45人目 ロバートハリスさん:エグザイルス

ロバートハリスさん
会社名 エグザイルス
URL http://robertharris.jugem.jp/
公開日 2010年08月04日

今回の旅は、エグザイルス ロバートハリスさんです!

まずは自己紹介をお願いします。

長い間、日本でラジオ(J-WAVE)の喋り手をしていました。
今は主に執筆活動をしていて、
自叙伝からエッセイ集、小説、紀行文と色々書いてきました。
今もちょうど一冊の本(『アフォリズム』というタイトルの世界の格言集)を書き終えたところです。
この本は9月に刊行予定です。

では、ズバリ、29歳はどんな年でしたか?

1948年生まれだから、29歳は1977年か。
どん底にいた。

どん底?
すごく明るくてエネルギーに満ち溢れているイメージだったのですが。

たしかに、おれは昔からすごくエネルギーがある人間で、
人懐っこくて、何でもGo、Go、Goだったんだよね。
英語も昔からできて、
女の子にもまあまあモテて、何でも順調にいっていた。
自分でもおれは明るくて、力強い生命力を持っていると思っていた。
だからアメリカに留学して、ヒッピーになって、
いろんなことを試して、未来に希望もいっぱい抱いていた。
大学を卒業するちょっと前にさかのぼるけど、24歳の時。
おれは結婚したばかりのアメリカ人のワイフと東京のおんぼろアパートに住んでいた。
ちょうど大学を卒業するころだったかな。
ある日、急に欝の状態に陥ってしまったんだよね。
急に生きていることが不安になって、自己嫌悪にも陥って。
何しろハッピーではなくなっちゃったんだよね。
近くに大学病院があるから行ったら、軽いノイローゼだって。
当時のぼくは早く東京を出て旅をしたかった。
エーゲ海のどこかの島にでも行って、作家になろうと思っていた。
まず日本を出て、旅をして、
いろんな物語を自分の中に吸収して、
それらをヒントに小説や紀行文を書こうと思っていた。
東京でも日々、デスクに向かってペンを走らせていた。
でも、なかなか書けなくてそのフラストレーションが溜っていたんだろうね。
とにかく、ある日を堺に欝の状態に陥ってしまったわけです。
それで逃げるように日本を飛び出した。
でも、旅をしてもダメなんだよね。
元気がなくて、内面ばかり覗いていた。
すると友達も出来なくなるし、何も見えなくなる。
自分探しってやつは内面ばかり覗いていてもダメなんだよね。
旅に身を投じて、人と係わり合って、景色を楽しんで、
自意識を忘れることで初めて自分というものが見えてくる。
でも、そのときのぼくにはそんな余裕はなかった。
今まで人懐っこかった人間が、
人といるのは恐くなるし、言葉を交わすのも億劫になる。
朝起きて気持ちいいな。と思った瞬間に
「俺は落ち込んでいるんだ」
という暗い思いが頭をよぎり、
その瞬間から、また落ち込んで。
そんな感じで旅をしているとき、
シンガポールで出会ったヒッピーに、
「バリ島で休養したほうがいいかもよ」
と言われ、バリ島へ行って1年休養。
1970年代初めのバリ島はすごくワイルドで、
ぼくたちヒッピーの楽園のようなところだった。
ウブッドに一年いたんだけどね。
でも、欝の状態はまだ晴れない。
ジャワ島へ行ってメディテーション(瞑想)の学校に入ったり、
禅寺みたいなところで修行もしたけど、やはり心は晴れない。
心はいつも不安だらけで、心の底からハッピーになれない。
無邪気になれないし、自然体にもなれない。
いつも、どこかにストレスを感じているんだよね。
だからぼくは思うんだけど、
こういう状態の時は宗教とか、
メディテーションとか、ヨガなんかもそうだけど、
それほど役に立たないんだよね。
心をある程度、落ち尽かせることはできるけど、
欝から開放させることはそう簡単にはできない。
場所を変えたら少しは良くなるかもしれないと思って、
一年暮らしたバリ島を後にしてオーストラリアへ渡った。
北のダーウィンからヒッチハイクでシドニーまで行って、
アパートと仕事を見つけて腰を落ち着けた。
