14人目 上原 一徳さん:ビジョンオフィス株式会社

上原 一徳さん
会社名 ビジョンオフィス株式会社
URL http://ameblo.jp/ueharakazunori/
公開日 2010年02月19日

今回の旅はビジョンオフィス株式会社の上原一徳さんです!

29歳の時に何をされていましたか?

不動産鑑定の仕事をしていましたね。サラリーマンです。
もともとはエンジニアで、ホンダでテストドライバーをやってました
ホンダには新卒で採用されて2年数ヶ月、25歳まで在籍していました。
その後、26歳の時に宅建の資格を取って、27歳で不動産鑑定士の二次試験に合格して、ある大手の不動産関係会社にてサラリーマンをしていました。
独立したのは約13年前で96年、翌年に法人化しました。32歳の頃かな。

もともと独立される気はありましたか?

ないですね。29歳の頃何を考えたかっていうと、あんまり会社に依存しないで生きていけるようになりたいなって思ってました。何か力をつけたかったっていうか。その一つが資格でしたね。

つまり、もともと独立志向があったわけでは?

ないですね。もともと社長になりたいと思ったこともないですし、成り行きで会社をつくりました。大企業の仕組みになじめなかったですよね。
意外と「合理的じゃないな」「非合理だな」って。
「なんでこんなバカなルールがあるんですか?」って上司に言ったら、「バカとは何事だ」
と言われ「だって馬鹿じゃないですか」と言い返しました(笑)
合理的ではない、フェアではないルールは気に入らない、そんなルールはどんどん壊したいって思いました。国の法律も含めて。
自分が働きやすい環境で働きたいんです。
別に自分が社長でなくてもいいし、いい社長がいればそこに勤めてもいいくらいの気持ちは未だにあります。たまに週末サラリーマンとかやってみたいです。
社長を引退したらもう一度サラリーマンやるのが夢ですね。
たとえば全然違う職業、タコ焼き屋に勤めてみるとかやってみたいですね。
普通の仕事。楽しいじゃないですか。
今は、職種とかにはあまりこだわりないんですよね。
どんな仕事も結局一緒だから。
たとえば僕がサラリーマンで会社に社長がいるじゃないですか。
そうすると社長って僕にとってはお客さん。
そのお客さんが満足するように動いてあげれば、それで良いわけだから。
今は、ある意味自分の会社の社員もお客さんですよね。
社員の満足度を高めるようにするのも僕の仕事だから。
社員が喜んで成長するためにどうしたらいいか。
基本的に自分以外は全部お客さんだという考えです。

会社や新規事業は多分10以上立ち上げましたが、初め、ほとんど人に頼まれてなりゆきで社長や役員を引き受けました
話ズレますけど、20歳くらいの時にオートバイのレースにハマってまして。
筑波サーキットで、自分でも走るとなると、お金がいるので一日15時間くらい働きながら月30万くらい稼いでたんです。今から25年前の学生ですから、今でいうと40万ぐらいかな。だから当時ホンダに就職した瞬間に収入下がるんで、初めから世の中をナメてるんですよね。

なるほど(笑)

大学の就職担当の先生にも「君は社会をナメてるね、ケシカラン」って言われましたし。。
僕にとってはホンダに就職した目的は食べていくためじゃなくて、オートバイの世界グランプリに行きたかったんです。
世界グランプリで勝てるオートバイを作る人間になりたかったんですよ。
だからホンダに入りました。ホンダが世界一のメーカーだったから。
でも入ってみて実際4輪のテスト部門に配属されちゃったんですよ。
初めは辞めてやろうと思いました。
ただしせっかく入ったしもったいないから、3年くらいはいてもいいかなと。

