43人目 多田優之さん:godere akindo

多田優之さん
会社名 godere akindo
URL http://ameblo.jp/ushun/
公開日 2010年07月18日

今回の旅は、godere akindoの多田優之さんです!

まずは現在のお仕事など、自己紹介をお願いします。

輸入商品と中心とした『ショップあきんど』を運営しています。
それから、一般の皆さんにもビジネスに携わってその楽しさを知ってほしい。
という夢があるんです。
だから、輸入ビジネスのノウハウを皆さんに伝えるコンサルティングもしています。

もともとは、副業として、
現在の仕事をされていたのですよね?

そうですね。
2007年からネットビジネスの副業を始めました。
Yahoo! オークションは1999 年からやっていました。

なるほど。
現在ではインターネットが普及し
ネットオークションや輸入ビジネスが成り立ちますが、
それ以前は何の仕事をされていたのですか?

本当にいろいろやってきました。
実家が呉服屋だったので、初めての仕事はその手伝いです。
小学校5年生のときから、
反物をお使いで取りに行ったり、
仕入先の中国人や韓国人が来日した際に一緒にお得意先を回ったり…。
でも、6年生のときに両親が離婚して、母親とともに家を出ました。

なるほど。

呉服屋のボンボンだったのに急に生活が苦しくなって。
中一の時から、新聞配達と出前のアルバイトをやっていました。
そこから当たり前のようにずっと働きつづけています。
お店の売り子、レジ打ち、引越し屋、日雇いの仕事…、
変わった職種としては大学の頃、ホストもやりましたね。

いくつくらいの職種を経験したのですか?

少なくとも50職種は経験しています。
流通業をやりだしたのは大学に入ってから。
学費のため単発バイトをずっとやっていました。
その頃からコミュニケーション能力は鍛えられていました。
好き、嫌いを言っている場合でなく、
コミュニケーションをとらないと食べていけない状態でしたから。

様々な仕事を経験されていますが、
ずばり29歳のときは何をされていましたか?

新卒で就職した上新電機から地方の電気屋に転職をしたのが29歳の9月でした。
大学のときすごく内気だったんです。
ここで自分を変えとかないと将来独立したときにまずい。
という思いがあって
電気屋は売り込みっていうイメージがあったので、
あえて上新電機に就職しました。
そこに4年勤めたところで、
地方の電気屋さんに転職することになったんです。
結婚もして心機一転。
とにかくがむしゃらに働いていました。
でも、転職して数ヵ月後、弟が病気で亡くなりました。

弟さんはその頃何をされていたんですか?

実家の呉服屋を継いでいました。
弟は呉服に本当に入れ込んでいて、
高校を中退して京都にでっち奉公に行ったんです。
お互い仕事を頑張っていて、
1年くらい連絡をとっていませんでした。
最後に会ったのは、僕が転職する前の28歳のとき。
転職しようと思っていることを告げて、
当時婚約者だった妻を紹介したのが最後。
亡くなった後、京都に行ったら、
コタツに置手紙があって、
「お兄ちゃんに会いたい、仕事がしんどい」
というようなことが書いてあって…。
独立したいという夢があったので、
死ぬ気で働き始めた矢先に、弟の過労死。
がむしゃらに仕事するのが本当にいいのか?
という葛藤もでてきました。
精神的にかなり落ち込みましたね。
数日後には仕事を再開していたのですが、
それから12年くらい睡眠薬ずっと飲み続けていました。

29歳という時期。すごく辛い時期だったんですね。
数日後には仕事。よく気持ちを切り替えれましたよね。

切り替えたというか、そうせざるをえなかった。
紹介されて転職したので、
結果を残さなくては、というプレッシャーもありましたし。
大企業に所属して店頭で販売していたのと違って、
今度は中小企業だったので、
自分が頑張らないと会社が倒産する、という危機感を味わうことができたので、
働くしかなかった。
NTTのドコモショップの立ち上げに携わっていましたが、
休みは月に1回あるかないか、というくらい働きました。
奥さんも体調を崩し、自分もアトピーが出たり。
今までの人生の全てのマイナスが詰まっているのが、29歳。
今振り返っても、
一番辛い、冗談抜きで死にたい。
と思うような時期だったかな。
反対に、初めて仕事に真剣に打ち込んだのも29歳でしたね。

とても辛い時期だった29歳。
当時の夢や目標はあったのですか?