友達も作ったし、ヨガやメディテーションはやり続け、
ベジタリアンにもなったりと、色々とがんばった。
小さなアングラの劇団にも入ってね。
でも軽い鬱は晴れることなく、2年、3年と続いた。
物書きになる夢も保留にしましたね。
まずはこの状態をなんとか打破しないといけない、
元気にならないと何も書けないと思ったからね。
そのうち、ぼく以上に精神状態が不安定だった
弟をオーストラリアに呼び、
彼の面倒を見るようになった。
人の面倒を見ていると、
ある程度、自分の問題を忘れることが出来るしね。
そんなある時、「プライマル・セラピー」というセラピーに出会った。
カリフォルニアのアーサー・ヤノヴという人が発案したセラピーで、
ジョン・レノンとオノ・ヨーコもやったことがあるので
有名になったんだけど、
自分の過去を掘り下げていって、
悲しい思い出にぶち当たったら
ただ話すだけではなく、泣きたくなったら泣いて、
怒りたくなったら怒る。
感情を表現して、心の中に巣食ったトラウマを
吐き出していくセラピーなんだよね。
これだ、と思ったぼくは、それをまず弟にやらせたかった。
シドニーの郊外にこのセラピーのセンターがあったんで、
彼をそこに入れたんだ。
でもこのセラピー、かなり過激で、
精神安定剤もタバコも酒もコーヒーも
全て断って、2週間、完全に隔離されるんだよね。
ぼくより精神状態が不安定な弟にはタフ過ぎた。
隔離された途端、
心の中にあるいろんなものが出てきちゃって、
耐えられなくなった弟は逃げてきた。
ぼくはまた彼を無理やりセンターに連れて帰った。
でもまた逃げてきた。
「どうしたいの?」
って聞いたら、
「日本に帰りたい、母の元に帰りたい」
と言うんで、
「わかった」と言って
日本に帰らせた。
そしたら3日後、
母から電報が届いた。
弟が自殺したっていうね。
ぼくが28歳、弟が24歳の時ですね。
日本に帰って僕が自殺した弟のお葬式の仕切りを任された。
悲しいんだけど泣けなくて、涙が出てこない。
葬儀のあと、オーストラリアに逃げるように帰って、
今度はぼくがセラピーを始めた。
このままだと俺も死んでしまうと
思ったんですね。
悲しくて破裂しそうなのに、泣けないし、
ちゃんと悲しむことが出来ないんだよね。
セラピーが始まっても、
1週間くらいは何も感じられなかった。
1週間後にやっと防波堤が崩れるように泣き出した。
まず、その前年に僕の大好きなおばあちゃんが亡くなったんだけど、
彼女のことを考えていたら急に悲しくなったんだよね。
だからまずは彼女のことで涙が出てきたんだけど、
それがきっかけで、今までの痛みとか怒りとか、
次から次へと感情が沸き上がってきて、
涙が止めどなく流れた。
もちろん、弟のことも泣きに泣いた。
すごかったよ。
それまでの10年間、泣けなかったからさ。
一回のセッションで、
あっという間に300枚入りのティッシュがなくなっちゃうくらい泣いた。
毎日、いろんな感情が出てきて、それを全部吐き出した。
僕にとってはすごい解放感だったね。
そして驚いたことに、泣き始めてから1週間経ったら
鬱が完全になくなっていた。
4年間近く悩まされた欝から
突然、「あれ?」っていう感じに
開放されていたんだよね。
奇跡だよね。
ぼくには奇跡としか思えなかった。
そして、欝が晴れるとともに、ものすごいエネルギーが戻ってきた。
まるで子供に返ったたような
ワイルドでピュアなエネルギーが体中に波打っていて、すごかったね。
自分の中でブロックされていたものが
全て取り払われて、感情の流れが良くなって、生きるエネルギーが
「これでもか」っていう勢いで復活したんだよね。
口笛吹きながらスキップしちゃうくらいハイで、
それがずっと持続してるんだよね。
すごい自然体の自分で、ハッピーで、
はち切れるようなエネルギーがあるんだよね。
それがちょうど29歳位の頃じゃないかな。

すさまじい20代。
もしも、自分だったら。と置き換えて考えてみたら、
自分ならダメになりそうです。

うん、俺もダメだと思っていた。

30歳になってからは何か始められたりしたのですか?