僕にとっては29歳よりも、25歳の誕生日に結構考えましたね。
あーもう四半世紀かと思ったんですよ。
100年の4分の1も生きちゃったと思ったんです。
振り返ったときにあっという間に25歳になってて、これから先をパッと見たらあっという間に50歳が来るわけですよ。下手したらすぐに100歳が来て死んじゃうわけでしょ。その時、何にもしてないなあと思って、ちょっとヤバいかなって思って、それでホンダを辞めました。(笑)
焦りもあったのですか?
何かつまらなかったんです。もともと意に沿わない配属でしたから。
会社に人生を支配されているみたいなのも嫌でしたね。
自分でいつでも稼げるようになりたいなって思って、アルバイトだと30万・40万が限界ですから、じゃあ資格とったらいいんじゃないかと思って、それで宅建の資格を取ったんです。宅建の上があるっていうのがわかったんで、鑑定士の資格も取って、不動産に興味があったんで、しばらく不動産の仕事をしてみようと思ったわけです。

資格をとった時は、お金以外で明確なビジョンは?

ないですね。気持ちよく働きたいくらい。
資格とってしばらくしたら、ちょうど96年くらい。
インターネットが入ってきて、仲間がたまたま趣味でインターネットのブロバイダを始めてて、堀江さんとか三木谷さんとかが起業するちょっと前ですかね。
当時32歳くらいでサラリーマンやってたんですけど、インターネットってすごいなって思って、海外のアダルトサイトを見たときに衝撃が走りました。
これは凄い!法律を超越してる!と思いました。
革命が起こるた。情報が国境を超えると。
それで上司のところにいって最短最速で辞めさせてください!と言って、全然収入のあてがないのにインターネットの勉強をしたいからっていう理由ですぐに辞めました。

有給休暇とかは?

当時から有給休暇を消化して辞める奴や失業保険もらうのってなんだかカッコ悪いと思って。
潔くないのは嫌いなんですよね。
ほとんど遊ばずに仕事ばっかりしてたから、5年間で800万くらい貯金はできてた。
だけどインターネットの機材って当時、すごく高かったんですよ。
ルーターとか一個何十万円とする。ハブ1個で20万とか。
あっという間に800万円は殆ど無くなってしまったんですが、ちょうどその頃に仕事が来だしたんですよね。大企業とか、マイクロソフトとかから、ウェブサイトを作ってくれとか、インターネットのシステムを作ってくれとか。
色々と仕事が来だしたので、97年くらいに有限会社を一つつくり、その後仲間と共同で別の株式会社を作って、その会社の役員もやってました。

不動産の会社を辞めて、興味があるから、とインターネット業界で上手くいくなんて凄いですね。

自分が活き活きと好きなことやっていけばいいだけの話。
職が無いって言う人が多いですけどいくらでもありますよ。
僕ね、零細企業ならどこの会社でももぐりこめる自信がある。
給料いらないって入ってくんです。取り合えず1ヶ月間タダで使ってくださいみたいな。
気持ち悪がられるかもしれないけど。
コイツ普通の社員よりも使えるなって思われたら、普通の社長だったら社員並みに払いますよ。
どう考えても。タダでやって価値を認めさせてから、いくら位いただけますかって聞けばいい。
気に入らなければやめればいいし。何で労働基準法とかそうなってないのかと思って。
正社員という甘えたシステムを日本からなくしてほしいですね。

自分は正社員と契約社員の区別はないし、正当に評価されないと文句いう人がいますが、それはきちんと自分の働きをPRしない方が悪いっていうか。
それから世間では、人間関係がイヤになって会社辞める人が多いのが不思議ですね。
そんなことで辞めてもどこの会社いっても同じことが起こりますよ。
きっちり仕事ができない人の言い訳のような気がします。

僕は外野の人からどう思われようと関係ないと思って生きてるんで。
自分が心地よくて、自分がやりたいことをやっているという確信があれば関係ない他人の評価は関係ないですから。

20代の時、失敗した経験はありますか。

ないですね。たぶん失敗だと思ってないんでしょうね。
事業上は独立してからいっぱいありますよ。サラリーマン辞めて会社いっぱい作ったんですけど。サラリーマン時代の失敗は無いんじゃないかな。多分チャレンジさせてくれるような会社にいなかったんでしょうね。だから失敗のしようがない。
決められた枠の中だったら、失敗のしようがないですからね。

起業する意思がなかったのに今では社長。なにか目覚めるきっかけが?