独立だけです。
店をもちたい、という気持ちがありました。
親父は人が良くて、いろいろあって事業をたたんだんです。
だから、絶対に親父がやっていたことは失敗じゃない、
ということをわかって欲しいと思っていました。

独立するときの業種は、何でもよかったんですか?

やはり、流通業がしたかった。
接客が好きだし、
買ったり、売ったりするプロセスも面白かったので、
漠然とこれをやりたい、と思っていました。

では、凄く大変だった29歳の1年間を過ごされて、
いざ30歳になるぞという、
29歳から30歳に切り替わる誕生日って何か覚えていますか?

30歳の時は結婚式を控えていたかな。
弟がなくなって一年喪に服したあとに挙式したんです。
結婚して世帯を持つという体験をして、
目の前の仕事に打ち込もうって考えるようになりました。
そうしたら何か見えてくるんじゃないかと。
ヒントを掴みかけたのが30歳ですね。

ヒントというのは?

子供から見て、結婚しているっていったら大人だし、
こんな遊んでいるのか、仕事しているのか分からない状態は駄目だと思って。
将来の糧になる何かを見つけようという切り替えになりましたね。

僕はそういう感覚が全然ないので、
その感覚を是非つかみたいですね。
結婚で変わるものなのですか?

僕の場合は、結婚がきっかけでした。
それから僕が恵まれていたと思うのは、
がむしゃらに働いている上司が常にいたんです。
ものすごく駄目駄目な上司もいたんですけど、
そういう人はそういう人で反面教師にできるラッキーな性格なんで、
ここまで駄目駄目っていうのも凄いな、
じゃあ俺はもうちょっと頑張っちゃおうかなっていう発想をしますね。

当時憧れていた人とか、
こういう大人になりたいっていう人は誰かいましたか?

松下幸之助と坂本龍馬ですね。
上新電気が松下系で、松下幸之助の話はよく聞かされました。
携帯電話販売のときに松下幸之助語録を毎日見て、
にやって笑って働いていました。
あとは、今だからあまり言いたくないんですけど、坂本龍馬ですよね。
竜馬は1867年11月に京都で亡くなったんです。
僕は100年後の1967年11月に京都で生まれたんですよ。
坂本龍馬の生まれ変わりや!維新起こすで!
って、勝手に思っていましたね。
そんな人、何万人もいると思いますけど。

でも先駆けで思っていたというのはありますよね?

そうですね。高校1年のときには桂浜行きましたから。
本当に好きだったんです。
今は恥ずかしくて言えないですけど。

影響をうけた本はありますか?

ネットビジネスはじめる3年前まで本読まないタイプだったんです。
漫画ばかり読んでいました。
「ドカベン」や「キャプテン翼」などのスポーツ系漫画で学びました。
チームワークの良さとか、苦労はあってもやったら報われることとか。

歴史ものはどうですか?

織田信長とか豊臣秀吉の伝記とか読んでいましたね。

三国志は?

三国志は知ったのは何年か前ですね。

インタビューをしていると、
三国志から学んだっていう人が多いんですよ。

僕は信長系ですね。

見ているところが全部アツイですよね、
キャプテン翼だったり、信長だったり。

戦国系とかサッカーとか、戦術を考えるのが好きだからだと思います。
サラリーマンの時代から店長会議などで、
「この人はフォワードタイプ」とか「この人中盤だな」とか言ってましたよ。
「何でお前ら守備的ミッドフィルダーばっかりやねん」
「フォワード出て来い!」、
といった調子で…。
座右の銘じゃないですけど、好きな言葉は
「戦わずして勝つ」
体も弱いし、家庭環境でも、お金も無かったので、
正面衝突したら負けることはわかりきっているんです。
人の裏をかいて、人がしないことをやりたいって小学生の頃から思っていました。
だから、小学6年生のサッカー大会の時に,
小学生だと正面からぶつかっていくような子ばっかりだったんですけど、
僕だけやたらとフェイントばっかりしていました。
テクニックばっかりだから未だにボールをまともに遠くには蹴れないんですよ。
でも、フェイントとかパスとかは得意で、矢の様なスルーパスができます。

それで人が行かない道を選んで、
人が見ないようなビジネスに着目されているんですね。
独立する、という夢は叶えられたわけですが、
これからの夢や目標は何ですか?

