21人目 田中忠幸さん:株式会社アユプロジェクト

田中忠幸さん
会社名 株式会社アユプロジェクト
URL http://ameblo.jp/ayupro/
公開日 2010年04月03日

今回の旅は、株式会社アユプロジェクトの田中忠幸さんです!

ずばり29歳のときに何をされていましたか?

すごくバブってたんで、飲み歩いてましたね。
当時から携帯の仕事。
会社経営ってよくわからなくて、どんぶり経営でした。
高単価、高利率でお金が凄く入ってきたので、
あの時はひどかった。
社員を連れて飲み屋で200万円使ったり。
アホみたいにお金使っていました。
その時は常にかばんの中に現金が300万位無いと不安。

今晩の飲み代が足りるかな?

って不安になるんです。
そんな感じでバブってましたね。

夢見たいな生活ですよね。
29歳から30歳になる誕生日もバブってたんですか?

六本木あたりで豪遊させてもらった思い出はあります。

30歳になった意気込みとか目標はありましたか?

「大金持ちになるよ!」

みたいな事は言ってたかな。
今思えば、あの時、豪遊したお金、
残しておけばよかった(笑)
お金の使い方を知らなくて、
25歳の時に自己破産してるんです。
すごく苦しくて、すごく貧乏してたんで、
目の前に大金が入ると。。

「もう、使っちまえー!」

ってなっちゃたんです。

なぜ自己破産するような経緯をたどってしまったのですか?

ずっと職人をしていて、親も職人で弟も。
家族経営だった。
ある時、建築の不況が来て、
道楽に使ってたわけではないんですけど、
サラ金からお金を借りまして、

親の連帯保証人に僕が入って。
僕も借りるのに弟に保証人に入ってもらって。
弟も借りるのに親父に保証人に入ってもらって。
連帯保証人をお互いでグルグル回してた。

それでも仕事がなくなってきて。
職人はもうダメだ。
ということで、僕は運送会社に。
働きながら返していたんですけど、
親がもう無理だからってことで、
自己破産したんです。

金額はどれくらいあったんですか?

そのときの金額はね、800万とか。
「頑張ったら返せるやん。」
とか今なら思うんですけど。
その時は月の給料25万円。
金利も29%とか。
返せるような額にならなくて。

25歳の時に破産してからはどんな生活を?

自己破産して、それから、結婚したんです。
でも、1年くらいで離婚しました。
ちょうどその頃、トラックの中で雑誌をみてて、
携帯の仕事をやろう!
新しい携帯の仕事でやり直そう!
と思ってた頃です。

携帯の仕事ですか?
それまでは職人やトラック運転手で、素人ですよね?

まったくの素人ですね。
その時携帯のホームページは知らなくても作れたんですよ。
無料のホームページ作成サイトで。
だから何も知識なくてもできました。
それが26、27歳くらいの時。

まだ携帯電話の通信の普及とか
そんなに発展していない頃ですよね?
通信料とかも高かったんじゃないですか?

パケット代、鬼のように高かったです。
今ではパケ放題とかありますけど。
当時、一ヶ月に6万円とか7万円とかかかった。
で、ちょうどその頃、インターネットも普及しはじめた頃。

三重県の田舎なんで、
インターネットやってる人がほとんどいない。
そこで、近くの電気屋さんに行ったんです。
電気屋さんのインターネット体験コーナーに行ったり、
インターネットカフェでコーヒー何杯もおかわりしながら。
コーヒー1杯頼むと、30分か1時間、
無料でインターネットができるとかだったので。
飲みたくないコーヒーをガバガバ飲んで、
インターネットして、作業してました(笑)

インターネットをする執念は凄まじいですね。
でも、絶対にうまくいかせてやる!
という気持ちが凄く伝わります。
その努力の甲斐あって、
29歳の頃にはバブルになったわけですよね。

そうですね。
29歳の時は会社作って、多分2期目。
1期目で売上10億。2期目で18億。
ハンパないですよね?
見たこともないお金が目の前に来る。
入ってきたお金は自分のもんや。
みたいな感覚になるよね。

職人的感覚もまだ抜けてなくて。
知識もなくて。
それで遊びまくって。
だんだん売り上げが下がっていく。
そこからどん底まで落ちました。
遊んでる社員もいるわけなんです。
要は家族経営だ!みたいな。
職人気質なんで、みんなで仲良くやろうよ!
みたいな感じになってて。

それこそ申告もあまりよくわからなかったので、
国税局がいきなり来たりとか。
お金、持っていかれーの。
どん底になりーの。みたいな。

そのあいだに真ん中の子供が亡くなった。

それで精神状態が鬱っぽくなりました。
それが32歳くらいの時。つい最近ですね。

そのどん底を味わってからなぜ三重県から東京に進出を?