34歳の時に起業家になろうと思ったんです。。
突然。その時に経営者なろうと思って目覚めたんです。
ちょうどその34歳の時、1999年にカンボジアに行ったんです。
それまで10年くらいカンボジアに小学校をたてる募金活動に協力していた。
カンボジアの人は100人に一人くらいしか高校に行けない現実とか、病気で沢山の子が死んでいて。自分はこの30数年間すごく恵まれているなって思った。
そこで衝撃を受けて、日本に戻って家の仏壇に手を合わせた時に涙が止まらないんですよ。
滝のように涙が出てくるんです。別に悲しいわけじゃなくて、ひとつは自分がいかに恵まれていたかっていう感謝の気持ちと、自分がいかに勝手な人間だったかっていう後悔。
涙が止まった時に、絶対起業家として成功してやろうと思いました。
とりあえず100億稼ごうと。
それで財団作って運用益を出して、毎年10億くらいを子供たちの教育に使いたいなって思いました。
その時に俺はそれをやらなきゃいけないなって。
カンボジアの子供たちに比べたら僕は学校も出ているし免許も持っているし資格もあるし
ほとんどのものが恵まれて揃っているので。
あとはひたすらチャレンジすれば、絶対間違いなく100%成功する。
失敗はあり得ないって思いました。

憧れてた経営者の方は?

本田宗一郎さんが好きでしたね。経営者というか職人というか。生きざまとして。
好きなことだけやって、世界中にオートバイとか車とか作って、みんなから愛されて死んでいった。
だからホンダに入ったんです。

現在、この場所(スタジアムプレイス南青山)の空間プロデュース以外にもスポーツや健康に関わる事もされているみたいですが、スポーツが好きで?

もともと合気道とかやってたんで、体を動かすのが好きでした。
で。トライアスロンやったり、青山アスリートクラブっていうサークルを立ち上げ、スポーツ好きなひとを集めて運動科学を研究したり実践するためのコミュニティも作っています。