ネットビジネスの怪しいイメージを払拭して、
健全なコミュニケーションツールにしたいんです。
楽しく、子供でもネットで商品買えるような認証システムであったり。
そういう思いを持った人を、
自分が47歳になるまでに47都道府県全てで集めて、
「なにわあきんど塾」を開催したい。

いいですね。何人くらい集めたいのですか?

人数の目標はないです。
47都道府県で1人でも賛同してくれる人がいればいい。
生徒さんが欲しいわけではなく、
家元制度っていうか、要はフラットな大名をいっぱい置きたい。
信長や秀吉が失敗したのは悩み事があっても相談できるところが無かったんですよ。
僕も、主婦の人と同じ目線で話をしたい。
以前、某リサイクルショップの店舗マネージャーやっていたときに、
18、19歳のアルバイトの子達と食事に行ってました。
ラーメン奢るからアイデア頂戴って。
それが後で輸入ビジネス2、3件当てたりもしていたんです。
だから、フラットにしていきたい。
それを47都道府県に1人でもいてくれると絶対に広がるんで。
主婦って、先生とかバイヤーとか凄い仕事をしていたけど、
出産や育児でキャリアを中断している人がたくさんいる。
一方僕は人を雇う余裕が無いから、
そういった主婦の方にSOHOさんとして育児の合間の手が空いた時に、
翻訳や、メルマガやブログ執筆を通してお客様の声を聞かせてほしい。
そのかわり通常時給1,000円のところを500円でお願いする
といった、win-winのビジネスモデルって絶対出来るんですよ。
大阪で僕はそれを一年間やってきて、
今協力してもらっている三人の主婦の方は、
小さなお子さんをもちながら、
すごい売り上げを上げてくれている。
それを47都道府県全国でやりたいんです。
人数にこだわっちゃうと変なことやってしまいそうなんで、47都道府県。
1人でもいてくれたら本丸にいけるじゃないですか。
そんな発想ですね。

正社員を抱えるのではなく、
時間が空いた時に手伝ってくれるSOHOを周りに置く。
これが上手く形になっていけばリスクも凄く少ないですよね。
SOHOの方も自分のペースで出勤の必要なく仕事できますし。
凄くいいビジネススタイルだなって思います

僕は中間管理職を20年近くやってたんで、
例えば男性社員とかに
「俺のネットページ見てどう思う?」
って、飲みにいったときに聞いたとしますよね。
そうすると、100人が100人全員が「バッチリですよ」って言うんですよ。
そうりゃそうですよね。
給料権とかボーナス権とか僕が持っていますから。
ところが、某リサイクルショップで働いていたとき、
アルバイトの子に同じ質問をすると、
「ちょっとダサい」
とズバリ答えてくれる。
パートの主婦の人は
「多田さん、このページエロさが出てる」
って言ってくれる。
ここの正直な意見。関係性をうまく構築すればいけると思いました。

では1問1答でお聞きしたいんですけど、
今自分自身の中でこれは自信があるポイントはなんですか?

絶対人の長所を引き出すことは出来ますね。
人の長所を引き出してビジネスに繋げる自信はあります。

今までの人生の中で
成功経験もしくは人生の分岐点はどんな事がありますか?

目の前の仕事に集中してきたというのは良かったと思いました。
なぜなら、小学校の時からやったアルバイトとか、今までやってた事が全て、
今こうやって独立してビジネスやっていると1つも無駄じゃなかったんですよ。
アルバイトスタッフ管理して、
人辞められて自分が店頭に立ったりしたこともあるんですけど、
そうすることによってアルバイトの気持ちも分かったし。
新聞配達をやることで、
早起きが気持ち良いって事を知ったし。
百貨店でお中元、お歳暮の短期アルバイトをやっていたんで、
今やっているネットショップの包装なんか普通に簡単に出来るし。
当時はただ給料貰いたくてやっていたことが、
最終的には全部繋がっているなって
今だから言えますね。

逆に凄く失敗した、後悔していることはありますか?

