46人目 岡田悟朗さん:株式会社ナインヒルズ

岡田悟朗さん
会社名 株式会社ナインヒルズ
URL http://garden-tokyo.jp/
公開日 2010年08月08日

今回の旅は、株式会社ナインヒルズ 岡田悟朗さんです

まずは、自己紹介をお願いします。

アパレルメーカーをやっています。
大きく分けると二つのことを行っていて、
自社ブランド「 Garden TOKYO 」のデザイン、生産、
全国のセレクトショップに卸すこと。
そして、OEM( original equipment manufacturer ) といって、
他社ブランド向けにデザインや企画を提案することをしています。
例えば、SHIPSさんというセレクトショップがあるんですけど、
「こういうのどうですか?」
と提案して、気に入ってもらえたら、うちが工場で生産して、
SHIP様のネームをつけて納品する仕事です。

その二本立てで業務をする理由は?

自社ブランドの展示会をして、バイヤーさんに来てもらって、
買ってもらうこともできるのですが、
そうすると少量の出荷なんです。
それを彼らの自分のオリジナルとして企画すると、
100~200枚という数でまとまって注文が入るからです。

いつごろからアパレルの仕事につきたいと思ったんですか?

子供の頃の夢が、社長になることだったんです。
子供の発想なんですけど、
その頃は世の中のことをわかっていなかったら、
社長が一番偉いと思っていたんですね。
今考えると、大企業に入って、
ディレクションを任される仕事に就いて、
部長クラスになっても十分に幸せでお給料がもらえると思いますけどね。

アパレルの仕事がしたい、というより、
「社長になりたい」
というのが先だったんですね。

社長になることと、
それから自分の好きなことを仕事にしたい!
という気持ちがありました。
子供の頃は絵を描くことが好きだったので、
「漫画家やイラストレーターになりたい。」
と、思ったり。
社長になりたいことが根底としてあって、
職種が成長とともに変わっていった感じですね。

最終的にアパレルに辿り着いたのはいつごろですか?

高校生のときですね。
洋服が好きだったので、絵かアパレルか。
絵を描くことも好きだったので、
アパレルに入って自分のお店を出して、
オリジナルで服を作れたらいいな、と漠然と思っていましたね。

20代の頃は、アパレルの勉強をされていたんですか?

大学では、アパレルというより経営のことを学んでいました。
簿記が必要かな?
と思って簿記の勉強をしたり。
アパレルの勉強は専門学校に行っていないので、
就職して働きながら実地で覚えていきましたね。
運営面では、セレクトショップに勤務していたので、
お店のバイイングをしたり店長のようなことをやったりして、
自然と学ぶことができました。
服づくりに関しては勉強が必要だったので、
新宿に文化服装学院という専門学校があるんですけど、
そこの社会人向けのパタンナー講座を自分で受けたりしていましたね。

それでできるものなんですね。
服づくりって、すごく経験年数が必要なのかと思っていました。

デザイナーといってもいろいろあるんですよ。
デザイン画を描いてアシスタントがそれをパターンにして作っていく場合と、
デザイナーさんが服の設計図を書いて作っていく場合。
自分は比較的細かいタイプなので、仕様書を細かく書くんですけど、
それほどきっちり勉強をしていなくても大丈夫だと思います。
パタンナーさんが技術職だから専門的な勉強してないとできないんですけど、
デザイナーは意外と勉強が必要ない業種かもしれませんね。

そういった経験を20代の頃にされてきて、
29歳のときの思い出を教えていただけますか?

「30歳に独立したい」
と思っていたんですよ。
でも、実際に独立したのが3年前の、
33~34歳の時。
仕事が忙しくて会社を辞めさせてもらえなくてそうなりました。
29歳の時は本当に働きづめで、
30歳の誕生日のことは、
まったく覚えていないですね。

結構、そういう社長さんは多いですね(笑)

正直、そんなに29歳、30歳を意識していなかった部分がありますね。

30歳になる焦りや不安はなかったんですか?

