55人目 福原裕一さん:株式会社KUURAKU GROUP

福原裕一さん
会社名 株式会社KUURAKU GROUP
URL http://ameblo.jp/kuuraku/
公開日 2010年10月03日

今回の旅は、株式会社KUURAKU GROUP:福原裕一さんです!

まずは自己紹介をお願いします。

株式会社KUURAKU GROUPを経営しております。
主な事業は、外食事業で、
千葉と東京を中心に20店舗展開しています。
別法人ですが、バンクーバーにも4店舗ほど展開しております。
そして、外食事業向けのコンサルティングも行っています。
それから、2つの学習塾を千葉県内で経営しています。

外食事業と学習塾。
そして講演事業と、多くの事にチャレンジしていますが、
どのような経緯があって現在のような事業形態に?

今の日本の現状を見ると、
親が子供を殺したり、
子供が親を殺したりする事件が増えてきています。
秋葉原の事件など、犯罪が凶悪化してきている。
そして、自殺者が毎年3万人を越えるという状況。
世の中、何かが変だな。と思い始めまして、
きっと教育に何らかの問題があるのだろう。
と思うようになったんです。
自分たちができることを何かしたい。
そのためには子供の教育に携わることをしていったほうがいいと思い、
学習塾を始めたんです。
学習塾も飲食業も僕にとっては全然変わらない。
職場は人が成長できる場でもありますし、
そこに来るお客様が幸せになっていく場だと思っています。
そして、飲食業の大半は
学生のアルバイトさんが中心に支えてくれている。
その学生のアルバイトさんが
アルバイトを通じて社会に関わっていく。そこで
「仕事は何なのか、人生とは何なのか」
ということを学んでいくことが
未来の可能性を広げていくことになると思っているんです。

今回のインタビューのテーマが29歳なのですが、
ズバリ29歳はどんな1年でしたか?

29歳を振り返ってみると、
「ビジョンが実現していた29歳」でしたね。

具体的には?

実は「KUURAKU GROUP」の前に、
25歳で会社を創ったことがあるんですね。
その時に掲げたビジョンは、
「30歳まではボロボロでもいい」
ボロボロになっても、そこで必死にもがき苦しんで、
いろいろなことを学びながら自分の肥やしにして、
30歳以降に自分が描くライフスタイル、
またはその可能性にチャレンジできるような人生を送っていけたらいいな。
と思っていました。
そして29歳のときはビジョン通り、
身も心もボロボロでした。

25歳で起業。早いですよね。
そこに至るまでの経緯をお聞きしたいのですが。

実は父と母が離婚していまして、
僕は母親に引き取られていったんです。
それが小学校6年生の時だったんですけど。
母親が僕と姉2人を時給500~600円くらいで
10数時間働きながら必死に学校に行かせていただいている姿を見て、
「いつか母親を幸せにしてあげられるような自分になりたい。」
という想いでいたんです。
貧乏でしたから、やはりお金も必要だと感じていました。
「経営者になればお金持ちになれるんじゃないか。
「いつかは家くらい母親に建ててあげることができるかな。」
と思っていました。

そして25歳のときに起業したと。

そうです。25歳の時に、
「若さや情熱さえあれば何でもできる!」
と思い、起業を決意しました。
僕が起業前に働いていたのはマクドナルドだったんですね。

何故マクドナルドで?

20歳の頃に一番感銘を受けた本が、
日本マクドナルド創業者の藤田さんの本だったんですね。
「いつか藤田さんのようになれたらいいな」
と思っていたら、
たまたまマクドナルドの求人広告が出ていて、
キャッチコピーに
「経営を学んでください」
とあったんですね。
そこで入社してマクドナルドの飲食経営を学ばせていただきました。

マクドナルドで飲食経営を学び、
それからは飲食関係で起業を?

いえ、僕が起業したのは、
日本とバングラディッシュを結ぶ貿易会社だったんです。
貿易と飲食とは違うので、
うまくいかなかったですね。
お金は稼げない、資金もどんどん減っていく。
事業もほぼ成り立たない状況の中で、
カードをたくさん作って借金をして、
自転車操業をしていましたね。
明日払う1万円のお金もないくらいの時期がずっと続いていた。
電車を待っているとつい吸い込まれてしまいそうな状態でした。

ボロボロだった29歳。
そんな中、30歳になる誕生日の思い出はありますか?

29歳の終わりごろ骨折して、一ヶ月入院していました。
退院直後に誕生日を迎えているんですよね。
だから、誕生日を祝っているような余裕はなかったですね。
その頃、自分の会社の経営がうまくいかないから、
損害保険の営業マンをやらせていただいたんです。
借金を返さなくてはいけなかったので。
損害保険の営業マン以外にも
夜の10時から朝5時までカラオケ屋さんでバイトをしてました。
29歳になった時にサラ金の借金が少し減り始めて、
少し余裕が出てきたので、趣味でスノーボードを始めたんです。
スノーボードでワンメイク(ジャンプ)をしたら、
左足の腿の付け根にヒビが入って入院。

弱り目に祟り目ですね…。
入院生活はどうでしたか?