スタジアムプレイスの年間来場者の目標は将来的に100万人なのですが、スポーツ好きな人たちが朝から晩までここに来て、100万人の一部になってくれればいいなって思ってます。
だからこれも空間プロデュースの一つとして、やってるんですよね。
空間プロデュースってここまでやるんですよね。僕の中では。
魂を入れてくって感じですね。日本中からたくさんの人が遊びに来てくれればいいって。
今個人的にはスポーツとか武道が自分の中で凄くフォーカスしている分野なので、どんどん情報発信してきたいんです。
みなさんマーケティングとか色んなセミナー事業をされていますけど、自分が一番関わっていきたい所としては、健康かなと思って。健康はほぼ全員の人が欲しい。自殺したいって言う人も心の健康が取り戻せないっていう絶望のもとに多分死んでくんであって。
健康っていうのはみんながほしがるものだから。
生きざまも含めて健康美を追求してくってことかな。
美しい体、生きざま、健康と美ってものが普遍的にみなさんが欲しがるものかなって思ってるんで、それになるべくフォーカスした事業に転換してきたいなって思っています。
ぼくの一つの目標はカンボジアを中心にアジアの子供たちに学習の機会を作っていくというのがあります、全世界は無理ですから、アフリカとかは誰かに任せて、ぼくのあと何十年かの人生の中では、カンボジア、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなど、東南アジアの学習環境をより改善させる事にフォーカスしていきたいなって思っています。
その時に自分が行った国の中で、一番なじめたのがベトナム。
ベトナムの隣がカンボジアですから、ベトナムで基盤を作ってからカンボジアかなと。
この数年間ベトナムの人たちと仲良くさせてもらってるんで、政府の方々とも交流していますし。
日本でやったノウハウを使って、すごくいいもの、すごくファッショナブルで美しく健康に必要なものをベトナムのダナンの中にたくさん取り入れて、そこからアジア全体を楽しく豊かになれるようにしていきたいなって思っています。
そのためにはチャレンジしまくることが大事。
成功も失敗も含めてとにかくチャレンジして、チャレンジする意思が続く限りチャレンジします。
自分が今一番やりたいのは体育教育。子供たちの体育教育にフォーカスして、ベトナムでビジネスがある程度成功したら、アジア中の子供たちを健康にするための、スポーツプログラムとか体育プログラムを用意して、それをなるべく無料に近い形にして、子供たちに提供していくような仕組みを作りたいと思ってます。
アジアの子供たちをもっと元気にパワフルにする。
そのためにはベトナムでトライアスロン大会をしたり、合気道道場開いたりしてアジアに貢献していくっていう方向でいけばいいのかなって思ってます。
今は、そういうことをただやりたいんです。
インターネットの勉強をしたくて不動産の仕事を辞めたっていうのと、世界中の子供たちに体育に関する教育する機会を提供したい。っていうことは、ほぼ同じくらいの、「ただやりたいからやる」みたいな感じです。
そのためには戦略がいるので、今は、世界最先端のスポーツプログラムを提供するような仕組みを青山アスリートクラブで作り、ゆくゆくはアジアの体育教育とかスポーツ教育で貢献していきたい。

素晴らしいです。そういった思いの原点はどこから?

どこから学んだかといいますと、サーキットなんですよ。
自分がレースの時に学んだことが、今の自分の起業家としての背骨になってる。
一番自分が得たのは、耐久レースで二人1組で出るのがありまして、僕は第2ライダーだったんですけど、相方が結構いいスタートを切って、5番目か6番目を走ってた。
だけど、接触して転倒しちゃったんです。
その瞬間にそのレースではもう表彰台には立てない。
けど、オートバイを必死で直して20分遅れくらいですけど走ったんですよね。
その時にはもうレース結果は求めないんです。
けど最高の走りをしようと思って、その時に自分の限界を突き抜けたんですよね。
一気に自分の最高記録を上回って、今までと違う異次元の世界へ入って行ったんですよ。その時にすごい気持ちよくて、前に見える人がどんどん近付いて、どんどん抜けるんです。
タイヤが滑ってる状態でも全然大丈夫みたいな。限界突き抜けて走ってる。優勝はできなかったけど、限界を突き抜けるっていう経験を得られた。
スポーツの中には魂が燃焼しつくすような瞬間があって、多分トップアスリートの人とかそういうのを知っていて、僕はアマチュアで凄く低いレベルでしたけど、それでもすごく楽しかった。
だからそういうスポーツの楽しさって、スポーツで人を育てることができる、成長することができるっていうことを世界中、特にアジアの子供たちから世界中の子供たちに伝えていきたいなって思っています。

ところでトライアスロンはいつ頃から?

昨年の4月から練習始めていたんですけど、ほとんど泳げなかったです。
泳ぎは苦手で。クロールで50メートルいったらハアー苦しいって感じで。
100mは無理だなって感じでしたね。
だけど、7月の短い距離のレースに、3カ月後でしたけど、エントリーしちゃったんです。さらに8月に沼津の海でやるレースにもエントリーしちゃったんですよ。
7月は足のつくプールを泳いで、自転車のって、走る。
8月は足のつかない海で泳いで、自転車のって、走る。

そんな計画を立てて2つポンポンとエントリーしちゃったんです。
そうすると8月までに泳げないと死ぬんです。
命がけでできると思って。ラッキーと思って。
命をかける機会を与えられたと思って。ぞくぞくしますよね。