なかったですね。
職業柄、外見が若く見えるじゃないですか。
そういう意味での焦りもなかったですし、
20代でIT系の業種で成功されている方もいらっしゃるんですけど、
社長になるのに30歳で遅いとも思っていなかったので。
それよりは、独立する前の会社で売上を上げることに邁進していて、
独立の準備をして細かい将来設計を考え始めたのは、
独立する1年前ですかね。

29歳の頃は忙しさに追われて、
がむしゃらに目の前の仕事をやっていた、ということでしたが、
仕事を辞めたくなるときはありませんでしたか?

やはり何回かありましたね。
アパレルの仕事はきついんですよ。
会社に入って独立するまで13年くらいいたんですけど、
「いつかは独立するんだ」
という目的があったからこそ、
そのために必要な経験だと思って、
辛いけど頑張れていたのかもしれません。

なにが一番つらいんですか?

労働基準法があってないようなものなんです。
アパレルも華やかに見えるらしくて人気の職業なので、
やりたい人が多い職業は、当然、労働条件がきついんですよ。
次から次へと希望者が来るので。
朝9時に出社して、夜11~12時までやって、
残業なんてつかないこともありました。

肉体労働的なところもありますよね?

古着の買い付けでアメリカに行くんですけど、
一見、出張でアメリカに行くのは格好よく聞こえるでしょ?
でも、肉体労働なんですよ!
ラグ屋という倉庫があるんですけど、
そこに世界中から集められた古着があるんですね。
船積みされてコンテナで来るんですけど、
それを開けるとTシャツ、ジーパンといったように分類されて入っているわけではなく、
下着も入っているし、水着もあるし。
その中から売れるものをピックしていくんです。
だから、服を2000枚見て、
ピックできるのは5枚がいいとこじゃないですかね。

そんなに少ないんですか!

Tシャツを探していても、
サイズの問題、柄の問題があって、
日本で売れる物を選ぶとなると、
そんなものなんです。

宝探しのようですね。

そうですよね。
作業環境も最悪なんです。
向こうの人は防毒マスクをしているんですよ。
ホコリを吸うから。
そこで働いている人はメキシカンが多いんですけど、
そのメキシカンがホコリを吸って肺を壊してしまって、
2年持たないんですって。
そんな所に行っていたので、過酷。

いつか独立する夢があったからこそ耐えられたんですね。

それもそうですし、
独立のことを抜きにしても、
「古着屋をやりたい!」
と、周りも、がっついていたので、嫌だと言ったら
「おまえ、いらないよ。他の奴を連れていくから」
という空気だったので。
やらざるを得ないのはありましたね。
実際、独立の夢は果たされていますが。それがゴールではないですし、
スタッフも抱えているので会社を潰すわけにもいかないから、
今度は維持していくことが目標にもなっています。
独立してゴールではないですね。

会社を創ることを目標として、
それを達成したら、急にテンションが下がって身動きが取れなくなる。
そういった経験はありませんでしたか?

なかったですね。
独立する前も自分が作った服を買ってくれるお客さんはいたし、
独立してお金のやり取りが自分名義になるだけで、
業務としては途切れなかったですね。

今後はどういった会社の目標やビジョンをお持ちなんでしょうか?

社員全員が普通に食っていけるようにするのが第一ですね。
カッコいいビジョンを言うとすれば、
自分も社長でありながら服もデザインしているので、
それを世に広めたいです。
それで「東京コレクション」などの場で発表していきたい思いがありますね。

自分がデザインした服を着ている人を街中で見かけることはあるんですか?

あります。
いい質問ですね(笑)
デザインをやってうれしかったのがその時なんです。
初めて自分のデザインをした服を街中で見かけた時の感動といったらないですね。

初めて見かけたのはいつごろですか?

それを初めて見かけたのを29歳という事にしておきますか(笑)
もうちょっと若かったかな。
でも、デザインを始めた頃だから、
本当に29歳くらいかもしれない。

どんな気持ちになるものなんですか?