ずっとポエトリー・リーディングが出来るような、
ボヘミアンで文化的なブックショップをやりたいなと思っていて、
その夢を叶えるために、大きな本屋で働いたんだ。
日本だったら紀伊国屋書店のような大きなブックショップで。
セラピーをやりながら、
ブックショップで働いて、
頑張っていたらいつの間にか
1階と2階のマネージャーになっちゃったんだよね。
スーツを着て、みんなを管理する役職についちゃったんだ。
そんなある朝、満員電車に乗って、店に向かっていた時、
「おれって一体、何をやっているんだろう?」と思った。
「俺は旅人じゃねぇか!どうしてオーストラリアまで来て、
サラリーマンをやっているんだ?」ってね(笑)

そうですよね。
大きな書店でマネージャーだから、完全にサラリーマンですよね。

その日に辞めようと思ったね。
辞めて自分の本屋を探そうと。
次の日、会社を休んで街を歩いた。
あまり行ったことのないボヘミアンなエリアがあったから、
そこに行っていろいろと歩いていたら、
「COMPENDIUM’S BOOKSHOP」というニューエイジ系のブックショップがあった。
さっそく店に入って、店のオヤジといろいろと話したんだ。
そうしたらそのオヤジ、本屋を売りたくてしょうがないって言うんだ。
さっそくその場で彼と値段とかを交渉して、握手!
その翌日に辞表を出して1週間後に自分の本屋の主になった。
1978年、ちょうど30歳の時だね。
ブックショップの名前は「EXILES」。
「島流し」、「放浪者」、「故郷離脱」、「異邦人」などといった意味を持つ言葉。
自分にぴったりな名前だと思ったし、
そういう、ぼくと同じような半端者の連中が
気軽にたむろせる店にしたかった。
おれの本屋!
嬉しかったね。
ここは自分のスペースで、
好きなことができるわけだよね。
ロックとかレゲーとかをガンガンにかけて、
コーヒーテーブルや座るスペースを設けて、
コミュニティーボードを作ってね。
もちろん、自分の好きな本をたくさんオーダーしてね。
そしたら面白い人間がいっぱい集まってきたね。
売れない作家から詩人、画家の卵、パンク、
ゲイ、学生、パフォーマンス・アーティスト、
若い左翼系の弁護士や活動家、
写真家、ストリッパー、娼婦、
評論家、大学教授、エトセトラ。
みんな、俺の友達になりそうな奴ばかり。
俺に合ったタイプの人間だよね。
ぼく自身、今までは何者でもなかったのに
いつの間にか悪名高き、ではないけれど、
みんなに知れ渡った
「エグザイルズ・ブックショップ」
のオーナーなわけ。
町のサブカルチャーの “顔”になってるんだよね。

10代、そして20代前半の頃、どういう29歳を想像していましたか?

おれの世代は若い時にテレビを観はじめた頃。
アメリカのドラマの中で一番好きだったのが「ルート66」。
アメリカ人の若者二人がシボレー・コルベットに乗って、
町から町に風来坊的な人生を歩んでいるっていう話でね。
行く先々で恋愛をしたり、
事件に巻き込まれたり、何かあるわけ。
でも、エピソードの終わりにはまた車に乗って次の町へ行っちゃうの。
カッコいいんだよ、そいつら。
クールで、いろんな経験積んでるのに自慢話は一切しないし、
女にモテるし、喧嘩も強いし。
そいつらが29歳だったんだよね。。
みていたのが14歳くらいだったから。
昔は29歳なんてジジイだと思っていたんだけど、
「ルート66」のそいつらを見て、
「俺もあーいう人生を歩みたい!」
と思ったね。
会社に勤務してどうこうじゃなくて、
29歳でもカッコいい風来坊になれたらいいな、
というのがおれの理想だったんだよね。
それからというもの
おれの理想というのは、
社会の上に立つ人間とか、金持とかじゃなくて、
風来坊か作家だったね。
ヘミングウェイみたいにパリやキューバに住んだり、
アフリカにライオンを狩に行ったり、
ボヘミアンな生活をしたりするのが理想だった。
世界を放浪しながら、
おもしろい人間とおもしろいことに関わりながら、
それを自分で書くのが夢だった。