「やっちまったな」はいっぱいありますね。
例えば、大学の時はアイスクリーム屋でアルバイトを10人くらい雇って管理する
リーダーをやってたこともあるんですけど、
卒業でアルバイトを辞める女の子がいたときに皆で、
おめでとう!って言って辞めたんですね。翌月のシフトを組むときに、
その子は卒業するからいなくなると思って、
辞める子の名前にピッと線引っ張って新しい人の予定を書いていたんですよ。
そしたら、「線引っ張るってどういうことですか?私っていないものなの!?」って、
激怒されて、ごそっと人引き連れて辞められて。
相手の気持ちに立ってなかったっていうことを反省しました。

やっちまったな、というより学べたという経験ですね

失敗は、計画していなかったことだから、
成功でもあり失敗でもあるのかなって感じですね。

では今日、草加から来てくれた同行サポーターから
何か質問があれば。
~~~同行サポーターからの質問ターイム~~~
今自分が何をやりたいのか、
将来どうなりたいか、わからないんです

選択肢がたくさんありすぎると悩んじゃうんだよ。
たとえば、キーボードにはたくさんのアルファベットがあるけど、
この中から自分の好きなアルファベットを選べ、と言われたら、
ちょっと考えてしまわない?

そうですね。

僕は、やりたいことがわからないときは、
自分が絶対やりたくないと思う仕事をあえて体験するようにしていた。
やりたい仕事ってなかなかイメージが湧きづらいからね。
学生時代の飲食業のバイトも、新卒で就職した電気屋も、
苦手なことをやろう、という発想があった。
失敗もあるけど、そこから見えてくるものがあったと思う。
例えば、工事現場の仕事は絶対嫌だ、と思っていたけど、
1日だけの単発バイトだしやってみた。
すると、結構面白いの。
仕事終わって皆で飲んで、肩組んじゃったりして。
それに、あえてやりたくない仕事をやることで、
多少居心地の悪い経験があっても、なんとも思わなくなってくる。
そこでほんまに苦手やっても辞めれるわけよバイトなんて。
ちゃんと礼を尽くして、
「すみませんでしたホンマに合いませんでした」
って辞めれる。それは若い人の特権だと思う。
40歳になって、すみませんっていっても通じないけど、
20代だったら
「本当にすみません、迷惑かけますけど、辞めさせてください!」
って言っても、そこから何か縁が生まれるかもしれない。
やりたくないな、俺この業界は嫌やな。
っていうのを体験するのがオススメかな。
色んなことに興味持っていたりもするんで、
1回怖いもの見たさでそんなアルバイトをやってみるのも手かもしれない。

自分は去年12月までレストランで働いていました。
高層ビルにある夜景のきれいなところで、
お客さんと一対一の深い接客が学べるのではと期待していた。
でも、実際には料理を出して、下げて、
牛丼屋や居酒屋のように店を回していくだけ。
面白くなくて、辞めて実家に帰りました。

そこまで考えてレストランで働いていたのだったら、
飲食や接客に思い入れがあるんだね。

人と関わるのが好きなんです。
最終的には人と関わらないと何もできないと思いますし。

だったら個人商店のアルバイトなどがオススメかもしれない。
人と関わるのが好きっていうのも1つの才能なんで、
それを磨くために雇い主さんと近い仕事先、
個人事業のクリーニング屋でも良いし、定食屋さんでも良いし。
僕も個人商店の店番をアルバイトでやったことがあって、
人と人のふれあいが多かった。
お客様も顔見知りばかりで。売れたら幸せだしね。
これから先、ネットビジネスも絶対コミュニケーション大事になってくる。
今、僕の元でネットビジネスしている人にも、
接客業のアルバイトを経験することを薦めている。
ネットビジネスで、最近福袋とか、訳ありものとかってあるけど、
あれは店頭では何十年も前から当たり前にやられていたこと。
それが、ネットビジネスでは今やっとでてきているから。

お話を伺っていて、
自分は今やっていることを楽しめていない、損をしている、
と感じました。そんな自分が嫌です。

そこは気にしなくていい。
楽しむっていうより、やっていくと見つかっていくものかもしれないから。
今があかんとか、悩んでいる事がマイナスって考えるかもしれないけど、
後で芽がでてくるものだから。
芽が出るかどうかの分かれ目は、
「聞いて素直に行動できるか出来ないか」
これで大きく変わってくる。

素直さが分かれ目、と
皆さん仰いますよね。ありがとうございました!
~~~同行サポーターからの質問タイム終了~~~
それでは、みなさんに当時29歳の自分に向けて
是非色紙を1枚、書いてもらえますでしょうか。

「戦わずして勝つ」
それから、
「もっと変人になれ!」
と言いたいです。

ママチャリで日本一周している経営者
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指しています。ほぼ一周を終えつつ、ゴール目前で、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人の理事として活動中。
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