メンズの服なので男の子だったんですけど、
日曜日に彼女とデートをする時に着ていたんですよね。
そうすると彼にとっては勝負服じゃないですか。
そういったハレの日に選んでもらえているのは嬉しかったです。
服という形になるものを売るじゃないですか。
彼女と初デートの時に着ていたなとかプロポーズの時に着ていたなとか、
その人の人生に何らかの影響を及ぼす可能性があるんですよ。
自分のデザインするような凝った服とかは、
普通に生活していくだけだったら必要はないんですよ。
他に安い服はいっぱいあるので。
それでも付加価値を見出して多少高くても買ってもらっているということは、
その人の人生に影響を与えている可能性がありますよね。
たとえば結婚指輪を作る仕事とかはわかりやすいじゃないですか。
すごい思い出に残る物なので。
そこまでいかないまでも、デザイナーというのは、
なんらかの形で誰かの人生に影響を与えられる職業だと思います。
そういった仕事はそんなにあるものではないので、
この職業を選んでよかったなと思いますね。

さっきから気になっていたんですけど、
名刺のデザインがアパレルからかけ離れている感じがしていて。

元々、絵を描くことが好きだったので、
自分で描いたんですよ。

ピカソ的な不思議な気持ちになる絵ですよね。
何か意図があるんですか?

上下どちらから見てもOKな絵にしたかった。
木の根っこに見えるし、
逆にしても木に見えるようにしたかったので。
あとは正直意味がないんですけど、
話が長くなるけどいいですか?

はい。

日本ってどこの国の文化でもとりいれちゃう所があるじゃないですか。
和・洋・中と折衷できる能力がある。
洋服だけではなく料理や文化など、
色々な国の要素を取り入れるのがうまい民族なんです。
例えば日本人の女の子って、
ルイ・ヴィトンのバッグをいっぱい持っているじゃないですか。
あれは海外ではあり得ないことなんです。
若い子が買えるわけがないというのもありますし、
年収相応のものを持つ文化があるんです。
日本にはそういう文化がない分、
ファッションに対してすごく自由。
安い服を着たり、古着も着たり。
かと思えば、有名なブランドも買う。
それがいいか悪いかは別にして、
ミックスする能力がすごくある人種だと思っています。
東京の若い子が思うお洒落というのは、
色々なテイストの物をミックスして、
自分らしく着こなすっていう編集能力が高いという事だと思うので、
うちのブランド自体も彼らをターゲットにしているんですよ。
また、ミックスすることを自分が元々好きなこともあって、
名刺のデザインにも様々なものを採り入れて、表現したんです

本当にいろんな文化が混ざっている感じですね。

服や名刺、ロゴもエコっぽいちょっと女性的な感じなんです。
実際に服を見てみると都会の毒蛇のようですけど、
最新の素材を一部使っているんですよ。
基本はオーガニックコットンのTシャツだけど、
一部がナイロンになっていたり。
そんな服を作っているので、
「ミクスチャー」
という単語を大事にしていますね。

~~~サポーターからのインタビュータイム~~~
僕もこれから会社を立ち上げてやろうと思っているのですが、
モチベーションや自分の中のやる気を保つために、
日頃気をつけていることは何かありますか?

ありきたりな言いかたですけど、
何にでも興味を持つことですね。
自分が会社をやっていいなと思ったことは、
最終決定権が社長にあること。
勤めていると、自分が絶対にベストだと思う方法は、
採用されなかったりするわけ。
それが悔しくて。
些細なことでもいい。
掃除の仕方一つでもいい。
それをすべて決められることが、
自分にとってはすごくストレスのないことだと思っている。
いろんなことに興味を持つと、
何かあった時にその場で決定できるんですよ。
「あー、それいいね。うち、こんなことができるからやってみるね」
と、できる。
どこでどう繋がるかわからないので、
いろんなことに興味を持つことはいいなと思っている。

ご自身で会社を経営されていて、経営者として
「俺はこういう所が向いているな」
と思う所はありますか?

実は、社長向きじゃないと思っているんです。
計算も苦手ですし。
ただ、努力する才能はあったし、
好きなことを仕事にした。
だから、何かあった時にも辛くないんですね。
今も正直、休んでいないんですよ。
でも、全然苦に思いません。
うちの会社の規模で見た場合、
一人ひとりがムチャをしなければならない部分もあるので、
そういう意味では向いているかもしれないですね。
大企業の社長だったら、
休んでオンとオフをはっきり切り替えられる人がいい可能性はあるんですけど。
経営者の資質はどれが正解というものがないので。
会社がうまく回っていたらそれでいいわけですから。
うちの会社の社長としては自分は向いているのかもしれないですね。

なるほど。
「社長は何もしないでドンと座ってコントロールするのがいいんだよ」
と言う人もいて。

それもアリだと思うんですね。
社長のありかたすらも社長が決められる。
だから、それがいいんじゃないですかね。

~~~サポーターからのインタビュータイム終了~~~
経営者となって、プレッシャーみたいなものはありますか?