僕もそうなんですけど、若い人たちは
「ハリスさんみたいな生き方をしたい!」
と思っている人が多くいると思います。
でも、できない人が多い。
何かアドバイスはありませんか?

いくつになってもいいからさ。
29歳って遅いと自分で思っている人もずいぶんいると思うんだよね。
社会的にこうなっていなくちゃいけないとか、
このぐらい稼いで、このぐらいのポジションにいてとか。
自分のリミットを感じちゃっている人がいると思うけど、
全然そんなふうに感じないでいいと思うんだよね。
自分の夢があってそれをどうやって実現していくのか、
または夢がわからない人は何を本当にしたいのか、
改めて自分を検証しなきゃいけないと思うのね。

検証?

自分の中で何をやりたいのかを問いていかなきゃいけないってこと。
どんなにくだらないことでもいいから、本当にやりたいことは何か。
おれが18歳の時にやったように、
人生でやりたいことを100個書くとか。
10個でもいいんだよ。
たまに講演で10個の夢をみんなに書いてもらうんだけどね。
書かれたものを読むと二つのタイプがいるって分かるんだ。
今やっている仕事に関連した夢が10個ある人と、
やっていることとまったく関係のない夢を10個書く人。
今、やっていることと関連している夢が多い人は、
今やっていることが正しいんだよ。
自分が好きなことをやっているんだよ。
でもそういう人は圧倒的に少ない。
やっていることと関係ない夢が10個近くある人がほとんど。
そういう人は今やっていることを止めたほうがいいんだよ。

なるほど、すごくわかります!

2年プランでも5年プランでもいいよ。
止めるプランを立てて、
地道に自分のやりたい方向に向けて行動を起こしたほうがいいと思うね。
その前に何をやりたいのかをとことん自分の中から探していく。
自分の声を聞く。
日本の社会にずっといて、みんな
こうしなくちゃいけない、あーしなくちゃいけない。
これはいい、あれはいけないって洗脳されてるんだよ。
だから、社会でやらなければいけないことや
社会に対する責任を一回全部忘れてさ、
自分は何をやりたいのか、素直に考えてみるんだ。
やりたいことを100個書くと自分が現れるんだよ。
100個なんて中々考えられないから、
くだらないことを書いちゃうの。
それでいいんだよ。
くだらない中に本当に自分のやりたいことがあるんだから。
時間をかけて書いたら、大体見えてくる。
俺が今やっていることは向いていない!
俺は海外に行きたいんだ!
クリエイティブな仕事をやりたいんだ!
クリエイティブな仕事の中でも特にこれがやりたいんだ!
というのが絶対に見えてくる。
それを自分の中ではっきりさせることがまず第一歩だと思う。
それをやるのは幾つになっても遅くない。
方向転換するのは50歳になっても遅くないと思う。
旅もいいんだよ。
わからないから半年旅をしようと思って旅をすると、
日本では考えられなかった選択肢がいっぱい見えてくるんだよね。
日本だと選択肢がある程度決まっちゃってるからね。
オープンな気持ちで自分の現状と本当にやりたいことを再検証することが大切。
日本がこうだから、みんながこうしているから。じゃなくて、
「俺は何をしたいか、私は何をしたいか」
を基準として考える。
社会がこうだし、友達もこうだから、
「俺もこんな風に考えなくちゃいけないのかな」
ってなっちゃうんだけどさ、
そういう考え方がいけないんだよ。
ぼくも日本にいると洗脳されちゃうもん。
日本って、すごいプレッシャーがあるわけよ。
平日の昼間に一人で散歩をしていると、
「何でこのおっさん、この時間に散歩しているの?」
って。大きなお世話だと思うんだけど、
日本はそういうプレッシャーがあるところなんだよね。
オーストラリアでは20代、30代の奴が
昼からビーチでビールを飲んでいても
誰も何とも思わないんだけどね。
「おっ、楽しそうだな」
ぐらいにしかね。
バリなんかに行くと、みんなニコニコしてる。
田んぼで汗流して働いている人でもぼくが横を歩いて
「こんにちは」って言うとニコッとしてくれる。
だからこっちも自然と笑顔を振り撒くようになる。
でも、そのまま日本に帰って、
ニコニコしながら東横線に乗ると、変人扱いされる(笑)
一回、東横線に乗っていて、
前の席にアメリカ人らしき白人が座っていてね。
渋谷に着くちょっと前で、後ろからまた別の白人が歩いてきたんだ。
そして前に座っているアメリカ人と
歩いてくる白人の目と目が合ったんだ。
すると座っている白人が、歩いている白人に「ハロー!」と言った。
そしたら、歩いてる白人は何も言わないで
そのまますたすた歩いていったんだけど、
10歩くらい歩いて歩みを止めて振り返って、
座っている白人に言ったんだ、
「悪い。俺、日本に長く居すぎて何を言っていいんだかわかんなくなっちゃった」ってね。
おれも、彼も、座っている白人も大声で笑っちゃったね。
それくらい、日本にいると洗脳されちゃうんだよね。

