44人目 中村繁夫さん:アドバンスト マテリアル ジャパン株式会社

中村繁夫さん
会社名 アドバンスト マテリアル ジャパン株式会社
URL http://www.amjc.co.jp/
公開日 2010年07月22日

今回の旅は、アドバンスト マテリアル ジャパン株式会社の中村繁夫さんです!

中村さんは、「新しい価値観の創造」という理念のもと
2004年1月に希少金属専門商社を起業されました。
企業からわずか4年で年商340億円を弾き出し、
テレビや雑誌、多くのメディアで紹介されています。
本日は中村さんに、29歳をテーマにお話をお聞きしたいのですが。
まず29歳という年齢についてどう考えていますか?

29歳は人生の中で最も重要な時期だと昔から思っています。

ご自身は29歳の頃なにをされていましたか?

私は大学院在学中に二年間海外を放浪していたので、
卒業して社会に出たのが26歳のときでした。
しかし、入社後3年間は
管理部門の営業総務部で半分雑用、半分業務みたいな仕事に携わってきたんです。
営業に出してもらえないのなら辞めますわ、
と言って辞表を出した。
それが29歳になる寸前のことでした。

入社してから辞表を出すまでの経緯をお聞きしたいのですが、
入社した当初はどういった感じだったんですか

私は大学卒業して4年間たってから入社したので、
同期の連中に比べると4年間、
社会に入ったのが遅れたんですね。
26歳の新入社員ですから1年上の先輩が3つ年下なんですよ。
年下の先輩に仕えて勉強するということが、
自分の三文安のプライドを傷つけた。
それに、商社に入社したのだから、
海外駐在やロンドンパリを股に掛けて飛び回るっていうのをイメージしていたのに、
現実は想像していた仕事を全くさせてもらえない、という経験をした。
それまで私自身は環境に恵まれていて、
やりたいことは全部やらせて貰える環境で子供の頃から、学生時代まできていますから、
それまで社会の荒波を経験したことがなかったんです。
だから、今振り返るとその頃の経験は非常に自分のためになっています。

理想と現実のギャップにどう対峙していったのですか?

初めの3年間は、会社に行くのが嫌でいつ逃げる事ばっかり考えていたんですよ。
そうは言っても、就職1年目はいろいろ吸収できることがあって
余計なことを考える暇が無かったですね。
ところが2年目になったら山師の悪いムシが動き始めて、
勤務中に自分の時間を使って、株式投資をしたり、会社を裏で作ったり、
芸能プロダクションに出資して地方の公民館でショーを打ったり。
夜は銀座の高級クラブに出入りして、
ママに
「会社を一緒にやりましょう」
と誘われて…。
親父から預かったお金や株券を全部投資した結果、
雲隠れされてしまったこともありました。
後で調べたら有名な詐欺師だった。
所詮27、8歳っていっても子供。
社会の裏を知らなかったんですね。
社会人3年目になりますと、
ちょうどその頃、社内では保険の求償の仕事をしていました。
貿易の保険もあるんですが、
輸入した商品が事故の為に劣化してクレームになるわけですよ。
クレームになったら原因を追究してお客様に説明に行ったり、
事故が起きた原因を調査するサーベイヤー(鑑定員)と交渉するような仕事をしていました。
その仕事で切磋琢磨勉強させていただいた。
結果、保険求償の考え方が営業に出てから大変役に立った。
つまり、事故が起きると誰もが逃げたくなるが、
実は事故は商売を大きくするチャンスである事を勉強した訳です。
また、クレーム品をスクラップにして売ることを始めて、工夫をする事を覚えました。
それを見ていた営業部の人間あちこちから声がかかったんですよ。
あいつ、中村すごいやつだぞと。
自分も「気分ええなぁ」と、いよいよ営業部に出してくれるかなと思ったら、
残念ながら管理部門の営業総務部のトップの人がアカンと。
3年目になってもお前は営業総務におれと。
優秀な人だと1年目から営業出る。
普通の人でも2年目で営業に出してもらえる。
3年目に出ない人は適性にもよるけども、
はじめから経理に入る人とか。
それならば、と、丸3年勤めたところで遂に辞表を出しました。

上司にとめられなかったですか?