やっぱり人を雇う時ですね。
結婚している人を雇うことがプレッシャーでした。

岡田さん自身はご結婚は?

していないんですよ。
彼女募集と書いておいてください(笑)

なんでこんなことを聞いたかというと、
写真を撮っていて思ったんですけど、
V6の岡田くんと似ているなぁーと思って。

すごい所、突いてきましたね(笑)
言われたことはありますけど、
そんなにないですよ。

すいません、話が脱線しちゃいました。
若い人たちやこれから起業したい人たち。
そういった人達に向けてアドバイスや、
こういうことをやっておいたらいいよ、
というのがあれば教えていただけますか?

何か一つ興味の持てることを見つけて、
それが向いている向いていない、
能力あるなしは別にして、
そのことだったら、どんなに苦しくても耐えられるもの。
これを見つけると起業しやすいと思いますね。
それがなくても起業できる人はいるんですけど、
趣味は趣味で仕事は仕事で金儲けのセンスがあって、
うまくいっちゃう人ももちろんいるけど。
基本的に何かあった時にやっている仕事が好きだということが大事なのかなと。

好きなことだったり、耐えられることを見つけることを難しく感じている人もいるかと思いますが。

見つからないってことは、
起業に向いていないと思いますね。
それがないのなら、
その人はたぶん起業向きじゃなくて、
どこかに入ってある程度制限もあって、
気に入らないこともあるんだけど、
安定もあって仕事を与えてくれる環境に向いているのかもしれない。
その会社でがんばって、
ストレスが溜まらないように趣味を見つけるとか。
そっちで豊かな人生を送ることができると思う。
どちらが偉いとかはないので。

興味の持てること。
どんなに苦しくても耐えられるもの。
僕だったら。で、考えると、まさに、
「ママチャリで日本一周」というところになりますね。
苦にはなっていないので。

それがお金になるのが一番いいと思いません?

本当にそれが一番ですね!
ただ、今は日本一周していても、
全然ビジネスにつながっていないですけど(笑)
ただ、いろんな方とお会いしていると、
様々な価値観だったり、色んな業種も見ることができるので、
色々なところでミックスできたらおもしろいなという発想はあります。
アパレルの業界において、こうなればいいなぁ。
という考えや思いは何かありますか?

日本の工場って危機に瀕しているんですよね。
縫製工場って。
後は染め屋さん、機屋さん。いろいろありますが。
品質は良くて技術がすばらしくて海外でも評価されているんだけど、
とても安く叩かれた値段で仕事をうけているんですよ。
日本のお店屋さんも
自分たちでオリジナルの服を作りたいと思っている所が多いんです。
一店舗、二、三店舗で服を作って、
30~50枚売り切る力のあるお店はいっぱいあるんだけど、
そこでいざ服を作ろうとするとノウハウがない。
工場はお客さんがいなくて、
大手の仕事をすごい安い値段で叩かれて苦労してやっている。
お店と工場。
お互いを結びつける場がないんですよね。
それを結びつけてあげたいと思うし、
商売っ気を出して言えば、
それを結びつけるビジネスがあってもいいかなと思ったりしますね。

では、最後になりました。
みなさんに29歳当時の自分に向けた言葉を
色紙にお願いしています。

「遊び心を忘れずに」
いつも思っていることです。
楽しくやっていったほうがいいですね。

今日はどうもありがとうございました。


ママチャリで日本一周している経営者
■Profile:(2018年時点)
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指すこと11年目。ほぼ一周を終えつつ、まだまだ走り続ける口実をつくるべく、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人1団体の理事として活動中。
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