ドМですね(笑)

で、一生懸命練習したから急激にうまくなって、何とか切り抜けました。
海の時はやっぱり死ぬかと思ってビビりました。
しかも土砂降りの雨で、海だと足が立たないし、水中は真っ暗で「こぇー」と思って・・・
必死でしたけど、帰って来た時、あー生き返った。よかった。みたいに感じるわけ。
生きてる実感を得るわけですよ。
それが醍醐味です。
トライアスロンは特別なスポーツで、海で泳ぐ魚の時のDNAを使って、自転車にのったら四足で走ってる時の四足動物のDNAを使って、二足歩行の類人猿から今に至るDNAを使って、進化の過程を一気に体験するスポーツなんですよ。
だから何か自分を成長させるんじゃないかなって思って。
それにトライアスロンやってる人はさわやかで気持ちいい人が多い。
トライアスロンってすばらしい。
だから多くの人にトライアスロンの魅力を、自分が素人だからこそ伝えられるところがあるのかなみたいな。
この魅力アジアにも広げていきたいなって思います。

ブログに1000年続く会社。と書かれていたのが印象的で、
今回突然のアポを取らせていただいたわけですが、
是非その辺のお話も聞かせていただけますか。

1000年というのも降ってわいたもので、実はあんまり深い意味はないんですけど、人と違うことやるのが好きなので。時価総額世界1位って、世界中でその瞬間1社しか、到達できないとこじゃないですか。それを目指すのってすごく難しい。
でも会社を1000年間続けるってことならできるかもしれない。
1000年続けるDNAを作ってくっていうことは、できるかもしれないって思ってる。
1000年間自分の会社が続いていくように何かやることができそうだなって。
続けてくことがすごく大事なんじゃないかな。
1000年間会社を続けくってことはどういうことかというと、1000年にわたって自分の思いひとつを、ずっと引継ぐ人達がいて、世の中をもっと良くしたいっていう思い、世の中をもっと良くして自分ももっと成長させたいっていう思いの人が、ずっと繋いでいく事かなって思った。
自分が死んだ後も自分がいたことによって世の中が良くなったっていう貢献をしたいんですよね。
自分のやったことがどう広がってどう波紋となって、みんながハッピーになるか。
カンボジアにいた時に経験したんですよ。
ちょっとした行為がこんなに多くの人に喜んでもらえる。
それがずっと続けばいい。

今の価値観が、みんな楽して早く成功するとか、いかに少ない労力でレバレッジかけて、みたいなことばっかり考えてる人が多くて、そういうのは自分はあまり関心がない。
そういう価値観てちょっとダサいと感じています。
それよりか長く好きなことをコツコツやってくことが大事だなって思います。
今日、寝るまでの行動で、1000年後の人に対していい影響を与えたいんですよ。
365000日後ですか?
そういう風に今日一日を生きたいなって思うんですよね。
明日一日生きたら1000年後の明日、自分がやったことによっていい結果が出てるてことにやりたんですよね。
そうするとどんないいことがあるかっていうと、セコくないっていうことと、そこから自分は何も求めてないんですよね。
1000年後の人から何か恩返しをしてもらおうとは思わないわけですよ。
自分の存在すら知られなくてもいい。
そういう風に生きてくと、最高に自分が楽しいんじゃないかなって思って。
最高に自分が楽しんでいきいきするためには
1000年後の世界のことを考えながら生きてくってことが最高にいいんじゃないかなって思ってます。

1000年続く会社という目標以外にもなにかありますか?

