をやられてたんですか?

そうですね。あとから、夢とか20代のときの、夢とか、目標とかにも出てくるんですけど。
18歳からやってて、とにかく、ものすごく厳しい会社に入った。
他と比べるものが無いですから。転職もしたことがない。
その道1本しかやったことがないから。
仕事ってこういうもんなんだ。って思ってたね。
たぶん、自分の願望が、仕事が一番だったんでしょうね。
やっぱり、仕事で満たされないと、力の欲求が強すぎちゃって。
仕事で達成できないと、満たされない。
それは今でも変らないんですけどね。
とくに20代の頃って、若かったんで、そのことだけを考えて。
とにかく自分の決めたことをやらないと、気がすまない性格なんで。

しっかりされてたんですね。

20歳のときに、目標があったんですよね。
その会社の社長を目指していて、とにかく、その人の記録を抜こうって。
だからその社長が部長になったのが26歳だったんですけど、僕が部長になったのは23歳。
僕は26歳で、営業本部長になって役員になったんですよ。
その会社の社長の記録を抜くことだけを考えて、がむしゃらにやってました。

そこがモチベーションの原点だったんですね。

あとは、とにかく、「会社を日本一にする!」ということ。日本一の販売会社を作るとかね。
とにかく熱かったですね。仕事に関しては。

今の若い人たちは、そこまで熱くなれるものがないとよく言われていますが。

そうですか?自分の周りには熱い人が多いですよ。
ただ、たしかに一般的にいうとね。
冷めている人が多いとか、ちょっと考え方が違うとか。
いろいろ言う人がいるけど、たぶんそれって、僕らが若いころも、言われていたんじゃないかなって思いますよ。

実際に、当時も、周りにはそういった人がいましたか?

やっぱり、そういう人間もいましたし。僕ががむしゃらに仕事しているときも、同じ20代でも、まったく冷めてるなぁ、みたいな人もいましたからね。

そこに引っ張られなくてよかったですよね?

そうですね。
僕は高卒で入ったので、逆に、僕が22歳で、大卒で入ってくる人がいるじゃないですか。
4年のキャリアが、僕にはあるわけですよ。
そのころの4年って、がむしゃらにやっている4年だから、めちゃくちゃ結果が出ているわけです。
だから、大卒の人間には負けたくないって気持ちが、すごくあってですね。
自分と同じ年なんだけど、大卒で入ってきたら、みんな俺の部下だ。みたいなね(笑)

考え方もぜんぜん違いますもんね。

そう。
逆に、彼らが、大卒で入ってきて、僕の年を聞いたときびっくりしてましたから。
僕22歳くらいで、部長代理って役職で、12人くらい部下いたんですよ。
そのときに新卒で入ってくるわけじゃないですか。
当然、僕を見たら、たぶん30代か、40代のおっさんだと思ってるわけですよ。むこうは。
実は、話してみたら、君たちと年一緒だよって。
むこうは「えー!?」ってびっくりしてましたもんね。

貫禄あったんでしょうね。

その瞬間に、勝ったなと思いましたよ(笑)
目的達成だと。(笑)

当時、高卒っていうのは、少しコンプレックスになってたのですか?

あんまりなかったですね。
逆に20歳になるまではありましたね。
若いっていうコンプレックス。
やっぱり、売ってる商品が高額でしょ。
不動産なので。売れない。
20歳くらいまであまり芽が出なかったので、自分の年齢のせいにしていました。
「若いから、信用してもらえない」とか、「若いから売れないんだ」とか。
僕が目指していた社長が、当時は専務だったんですけど、その人に言われたんですよね。

「お前は、20歳まで遊んでていい」

って。

たぶん、僕の性格を知っていたんでしょうね。お前は、お豆みたいなもんだと。
グリコのおまけみたいなもんだと。
「だから、20歳になるまでは、そういう言い訳をし続けてていいよ。」
って言われたんです。
それで、僕、スイッチが入ったんです。

スイッチですか?