とても暇なんですよ。
その時は彼女もいませんでしたから、
愛もない、お金もない、体も痛い、すべてがボロボロ。
「本当に25歳の時に抱いていた通りのビジョンが実現したな」
と実感して、どうしようかなと思ったんですね。
そんな時、テレビを見ていたら、
一本ニュースが流れてきた。
それが見慣れた路上で人がもがき苦しんでいるシーン。
救急車が駆けつけて、
たくさんの消防士さんたちが集まって人を介抱している。
それが「地下鉄サリン事件」だったんです。
その2か月前には「阪神淡路大震災」
「阪神淡路大震災」と「地下鉄サリン事件」
連続した現象を見て、
僕の心の中で衝撃が走った。
「人はいつ死ぬかわからない。
どんなに自分が努力をしていても、
もしくは何かやりたいと思っていても、
アクシデントで死んでしまう可能性だってある」
そして、
「ボロボロだけどもう一回自分の人生を全部生き抜きたい」
と強く思いました。

それから、どんな行動を起こしたんですか?

まず病院のベッドの中で
「自分の宝探し」をしたんですね。
自分にとって大切な物は何なのか、
自分にとってすばらしい仕事は何なのか、
過去の人生を振り返っていきました。
そして見つけた「宝」は、
「ラーメン屋のアルバイト経験」と
「マクドナルドの社員経験」だったんですね。
お客様に
「おいしかったよ!」、「また来るよ」、「ありがとう」
と言っていただけて、
お金もいただけるすばらしさ。
時には本当に怒っているお客様がいらっしゃって、
クレームをいただいて、
そこでやはり自分たちが店を改善していかなくちゃいけない。
改善できるってことは成長できるチャンス。
そんな飲食業の仕事が非常に楽しかったんですね。
「楽することではなくて充実すること」
僕にとって「これからやるべきことは飲食業だ」とはっきりしました。
後は方法を模索していて、
そのときにたまたま一冊の本を読みました。
『理屈をいうな だまって儲けろ!』
という飲食業の社長さんが書いた本でした。
焼き鳥屋さんの本だったのですが、
マックと比較しても非常に利益率が高い。
ビジネス的に見てもチャンスがある。
そして、焼き鳥という食材自体も魅力的だと思った。
焼き鳥という食材が日本の食文化になっているので、
長いビジネスができると思ったんですね。

焼き鳥に出会い、
方向性が定まったんですね。
25歳で起業した当時、
失敗した理由はなんだと思いますか?

2つあると思っています。
一つは起業の目的が不明確だったこと。
25歳の時は結局自分の利のための起業だったんですよ。
でも、僕がお金持ちになるためにお客様が何か買ってくれるわけじゃない。
お客様が喜ぶために、本来、仕事ってあると思うんですね。
起業の考え方が間違っていたことに気付くことができました。
もう一つの失敗した要因は、
準備が整っていなかったこと。
飲食の勉強をしたのに起業したのは貿易ですから。
準備が整っても失敗する人がいる世の中で、
整っていないことは失敗する確率が高くなるんですよね。
準備を整えることが大事だと思って、
30歳から2年間、
焼き鳥屋さんで修行をさせていただきました。
仕入れや調理の仕方、サービスの方法、
店舗経営を改めて学びましたね。

30歳から2年間の修行。
やっていこう!と踏み出せた理由として、
連続した事件の報道も大きかったと思いますが、
他にも原動力みたいなものはありましたか?

30歳くらいの決断って、
その後の人生を大きく変えますので、
できるだけその方向性を正しいものにしたのは、
身近にいる友人に自分の夢を話したことですね。
よく聞いたのが、
「俺が一番輝いている時はどんな時かな?」
「どんな仕事をしている時が一番楽しそうに見えた?」
と聞いて、客観的な意見をもらった。
そうしたら、自分の決断と客観的意見が合致していたんです。
このことが、背中を押してくれる材料になったと思います。

周りに聞いてみる、
というのは、とてもいいですね。
では、これから起業したい、
何かやりたいと思っている人たちに向けて、
20代のうちにやっておいたほうがいいことは何かありますか?

たくさんの人や物に触れることだと思いますね。
浅井さんがされているように人に会いに行くのもいいし、
本を読んだり、旅行に行ったりすることが大切だと思います。

これからの目標や夢を教えてください。

「一人ひとりが輝く社会を創っていきたい」と思っています。
「KUURAKU」という企業の中でたくさんの人の成長に関わることもしますし、
NPO法人HAPPY&THANKSがありまして、
3月9日をサンキューで
「ありがとう」を届ける日として広めていきたい。
「ありがとう」の言葉が持つ力でたくさん人のつながりを生んで、
優しさあふれる社会にしていきたいですね。
その二つの活動を通して、
自分自身が抱く社会の実現をしていきたいと思っていますね。

「ありがとう」の言葉を大事にする、
社会に貢献する方向に目が向かれるというのは、
何かきっかけがあったのですか?