アイアンマンハワイで、3.8キロ、ハワイの海を泳いで、180キロ自転車に乗って、42.195キロ走った80歳のおじいちゃんが3年くらい前にいたんですけど、ここ何年かいないんですよね。
だから自分は81歳でやってやろうと思ってます。
高齢者持久系スポーツで世界の頂点に立ちたいんですよね。
そういった意味では、さっき言ったこととは矛盾するようだけど。
でもそれってぼくだけじゃなくて、誰もが81歳アイアンマンハワイ完走をやればいいんですよ。
そういう風にみんなが長い期間で、健康とか色々なことを考えるようになったら、すごく日本中元気になるんじゃないかなって。

昔オートバイで世界グランプリで勝ちたかったわけ。それはあきらめたんです。無理だなって思って。レーサーとして世界チャンピオンであきらめ、開発ライダーとしてバイク作りをあきらめ、そのときにどうでもよくなっちゃったわけですよ。
でたまたまこういう仕事をしたときに81歳でアイアンマン・ワールド・チャンピオンシップで世界チャンピオンになれるかもって思ったら、活き活きしてきますよね。
それを自分だけでやってるとつまらないから、アスリートクラブの中に、スパーボディプロジェクトっていうのを作って、81歳でアイアンマンハワイを完走したい人を、集めだしたんです。
長期的に考えた方が楽しい。
81歳でぼく世界チャンピオンになるんです。って言った時に、皆が、コイツならできる、と思い始めたらできるかもしれません。

持久系スポーツで人類の頂点かなって思ってるんですよね。
エベレストに登ってみたいっていうのと一緒ですよね。
登った時の景色をみたいんでしょうね。
僕は81歳でアイアンマンハワイを完走した時にどういう景色が見れるのかなってそれを見てみたいですね。
そういうことを僕は恵まれてるからできるけど、アジアの子供たちはできない。
ただ自分がいいなって思ったことを多くの人と共有したい。
自分の中で会社の経営とか、儲けたいっていう事は本当は重要ではなくてあくまで手段。
自分がこれから35年間こういうチャレンジをして、35年間一つのことに取り組んで、達人になった時にその過程で得たものを世界中の子供たち、大人に知らせたい。
そういう感じです。
たぶん起業とか経営そのものにはこだわりがないから、経営者としてはすごく変わってると思いますけど。
一応13年、社長やってるけど、ひとつのことを30年やると達人だなって思ってるんです。
そうすると、せっかくなので、自分を成長させるためには、あと僕は経営者として17年はやるべきなのかなって思うんですね。
17年って長いと思いますけど、63歳ですか。
ま。しょうがないかな。みたいな。
30年やっていくことによって経営も極めたいっていうのがあるから、あと17年ですね。

最後に20代の人や少し元気のない大人の人たちに向けて、メッセージを。

成功っていう言葉自身にあんまり関心がないんですよね。定義がよくわからない。
でも失敗が宝だとしたら、成功の反対の言葉って何かと思ったら、まず失敗じゃないよなって思いますよね。
成功反対の言葉はチャレンジしないことかな。
チャレンジしないと成功はありえないから。
よくわからないけど、大成功したいとも思わないし、やりたいことだけやる環境を得たいんです。
もしかしたらそれが成功かもしれないし。だとしたら今大成功してるし。
でもこれでいいとは思ってない。
失敗は宝っていうのは、色んな事をチャレンジして、結果を恐れないってことです。
上手くいくかもしれないし、上手くいかないかもしれないし。両方OK。
だけど何か迷った時に、やりたいかどうかっていう自分の心の声を確認して、本当にやりたいんだなと思ったらやればいいじゃん。
それは起業とか経営とか仕事とか問わず、勉強でも趣味でも。


今日はどうもありがとうございました!
ちなみに、ショックだったのは、僕は100年後を目指してたんです。
ドラえもんの誕生日(2112年9月3日)を意識してて。
1000年に負けました(笑)

じゃあ1万年後目指しますって言えばいいじゃない(笑)


ママチャリで日本一周している経営者
■Profile:(2018年時点)
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指すこと11年目。ほぼ一周を終えつつ、まだまだ走り続ける口実をつくるべく、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人1団体の理事として活動中。
>>> ブログと取り組みはこちら
PAGE TOP