1人の人間としてまだ認められていない。
自分が言い訳を言っているから、そういう風に言われるんだなと。
そこで、スイッチが入ったんです。
歳を言い訳にするのはやめようと。
そこから、僕はプロ意識をもった。
逆に、20代で、出来る事、誰もやっていないような事を、20代でやろうって。
頭を切り替えたんですよね。
目の前に目標となる社長がいた。
その人が26歳で営業部長になったという姿を知っていたので。
この人でもなれるんだったら、俺でもなれる!俺のほうがチャンスがある!
俺は18 歳からこの仕事をやってるんだから。
そういう風に頭を切り替えて、とにかくノートや手帳や机とかに、色んなものに書きました。

「24歳までに営業部長になる!」って。

なるほど。目標を明確にしたんですね。

この時計。当時の思い出のもの。
報奨金で、20歳のときに買った時計なんですよ。カルチェの時計
当時80万円くらいしたんです。

20歳で!?今日、この為にわざわざ付けてきてくださったんですか?

そう。これは初めて、自分で稼いだ報奨金で、給料以外にもらった報奨金で初めて買った時計。
思い出の時計なんです。
自分の形見のようなものですね。

ところで、なぜ、社長に?もともと願望とかがあったんですか?

実は、社長になろうって願望はあまり無かったんです。
前の会社のときも、とにかくその会社を日本一にして、自分は日本一の社長のNo2を目指していた。
ヘッドハンティングとかいっぱい来てたんですけど、全部お断りしてね。
僕は、お金じゃ動かないからって。
それで、会社を続けてたんですけど。
世の中、バブルが崩壊して、その会社自体もいろいろと問題が出てきて。
最終的にはお客さんに対して、ご迷惑をかけるような事態になってしまって…。
そうすると、あれだけ、求心力のあった社長でも、だんだん、人が離れていって。
どん底までいくと、人間ってやっぱり、正体がわかるっていうかね。

本性がわかるまでは、その社長さんのどこに魅力があったんですか?

とにかく格好よかった。
その人がしているような髪型を真似たり。
その人が着ているようなスーツを真似たり。
しゃべり方とか、態度とか、とにかく何でもできることは、真似をして。
そうすれば、その人に近づくんじゃないかって。それは、大きな勘違いだったんですけどね。
その人は、当時何歳くらいだったんですか?
当時だと、30代でしょうね。僕が20代で。
7つ…、8つくらい僕の上なんですよね。

どん底で正体がわかったとのことですが、どのような?

やっぱり、人間って切羽詰ると、何を一番大事にするかがわかる。
信頼とか、信用してたものとか。
当時、組織としては一体感があった。
ひとつの目標に向かって、みんなが動いていたわけ。
ただ、金の切れ目が縁の切れ目じゃないですけどね。
そういう状態になって、自分たちも満足に報酬が貰えない時もありました。
給料が遅延しているとかね。
そんな中でも頑張ってやっていたんですけど。
化けの皮がはがれるというか、人の裏表が見えてしまった。
本当にこの人たちについていって、自分は幸せになれるのか?

33歳くらいかな。
その時に初めて、自分の人生について考えるようになった。
「会社が良くなれば、自分の人生も良くなるんだ。」
と思っていたんだけど、
「会社が良くなるとかならないじゃなくて、自分の人生をまず第一に考えて、色んな事を選択していかなきゃいけないんだ」
その時に初めて、ある種の洗脳が解けたような気持ちになったね。
やっぱり、いい社長に、いい考え方で洗脳された方が、若いときは絶対にいいと思う。

なるほど。身にしみます。

僕はもう徹底的に洗脳されましたから。
洗脳されたんだけど、やっぱり、気がついたときに悪い洗脳だった。
まあ、一種の宗教みたいなもんですよ。(笑)

会社って、ある種の洗脳というか、そういったものなのかもしれないですね。

そう。もう営業の世界なんか特にそうですけどね。
そこまで宗教チックに洗脳されてでないと、できないっていうかね。
いい方向に向けばいいんですけどね。

そうですね。いい方向に向いているところは、伸びていきますからね。

自分の中でね。お客さんにご迷惑をかけたっていうのが一番きつかった。
一生懸命やった事が結果的に、お客様が不幸な事になってしまったっていうのが堪えられなかった。
見た目と違って真面目なんですよ。僕。(笑)
お金を追いかけていた時期もありますけどね。
でも、やっぱり、お客さんがいるから、自分が稼げてるんだ。
って気持ちは、若い頃からずっとありましたね。

では、20代のころを振り返って、最大のミスだったりだとか、最大の後悔は何かありますか?