日本の同年代の人と比べて、
ハリスさんはすごく若々しく、少年みたいだなぁ。
というのが正直な感想。
その若さはどこからくるんですか?

恋だよね。恋。
僕はいつも恋をしているから。
日本の男性はエッチな思いはあるんだけど、
恋をしていない。
恋をしなきゃダメ。
ボロボロに泣くような恋。
今の人たちって、傷つきたくないとか思ってるよね。

(同行サポーター:中村隊長)
旅も恋も。人生に対しても全部そう。
みんな失敗したくたいと思うから、面白くない。
ギャップがあるから楽しいし、感動があるんだよ。

ホントそう。
死ぬ前に走馬灯のようにあなたの人生が映し出される。
それを見てて、楽しめるような人生であればいい。
つまんなかったな。と思うほどの悲劇は無いよね。

ハリスさんは世界中を旅されて気になったこと。
思うことって何かありますか?

僕は世界中を旅しているでしょ。
そこで女性に、必ず質問をするの。
「5つの快楽を言うから、それに優劣、1から5をつけて」ってね。
食べること。
寝ること。
買い物すること。
お風呂に入ること。
SEXすること。
これに優劣をつけてってね。
すると、オーストラリア、アメリカ、フランス、ドイツとか北欧とかは、
間違いなく1番上にくるのがSEXなんだ。
でもさ、日本ではSEXが一番下なんだ。
つまり、日本の男も女も
SEXを楽しんでないってことだよね。
これはもちろん男のせいでもあるし、
女性のせいでもある。
楽しむことっていうのを、
お互い言い合えていないんだよね。
まずは女性が言わなきゃいけないのかもしれない。
こうして。ああして。
こうじゃないってね。
じゃないと、いつまでたっても男はわかんない。
男って自分勝手な生き物だから、
ただやって、こと切れて、気持ち良かったで終わっちゃう。
それじゃ、ダメだよね。
ぼくは海外でもまれたからよくわかる(笑)。
でも、まあ、セックスはあくまでひとつの例だよね。
日本人は勤勉で、真面目で、頑張りやだってことは
もうよくわかっているし、
そういうところは世界に誇っていい資質なんだけど、
もう少しリラックスして、
自分のやりたいことをもっと貪欲に考えて、
もっと笑って、感情的にオープンになって、
快楽もちゃんと追求した方がいい、
そう言いたいんだよね、ぼくは。

では最後に29歳の自分にむけたメッセージを色紙にお願いします。

今日はどうもありがとうございました!


ママチャリで日本一周している経営者
■Profile:(2018年時点)
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指すこと11年目。ほぼ一周を終えつつ、まだまだ走り続ける口実をつくるべく、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人1団体の理事として活動中。
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