とめられましたよ。部長に
その人にはお酒を飲みに連れて行ってもらったりとお世話になっていたけど、
「申し訳ないですけど、私の目的と部長の思惑とは全く合いません。
これ以上営業総務部ということだったら
29歳になるから、それを機に辞めさせてもらいます」
とはっきり辞表出しました。
そしたら次の日からコロッと言うこと変わって、
「お前、明日から営業行け。実はあっちこっちから声がかかっているから、
お前が一番好きなとこ何処や?」
と言われたんですね。
その中で1番人気の無い、
海外とも関係が無いし儲かってもいない部門を選んだんですよ。
何故そうしたかいうたら、そこの課長さんが人間味があったこと、それからもう一つは
自分の方針として、
どうしようかと迷って岐路に立ったときは、
困難な道を選ぶ。
入社して初めて商社らしい仕事ができるようになった。
それが29歳です。

29歳という時期どのように過ごしたらいいか、
アドバイスをお願いします。

29歳までに自分のやることを決めなければいけない。
自己実現を図るときの最後の起点が29歳だと考えています。
「男30にして立つ」
じゃないですが、
自分のこの道で勝負するぞ!
という熱意と決断を30歳までに持たないといけない。
私も子供3人いますけど、
男性は30歳まで子供なんですね。
だから、29歳のうちに、自分がやることを決めなさい。
それまでは何やろうがかまわないというのが家の教育方針です。
中学校、高校はどこの学校行って、
この歳になったら就職して、
と、エスカレーター式の考え方が日本の一般家庭にもありますけど、
私はそういう考え方はしません。
サラリーマンを経験するのは大変意味があるとは思うけど、
長い間その仕事を続けることよりも
自分自身が本当にやりたい事を見つけることが大切だと息子にも伝えてきました。
そういう風に言われると青年は何を考えるかというと、
自由に色々なことをやらせてもらったり、
海外を放浪したりっていうのも考えますよ。
仕事も色々なことをやって、
22-27歳はもがき苦しむ時期だと思います。
運良く一流銀行だとか世の中で認められているような組織に入ると、
一見安定して見えますから安心してしまうけれど、
人間を成長させるためには、
(そういうことは)あまり意味が無いと考えています。
もちろん、その数年間の勉強は意味があるけども、
人生という長いスパンで考えるとね。

社内では若者にどのような考えで接していらっしゃいますか?

新入社員でも20代の人には優しく接しています。
でもその過程の中で自分を見つける人でないと、
うちの会社では足切りにあうでしょうね。
30歳になってもまだ若輩ですから。
って、言う人いるけど、僕はそれを許さない。
1人前として認める代わりに、
義務と責任を果たしてもらう
採用面接で必ず言うのは、
「トレーダーになって、成績が一番悪い人は辞めてもらいます」
今トレーダーは十数人いるんですけど、
1年経ったら、1番成績の悪い人は辞めてもらう。
というのも、その人の人生を考えた場合に、
小さい会社の中でトップになるくらいの情熱と気構えが無いと
ハッピーになれないと思っているからです。
子供の時に経験していることですけど、
勉強は出来ないけれども運動会で一等賞になってヒーローになる人いましたよね。
音楽の成績だけはよくて、
クラスの集まりの時にバイオリン持ち出して弾いているような人もいる。
それぞれの人間が才能を持っている世界があるわけ。
その世界でプロを目指す事が出来れば一番幸せなんですよ。
それならば、うちの会社に入社したなら、
レアメタルトレーダーというプロフェッショナルを目指してきてもらっているわけです。
その中で常に一等賞を目指すような努力をしてくださいと。
残念ながら自分の努力が十分ではなくて、
成績が一番悪かったら、辞めてもらいます、
というルールです。
だけどセーフティーネットもありまして、
次に行く会社は用意してあります。
3件くらいあらかじめ頼んであって、そこに行く。
それから1年後にもう1度敗者復活戦に挑戦することもできます。
社員の一番良いところを出すということが経営の重要なところで、
悪いところばかりを見て叩いても成長しない。
一方社員も権利ばっかりを主張して義務を果たさない、
これは通用しませんよね。
自分が会社のために活かせる能力があって、
それを充電してパワーアップしたのなら、
いつでも復職していいよという考え方です。
緊張感がありますよね。

実際そういう社員は多いのですか?

現在のある幹部社員は3回退職と復職を繰り返しています。
MBAを取る希望をもともと持っていた人でした。
彼の奥さんが先にオーストラリア行ってMBAを取得した。
今度は奥さんが仕事をして、
自分が今度はオーストラリアかカナダでMBAを取る約束だったようです。
ところが奥さんが博士まで行きたくなって、
そのままカナダへ留学してしまった。
そしたら俺も行く、と一緒に行っちゃって、それで1回退職した。
でも、2年経ってMBAを取って帰ってきたんですよ
力をつけて帰ってきたのでもちろん復職してもらった。
しばらくすると、子供が生まれて、
2回目の退職をして子供と奥さんのいるカナダに帰ってしまったんです。
それで、カナダにいても仕事も無いし、
毎日暇だからまた復職した。
3回目の時は、カナダに営業所を開くことになって、
そこの駐在員として雇った。
彼の場合、3回ともそれぞれ意味のある辞め方でした。

今の若者は
20代で色々悩んで動かない人って多いと思っています。
引き篭もりやニートといったように…。
この状況をどう思われますか?