僕の場合は、
結婚して子供が生まれたことが大きいですね。
生まれてきたことだけでも奇跡ですし、
何か与えていただいたようなものでもある。
親としても成長していく中で、
未来に残される人たちのために
「自分が今何をできるのか、これから何をするのか?」
ということを問い続けてきたような気がしますね。

お子さんによって考え方が変わった。
そう言われる経営者の方は多いです。
因みに、結婚されたのはいつですか?

34歳のときでした。
妻と知り合ったのは、
焼き鳥屋さんで修行している頃です。
まだ借金があったころからの付き合いなんですよ。
2年間の修行を終えて、
1年3か月だけ友達のお店を借り受けて商売をしていた時期がありました。
そのときも、ずっと夢を応援してくれました。
僕は経営者になりたい思いがあったので、
結婚相手にパートナーという存在を求めていたと思うんですね。
「自分の夢を応援してくれる人」
という風に。
そういう意味で彼女はずっとそういうスタンスでいてくれましたので、
これから僕が何か挑戦する時でも、
きっと応援してくれるに違いないと思い、結婚しましたね。

奥さんが応援してくれるのは、
すごく重要なことですよね。
インタビューしていく中で、多くの経営者の方が、
パートナーの支えがあったからこそ。
と言われていました。
では、少し話がもどるのですが、
25歳で事業に失敗したときに、
周りの人から
「公務員になれ」とか「安定した勤め人になれ」とか、
夢に反対するようなことを言われたことはなかったですか?

僕は高校卒業後、新卒で花王に就職したんです。
元々、プロ野球選手になりたかったんですけどなれなかったんですね。
「お金を出してあげるから大学に行け」
と言われたんですけど、
人にお金を出してもらうのが嫌だったんです。
高校もお金をもらいながら野球をやっていたので。
母親を楽させたい。
と就職して、
花王は会社が大きいですから、
母親は安心感があったのか、すごく喜びました。
だから、3年半後に花王を退職してマクドナルドに転職するとき、
母は非常にショックを受けていた。
当時、地元ではマクドナルドなんて知りませんからね。
それでも押し切って転職しましたので、
ここで一回反対されましたので、後は大丈夫でしたね。

~~~同行サポーターからの質問ターイム~~~
私は鍼灸師をしているので、
人と直接お会いして、
命をお預かりしている気持ちで、
日々治療をさせていただいております。
食べることも、
人にとっては生きていくうえで一番大事なことだと思うのですが、
食に関して何か哲学的な考えはお持ちですか?

お店の運営ポリシーが、
「心をこめて料理を創り、心をこめておもてなしがんばります」
ということなんです。
なぜそれを付けたかと言いますと、
たとえば、
「一番好きな食べ物は何ですか?」
といろんな人に質問すると、
「お母さんの作ったカレーライス」
「家で食べた肉じゃが」
って、出てくるんですね。
お母さんの調理スキルが卓越的ではないですし、
素材にこだわっているかというとそうでもない。
では、なぜか、と考えた時に、
愛情がたっぷり入っているから美味しく感じるんだと思うんですよね。
子供の体を心配して、
元気に成長してくれるようにと考えて作っているんです。
心をこめることが重要な要素だと思うんですね。
食べることは体も満たしますけど、
それ以上に心にも与える影響があるんじゃないかと思っていまして。
「どれだけ心をこめられるのか、
自分の大切な人に自信を持って食べてもらえる料理なのか、
食べてもらえるサービスなのか」
そういったことを大事にして、
心を伝えたいなと思ってやらせていただいておりますね。

お話を聞いていて、母の料理が食べたくなりました。
「食育」は小学校の中でも言われていますので、
健康志向がとても強い時代ですので、
それを通じてもっと心の豊かさを伝えることをされているんだと思いました。
~~~同行サポーターからの質問タイム終了~~~
みなさんにお願いしているんですが、
29歳の自分に向けたメッセージを色紙にお願いできますでしょうか。

「自分を信じて挑戦しよう」
自分を信じて、生きていって欲しいです。

なぜ29歳の自分に向けたメッセージを書いていただいているかというと、
今の29歳の人や若い人たちにも情報をフィードバックできるのではないかと。
同じような悩みを持っている人も多いと思うので、
みなさんに伝えるメッセージの一つとして書いてもらいました。
今日はどうもありがとうございました。


ママチャリで日本一周している経営者
■Profile:(2018年時点)
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指すこと11年目。ほぼ一周を終えつつ、まだまだ走り続ける口実をつくるべく、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人1団体の理事として活動中。
>>> ブログと取り組みはこちら
PAGE TOP