東京にきたのもまだ3年。
うちの関連会社がたまたま東京にあって、
それが引っ越したんで、
そこに移ろうと思いました。

汚いビルなんですけど。
そのときは、会社にお金はゼロ。
来月はどうしようみたいな。
そんな状況なので、社員の引っ越し費用は出せないし、
家も借りてあげられない。
それでも、

「東京に行こうと思ってるんだけど来るか?」

と聞いたら6人が手を挙げてくれた。
それで、その6人で東京に行ったんです。
その6人は今でもいます。

東京に来てから、お金が無い中、
どうやって這いあがっていったんですか?

毎日毎日、何ヶ月も終電まで働いた。
泊まり込みも何回も。
とりあえずがむしゃらにやりました。
東京に来て思ったのは、
今日みたいなインタビューの後に色んな話ができるんです。

色んな情報が入ってくるんです。

その情報の交換をしているうちに繋がっていく。
そういうのもあって東京に出て、よかったと思いますね。

20代で自己破産をして、
30代でもどん底を味わって、
人生の中で大きな転機が2回あったってことですよね。
他にも色々な転機、
分岐点となるような出来事はありましたか?

色んな事件もありました(笑)
一昨年の8月に2回目の離婚をしたんです。
また4月に結婚するんですけど(笑)

その離婚の原因が、
前の嫁が会社のお金を全部ホストに使ってたんです。
1億5000万くらいポケット入れて。
利益が上がってるはずなんですけど、
口座みるといつもお金がない。

去年の7月、会社の残高調べてもらったらゼロ。
焦りましたね。

今日、給料日やし。。って。

子会社がいくつかあって、
そこからお金を借りて、
何とかその場はしのぎましたけど。
そんなことが2回もあたんで。
離婚したんです。

そもそもの原因が僕なんて仕方ないんです。
息子の3回忌の時も、
ホストのところへ行って来なかったんです。
今はもう連絡とってないんですけどね。

20代の頃もっていた
「夢」や「目標」をお聞きしたいのですが。

貧乏だったので、

「大金持ちになりたい!」

と思ってました。
ただそれだけです。
社長になりたいとも思ってましたね。

社長ですか?
お金を稼ぐだけなら色々と手段はあるかと思いますが、
社長に目が向いたのは、何かきっかけがあったんですか?

子どもの頃から現場にいて、
いっぱしの職人になってたんです。
高校1年で退学したんですけど、
職人の世界って上下関係ないんで、
高校の頃から仕切ってやってましたね。
そのあと、トラックの運転手になって、
一番下っ端から入って、
頑張って頑張って、
そこのセンター長。
そのセンターで、No.1になったんです。
それから、

2倍の給与を出すよ。

という誘い文句で、転職に誘われて、
違う運送屋に行った。
そこがすごい駒扱いなんですよ。
ああだ。こうだ。アホか。
と、アゴで使われて。
結婚もしてたし、子供も生まれるし。

頑張る!

って思ってたんですけど。
でもやっぱり、

「これは俺じゃないな。」
「人に使われるのは合ってない。」

と思って、いつか社長になりたいと思っていました。

勉強とかされてたんですか?

全くしてない。
経営学とか全く読んでない。
唯一読んだのが、三国志。マンガの。
何回も読みましたね。
繰り返し。繰り返し。
セリフを覚えるくらい。

三国志が好きな経営者は
今までのインタビューでも
何人かいました。
そこまで惹きつけた魅力ってなんなんでしょう?

もし僕がこの場に置かれたらどうしていただろう?
次は曹操の気持ちになって読んでみよう。
とか、読むたびに発見がある。
中学校の時に初めて読んだんですけど、
10代・20代・30代で毎回、
読んだ時の見え方が違うんですよね。
最近は社長さんが書いた本とか読んだりします。
節税術とかね。

やっぱりお金大好きなんで(笑)

あるときハワイで事業やっている人と友達になって、
その人は資産で50億円を持っている人。
色んなところに投資とかしてる人なんですけど、

「お金が減らないんだよね」

って言うんです。
純粋に、すげーな。て思った。

「じゃあ俺も50億だ!」

と思って、神社に行って絵馬とかに

「絶対に50億円欲しい」

とか書いてます。
煩悩の固まりみたいなことを。
世界平和とか家内安全とかは書かず、

「50億円!」

と。
でも小室哲也の事件で
100億円が一瞬にして無くなったじゃないですか。
「あれ?50億じゃ足りねーのか?」
って思い、それから100億円に変わりました(笑)

なるほど。
少年みたいに純粋ですよね(笑)

できるできない。関係なく、
やりたい!手に入れたい!っていう
純粋な気持ちですね。

ところで、100億円を集めてどうしたいんですか?