これは社会病ですね。
今のニートだとか引き篭もりの方いうのは社会的なスケープゴートだと思います。
原因は二つ。
第一に、高校なり大学を卒業した若者を社会がスムーズに受け入れる制度がないこと。
第二に、日本の教育制度です。
もし仮に新卒の若者を社会がきちんと受け入れてくれるシステムがあれば、
若者のチャンスが広がるわけですよ。
今の社会はそれができていない。
特に小泉政権のときが酷かったですけど、
派遣社員の制度とか、自己責任であるとか、
そういう言葉で上手いこと誤魔化して社会を変なかたちに誘導してしまった。
企業としては、不景気が続けば人事制度も考えざるを得ない。
企業は学校とは違い、利益を生むための公の器だから、
若者を育てることを企業にだけ押し付けられても困る。
この問題は、若者を社会が育てるという視点にならない限り解決しません。
社会の制度ですから、文科省がやるのか、総理府がやるのか…。
政治ないしはお役所の仕事になると思うけどね。

日本の教育制度については?

日本の幼児教育がどうして駄目になっているのかというと、
ゆとり教育が原因です。
特に幼児から小学校に行く時に大きな影響を及ぼしているんですね。
1つの例を申しますと、
私の孫が今上海に住んでいるんですよ。
息子は上海で会社をやっているんですね。
1番上の子供は小学校3年生。愛子様と同じ年です。
わずかその歳でも、
うちの孫は日本の小学生と行動も考え方も違うんですね。
日本に孫が帰ってきているときに愛子様の不登校問題が話題になっていたので、
「愛子様が学校行かないけど、中国でそういう人いる?」
と聞いたら、
「中国にもいるよ。でもそれですぐ退学」
と答えて、驚きました。
孫は、両親は日本人なんだけれども、考え方がもう中国人。
どういう風に中国人になるかというと、
小学校1年生の時からクラス委員は投票で決まります。
小学校1,2年で成績順に座らされる。
1日の宿題の量がとても多く、
小学校3年生で2時間ぐらいかかる。
うちの孫の生活をみますと、
学校は朝の7時に出て、帰ってくるのは5時。
それから塾に行って、宿題やって夜寝るのが23時。
土曜、日曜は宿題が終わったら自由なんですが、
ピアノやバレエなど習い事をしているから1日忙しい。
だから我々よりよっぽど凄いスケジュールをこなしているんですね。
孫が通っているのは、
上海のプライベートスクールなのですが、
日本人学校の方が当然レベルが高いと思いますよね?
ところが、日本人学校は今や中国のプライベートスクールよりレベルが低いそうです。
現地のプライベートスクールで足切りになって、
行く先がなくなったら日本人学校に行くそうです。
プライベートスクールには中国のトップレベルの金持ちと、
台湾人、韓国人、香港人、アメリカ人、オーストラリア人、ヨーロッパ人の子女がいて、
それで中国人の比率が3分の2くらいだそうです。
日本人が2人。

それに比べて日本はゆとり教育を行ってきましたよね。

日本は、手を上げたら大問題で、
モンスターペアレントが出てきてワイワイ言う。
そうすると子供が図に乗るわけですよ。
子供は自分で判断できないわけですから、
間違ったことをした時にはきちんとお仕置きをしないといけない。
そういった当たり前の常識が日本の社会に無いわけですね。
それが長じてどうなるか言うとやる気の無い子供になってしまう。
勉強しなくても進学できる学校がある。
常にセーフティーネットがいつも用意されている。
これが日本の最大の問題だろうね。
今年大学出た人たちがゆとり教育の第一期生なんですよね。
私の同級生が大学教授をやっていて、
毎年の学生の話をしてくれる。
今年入ってきたのは本当に酷い、とぼやいている。
日本という国は、昔は職業技能オリンピックで金銀銅を獲得していた。
でも、今日本で技能オリンピック3位に入る人はほとんどいないんじゃない?
産業界でも我々は貿易で海外と勝負しますから、
何番にいるか日本の立ち位置が分かるわけです。
これでも日本のメーカーが順番どんどん下がってきているね。
10年間の空白期間って言ってるけど、20年ですよ。
1990年から今まで。その間経済も止まってるし、政治も止まっているんです。
22年間で、首相が16人変わっているでしょう?
ということは、毎年1人ずつ変わっているということです。
小泉政権が4年続いたという、そういった危機感、
僕にとって言ったら恐怖感ですよね。
日本という国が劣化しているのにどうしてそれを放置しているのか理解できないですよね。
けれども日本の制度そのものがおかしくなっているから、
国力が一つになりえない。
競争しすぎて国内で疲弊してしまっているから
国外に出たときに勝てないんですよね。