1番は、……お金の失敗。
20代のとき考えられないような年収もらっていました。
とにかく悪銭見に付かずじゃないですけど、使いまくるわけですよ。
当時、バブルで、23、4歳くらいの時で、一番売れていた時。
その状態で、生活レベルが上がっちゃうと、ずーっとその状態が続くと思っちゃうんですよ。
で、一番悪い考え方が、
「何とかなる」
売れば何とかなる。売ったらまた、お金もらえるから。
売るために投資をする。
投資って何かって言ったら、遊び、、、なんですよね。

遊び?

しなくていい投資。財テクとかの投資じゃない。
今思うと、ストレスなんですよね。
仕事ばっかりやっていたんで。ストレスのはけ口を夜の世界とか、ばくちとか。
自分のストレスを解消していたんだと思うんです。
で、結局気がついてみたら、もっていたお金が全部底をつき。
気がついたら、逆にマイナスの貯金ができていた。
お金を追っかけて、騙された事もいっぱいありましたしね。
あの時のお金がもし今残っていたら。
都心のビルが一棟くらい買えるかもしれないですね(笑)

20代でそんなお金を持ってしまったら、勘違いしていたんじゃないですか?

当時は、相当勘違いしてましたね。
僕に魅力があったんじゃなくて、僕が持っているお金に魅力があって。
特に女の人なんかそうですよね。僕のゴールドカードが魅力だったんでしょうね(笑)
アメックスにはブラックカードをもらってもいいくらい貢献しましたよ。

その経験はうらやましいです。

だから、逆に今はね。失敗だとは思ってないんですよ。
全部今からすると、キャリアだと思ってるんですけどね。
自分が上手くいっていないときは失敗したなぁと思うんですけど。
今、自分の心が満たされていると、それもキャリアでいいや。みたいなね。
ただ、今の社員にはそういう事はするな!って言ってる。
徹底的に言っています。自分の経験があるからこそ。

どういう風に切り替わられましたか。過去と現在(いま)とを比べると。

自分が経営者として、何を大事にして守っていかなければいけないのかということ。
まだまだ、自己中心的な考え方をしていた。
でも、やっぱりそれじゃダメなんだなと。
モヤモヤしていたものが、アチーブメント株式会社の青木先生と出会って、バシッと筋が通った。
こういう生き方をしていけば、自分もこの人みたいに「物心共に豊かな人生」を送れるんだ。って。
そう思ったら、やっぱり、まず、行動を変えないとダメだなってね。

時間はかかります。
悪い思考のままやり続けてても、上手くいかないです。
どこかでやっぱり能力開発をしないと、だめだなってね。最近つくづく思いますね。
そういう人に出会わなければ。
メンターがやっぱり必要。
特に若い時、とにかく僕は、20代はがむしゃらに仕事をやったほうがいいと思う。
でも、20代にいいメンターをもつことも必要。
もし、いま20代に青木先生みたいなメンターを引っ張って戻れるなら、相当上手くいってますよ。

36歳で会社を立ち上げられた。そこに至るまでの経緯をきいてみたいのですが。

正直、本当にこの仕事をやり続けていいのか?という疑問が若干あった。
ある時、自分のお客様で、僕が20歳の時にご契約していただいた方で、今は年齢で86歳。
上場会社の社長さん。その方に相談にいったんですね。
実はもうこの業界から、足を洗おうと思っています。と。
「何でだ?」って言われて、
「前の会社で色んなお客さんに買ってもらったんだけど、バブルを期に、世の中が崩壊してしまって、自分が思っていたことと違う世の中になってしまい。売ったことで、逆にお客様に迷惑をかけてしまった。その責任を取るのに、辞めて、自分がこの世界から身を洗ったほうがいいのではないか」と。すると言われたんです。

「それは、あなたの考え方だろう。じゃあ、残されたお客様はどうなるんだ。俺もあなたのお客さんだ。俺はあなたに面倒を見てもらいたい。バブルというものは、あなたがつくったものじゃない。ある種世の中が、世界が全体が、とくに日本全体がバブルだ。国策みたいなものだ。それをあなたが一人で責任を取るといったって、責任は取れんだろ。あなたの責任の取り方って、そうじゃなくて、ずーっとお客さんの面倒をみていくことが、あなたの責任のとりかたなんじゃないのか」

そこでハッとしたんですよ。なんか格好いいこと言ってたけど、結局自分は逃亡しようとしていただけ。それは責任の取り方じゃないと。またそこでスイッチが入った。よし、やろう!って。
今の企業理念にあるように、『お客様の人生の向上に貢献する』
そういう会社をとにかく作っていこうと。
もう、お金のためだけに仕事はしないって決めてね。それで今の会社を作ったんですよね。

そのスイッチが入っていなかったら、もしかしたら、業界からやめていたかもしれないですね。

本当にそう。そのころ、財布の中に、1000円とか2000円しかない時代もありましたから。
こじきみたいな生活をしていたときもありましたよ。

30歳を過ぎてからも?