僕はね。社長の器がないんです。
社長すごく向いてないんで。
義理人情じゃダメなんですよね。
なので、オーナーになりたい。
オーナーとして色んな会社を作って
ビジネスを作って、
任していきたい。

基本的に僕、営業のセンスが0なんです。

人に勧められないんです。
これ買ってください!
とか。
自社の広告とか媒体がいいのは
十分わかってるんですけど。
いざ営業になると売れないんですよ。
押しが弱い。

意外でした。
営業バリバリできそうなイメージでしたけど。

人の顔色が変わるのが怖いのかもしれないですね。
中学校の時すごくいじめられたんで。
ブログでは、

「ウェー!」

みたいなキャラですけど(笑)

本当はめっちゃくちゃビビリなんです。
だから社長に向いてない。
社長はその場ですぐに決断しなきゃいけない。
人の顔色がわかんない電話ではバンバン言えるんですけど。

実は今も緊張してます(笑)
だからさっき、インタビュー前に
焼酎ボンボンを一つ食べて、
アルコール入れてきたんですけど(笑)

最近、自分を変える為に、
偽名、ハンドルネームを作ろうかな。
って思ってるんですよ。
俺は田中忠幸じゃないんだよ。と。
過去、いじめられたりとか
色々あったんですけど、

「今から、別の人間。役者になろう!」

AB型なんで、二重人格にあえてなっていこうかな。って(笑)
違う自分になるのも面白いじゃないですか!
新しい名前を作って、
新しいキャラ、
色んな生き方ができるんじゃないかな。
って思ってます。

僕、コンプレックスの塊ですからね。

100億円を手に入れる!
という壮大な夢以外にも何かありますか?

孤児院を作りたいです。
虐待を受けてる子とか、
親が事件をおこして一人になった子供とか。
この前も3歳の子が餓死した。
ってニュースがあって、
うちの子が3歳なんですよ。
そういう子を救ってやりたい。

寄付したり、施設を作ってあげたりして。
子供を亡くしてから思うようになった。
それまでは事件とかみても、

「かわいそうやなぁ。ひどいなぁ。」

位にしか思ってなかったんですけど、
自分の子供が亡くなることによって、
自分の子供と重ねちゃうんですよね。
親になってみないとわかんない気持ちかもしれないです。
20代は

「お金を稼ぐぞー!」
「モテたい!」

って、自分の為にしか考えてなかったんですけどね。
変わりましたね。

では、20代や元気のない大人の人に
何かメッセージがあればお願します。

いいことも悪いことも
周りにどんどんしゃべったらいい。
いい事はみんな、しゃべりたいと思うんですが、
悪いことって言わずに
自分の中に抱え込んじゃうじゃないですか。
そういうのも人にどんどん話をしていった方が、
いい経験になるのかなって思います。
自分の失敗談を言うことによって、
相手も

「実はこういう失敗してさ」

って話が繋がったり。
共感してくれたり。
それが信用へと繋がっていくんだろうと思います。

みんな出来ない理由を考えたがるんですよね。

「100億円なんて無理や。」
「絶対無理や。」

とか。
自分でも出来ない方法を
ついつい考えてしまうんですけど。
じゃあその思考を、

「100億作る方法」に変える方が楽しい!

考えてたら実現するので。

常にポジティブに。
やれる方法を考えよう。
まず、「無理」って言うな。
まず、「動け」

ってところを常に意識してます。
なんでも出来ない理由になっちゃいますからね。
今まで数々の苦難があったんで、
今のこのタイミングをどうやったら突破できるのか。
常に考えて。

なんとかしてきたんで。
なんとかなるんだよ。

なんとかする。
って思えば。

なんとかなってきたんです。


ママチャリで日本一周している経営者
■Profile:
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指す。ほぼ一周を終えつつ、まだまだ走り続ける口実をつくるべく、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人1団体の理事として活動中。
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