これからの若者がどういったことで日本を変えていけるか、
経験を積まれた先輩としてアドバイスをお願いします

まず、日本の国境という概念を捨てることですね。
言葉は単なる手段ですが、
されど、この手段がなければ文化を理解する事が出来ないんですね。
文化を若いときに吸収するしか方法が無いんですね。
留学しなくても、1人1人が問題意識さえ持っていれば言葉は習得できる。
自分の生き様を決断できるわけですから。
ある程度若い人にチャンスを与えるそういう制度を作り、
それと同時に厳しさも教えるべきでしょうね。
現状ではあまりにも甘すぎるから。
例えば海外に勉強に行く。
だけど遊び半分になっているのなら行く意味がない。
そういう精神的な危機感をもう1度持ち直すことが重要です。
私自身は教育家では無いですから、
社会に出てこられた人をどういうかたちで教育をしているか、
という話ができないのですが。
うちの会社の教育をするための要素というのは4つありまして、
1つは専門性を持っている方。
今は無くても専門性を追求してほしい。
2つ目は、多様性を持っている人
多国籍の多民族国家の中でもまれるような体験が無い限り、
真の多様性って中々解らないし手に入らない。
単純に色んなタイプの人とフレキシブルにお付き合いできますよ、
というのが多様性じゃないんですね。
差別感とか偏見とかを越えたところに、
民族の差、男女の差、年齢の差、宗教の違いなんかがある。
それら全てを受け入れて文化を共有することが多様化という意味なんですね。
3つ目がスピード感。
今日本にとって一番重要なことはスピードなんですよ。
スピードが犠牲にされているんですね。
良い商品を作るときに、
時間がかかりますよ、コストがかかりますよ、という言い訳を皆言うけど、
世界のスピードは日本のスピードよりずっと早いんですよ。
昭和30年代、40年代って日本の経済発展のスピードが早かったように、
今の中国の方が日本のスピードよりずっと早いですね。
スピードを早く回転させることで、
考え方もスピードアップしてより一層成長できるような、
そういった事を教育している。
4つ目は、個性です。
余人を持って代え難い、
その人しか持っていない特異性や人間性。
ということです。
どんな人でもその人の特異性があるわけですから、
その人がいなかったら困る存在になれと。
そういう個性を持たなければ駄目だという教育をしている。

29歳を過ぎてしまって、
例えば、33、35となってしまったときにはどうすれば良いのでしょうか?

29歳、30歳は一つの指針だけですから、
それを40に決めてもいいし、50に決めてもいいのです。
その人の目的意識と気の持ち方。
ただ、春になったら芽が出て花が咲く原理原則があるように
人間も一緒で14、5歳から青年の道から歩み出し、
若竹が伸びるのはある一時期しかない。
伸びるべきときに伸ばさないとチャンスを無くします。
でもチャンスは0じゃない。
30歳になってからも伸びるんですけど、
伸びる効率が悪い。
そこをよく考えるべきだと思います。
若いときは、苦労をものともせずやったほうがいいと思います。

やはり30歳になるまでが勝負と?

30歳で人生の方向性を決めるということは、確かに幸せなことなんですね。
だけれども、10年毎に何か1本ずつやっていく発想を持てば、
35歳になった人でも勝負できると思いますよ。
例えば私自身を例に取りますと、
10年に1回新しい趣味が変わっていくんですね。
今は仏像彫刻を徹底的にやっている最中。
これもやりだしたら最後プロにならないかんよね、10年以内に。
それから、60歳になってから本を5、6冊出しました。
雑誌「 Wedge 」や「東洋経済」にコラムも連載しています。
これを毎月毎日こなしていくのは結構しんどい。
朝起きるのは4時なんですけど、
11時まではインプットの時間で、
11時から5時まではアウトプット。
そのあと自由時間が6時間あって、
睡眠時間が5時間。
その中で、いかに細切れの時間を上手に見つけ出すか、
そして自分で決めたことを徹底的にやるかが大事なんですね。
その時に多様性のある価値観を持つべきなんですよ。
多様性のある価値観というのは、
会社に入って出世して給料沢山貰って結婚して子供を生んで定年になって余生を、
というのも、これはこれで素晴らしい人生とは思います。
否定するものではないですけど、
もっとユニークな人生があっても良いわけですね。
その価値観はどこから来るかということなんです。
一般的な価値観というは、
自分の過去の成功体験の繰り返しや、親御さんの価値観、
たまたま入った会社の考え方や価値観であることが多い。
それをずっと後生大事に持っていく人が意外と多い。
ところが、それは世界には全く通用しないこともある。
だから、出来る限りスケールの大きなものの見方が出来るようになること。
それは若いときにやっておかないといけない。

貴重なお話をありがとうございました。


ママチャリで日本一周している経営者
■Profile:
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指す。ほぼ一周を終えつつ、まだまだ走り続ける口実をつくるべく、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人1団体の理事として活動中。
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