うん。ありましたよ。

離婚もしたでしょ。家賃が払えなくて、不動産の同業の会社に追いかけられる始末。
それこそ、女房には逃げられる。家賃も払えない。クレジットカードも使えなくなる。
そういった経験もしましたから。
初めてですね。僕が弱気になったの。
もう、死んでもいいかなって思ったんです。それくらい辛かったです。

よく這い上がってこれましたよね。

やっぱりね、…親の愛なんですよ。
僕は18歳から1人暮らしをしていてね、親と人間関係がうまくいってなかったんです。
家が貧乏だったっていうのもあった。
中学校くらいから、新聞配達をして、稼いだお金で、特攻服とかを買ったり(笑)
ほとんど、コミュニケーションはとらなかった。
ただ、僕が本当にどん底の時に、何も言わずにね、「帰ってこい。」って言われたんだよね。

会社を作る際のお金はどうしたんですか?

お金出してくれたのはお客様なんです。

僕のために投資してくれたの。
その人のためにもやっぱりがんばんなきゃと。
人間関係は、僕にとっての最大の財産ですよね。
素晴らしいことわざで、「金を残すのは下。会社を残すのは中。人を残すのが上」
とにかく、人が裏切っても、僕は裏切らない。特にお客様はね。
この業界25年目なんですけど、25年前のお客様といまだに付き合ってますから。

本当にお客様を大切にされてるんですね。涙がでそうになりました。感動しました。

自分のいちばん悪いことを今話せるって言うのは、自分がよくなったっていう証拠なんですよね。
自分がいいと思えないときって、隠したがるんですよ。
自分の一番悪いときは誰にも言いたくなかったです。
自分に余裕が無かったから。
でも今、正々堂々と言えるのは、心なしかに、自分が求めているものが手に入ってきたので、そういうこともあったよ。って言えるようになったんです。

黒沢社長のような経営者が増えると素敵な世の中になるんだろうなぁと思います。

お金を稼いでも、大事なものを失ったら意味が無いでしょ?
僕もやっぱり、お金がすべてだと思ってましたから。
本当に若いころは、お金だけが信用できる。
人は信用できないけど、お金だけが俺を助けてくれると、本当に思ってましたからね。
だから、その…、長渕剛さんの「金カネカネと金を追いかけたら」っていう僕はあの歌(長渕剛/RUN)大好きなんですよ。自分のこと言われてるみたいで。

では、今後、会社も含めて、どういった方向性で?

理念経営というものを今勉強している。
自分の家族と社員とその家族と、お客様、取引先、パワーパートナーと言われる人たちを自分が守っていく、幸せにしていくということが大前提。
浮かれること、一喜一憂することなく、そういう人達の成功が、自分の成功だって思えるように。
やっぱり、中小企業が元気じゃないと、日本も元気にならないですから。
その中から、最終的には社会に貢献していけるような、そういう経営を目指してやっていきたいなと思っています。

最後に、これからの未来を担う人達、今、ちょっと元気の無い人達に送る言葉をお願いします。

毎朝、朝礼で話をしている言葉。
とにかく仕事も圧倒的なスピード。量、質。
若い人が迷ってるとか、就職できないとか、夢が無いとか。
マスコミや新聞が言ってるんですけど、僕はそれは違うと思う。
やっぱり環境が変われば、絶対に人は変わるんです。
環境があるわけなんですよ。
そういうところに自分から行くとか。なんとかツテを使ってでもいいから。
上質な世界にとにかく足を踏み入れていけば、絶対に自分が変わるきっかけがある。
みんな変わる可能性は持ってる。
一歩踏み出す勇気。
世の中で、一人の人間として、価値が無い。っていうのは絶対に無いので。
みなさん、がむしゃらに頑張ってもらって、もっとこの国が良くなっていくように。
戦争している国もあるわけですから。
平和だってことだけで幸せなんですからね。
自分を信じて頑張っていただきたいなと思います。


今日はどうもありがとうございました!

ママチャリで日本一周している経営者
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指しています。ほぼ一周を終えつつ、ゴール目前で、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人の理事として活動中。
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