77人目 横山保徳さん:株式会社World Au Pair in JAPAN

横山保徳さん
会社名 株式会社World Au Pair in JAPAN
URL http://www.worldaupairinjapan.net/
公開日 2011年01月21日

今回の旅は、株式会社World Au Pair in JAPANの横山保徳さんです!

まずは自己紹介をお願いします。

私自身、ドイツとアメリカで「オーペア」という
住み込みのベビーシッターをやっていたんです。
それは先進国では大体あるんですが、日本にはなかったんですね。
ドイツから帰ってきて、
「何で日本にはないのかな、おかしいな?」
と思っていたんです。
実は23歳の頃から起業したいと思っていましたが、
どの仕事で起業するかは決めていなかった。そこで、
「日本にオーペアの制度を作ることが自分の使命なんじゃないか」
と思ったのが起業へのスタートでした。
どの仕事で起業するかを決めるまでは試行錯誤をしていました。
30歳までに興味のあることをすべてやっていこうと。
その中で何かしら自分のやるべきものが見つかると思っていましたね。
オーペアを日本に広げることが自分の使命だと感じ、
28歳で今の会社を創りました。

28歳以前は何をされていたんですか?

高校まで野球をやっていました。
高3の頃、進路にすごく悩んでいたんです。
スポーツ系と英文科のどちらの学校に行くかで迷っていた時に、
高校の進路の先生に「英語とスポーツをやりたいなら、
アメリカの大学に行かないか?」って言われたんですね。
英語とスポーツの両方をできるのはいいなと。
そのことを親に話したんですけど、
「おまえにはそんなにお金を出せない」と。
私は次男ですから(笑)
18歳で自分の夢が砕け散ってしまったわけです。
さすがに1か月以上悩みましたね。
それから、いろんな留学会社を周ることにして、
相談を受けてもらうことにしたんです。
すると、1社だけ親身に聞いてくれた人がいました。
「あなた、アメリカに行く夢があるなら、とりあえず就職しなさい。
お金がないことには何もできないから」
とアドバイスしてくれ、そして、就職することを決めました。
「アメリカの大学でスポーツのことを学んで、その分野で仕事をしていきたい。
でも、お金が必要なのでまずは仕事をしなくてはいけない。
会社を辞めるつもりなんですけど就職先を紹介してくれませんか?」
と先生に伝えました。
「3年勤めれば会社と学校とのコネクションが保てるから、最低3年は働いてくれ」
と進路の先生は言ってくれ。
確かにアメリカの大学に行くとなると、
1000万円以上必要なんですよ。
自分の中で計算しても3~5年働かないとその金額に届かない。
3~5年、働くことは仕方ないですよね。
最低3年働くという条件で学校とつながりのある会社を紹介してもらい、
高校卒業後、会社で働くことになりました。
野球部を引退してからは、ずっと新聞配達をしていました。
就職先も厳しいと思っていたから、
ムリなら新聞配達を辞めようと思っていたんですけど、
正社員の仕事をしながらでも新聞配達ができちゃったんですね。

ダブルワークですか?

就職した会社の仕事は朝9時半から18時半までの仕事で、
新聞配達は4時半から6時くらいまで。
がんばればやれるなと。
そこで、お金も必要だしバイトもすることにしたんです。
早朝は新聞配達、日中は正社員の仕事、夜はコンビニのバイト。
正社員の仕事は18時半くらいに終わり、
残業もなく19時過ぎに自宅へ帰ることができたので、
身支度を整えて2時間くらい仮眠を取っていました。

実際にお金は貯まりましたか?

はい。でも、途中で心が折れてきましたね。
まだ18歳なのにお金を貯めることしかやっていませんから。
周りのみんなは遊んでいるのに。
お金を貯めているだけで俺の青春終わらないかなって(笑)
ただ、自分には夢があるから途中であきらめたら、絶対に後悔する。
後悔だけはしたくないから、
遊ぶことよりもお金を貯めたほうがいいと思い、
3年4か月、耐えましたね。
そしてお金は1000万円近く貯まりました。
途中でいろんな葛藤もありましたけど、
絶対に叶えなくてはいけない夢があるから、意外とやれました。
お金を貯めるだけならダメだったと思いますが。
自分のやりたいことがあるから、ハードワークにも耐えた。
野球部だったから体力にも自信はありましたから。
むしろ、高校の野球部のほうが厳しかった。
就職のほうが上下関係や仕事関係も含めて、
大変だと思っていましたけどね。
部活は上下関係が厳しくて、
朝は7時前に朝練、夜も終電前に帰るという生活を送っていたので、
仕事は8時間で終わるし、
こんなにお金をもらえるんだと(笑)

1000万円近くお金を貯めて、
お仕事を辞められたんですね

そうです。
スポーツの勉強をしにアメリカに行きました。
こんなにがんばったから、うまくいく!と思いきや、
うまくいかなかったというか…。
アメリカの四年制の大学に通って卒業する予定でした。
入学したオハイオ州の大学は関西の大学と提携していました。
私は千葉の人間で、関西の知り合いはいなかったんです。
で、英語を話せないからって、
関西弁の輪の中にいてめっちゃ新鮮でした。

英語よりも関西弁に?

関西弁にハマってしまった。
英語を話すこともできないから、
アメリカ人が座る席と日本人留学生が座る席に分かれてしまうんですね。
英語を話せないし勇気もないから、
一人でアメリカ人のいる席に行くことができませんでした。
でもふと気づくんです。
俺、アメリカに英語の勉強しにきたんじゃなかったっけと。
そして、すごく悩みましたね。
他の留学生たちは親がお金を出していましたけど、
私は自費でアメリカの私立大学に通っていたから、
遊んでいるわけにはいかなかった。
1000万円近く貯めたとしても、
1年間で300~400万円がポンと出ていくんですね。
苦労して貯めたお金が一気になくなるし、
そんなに価値があるものなのかって、自己嫌悪に陥りましたね。
でも、英語を話していく勇気もない。
モチベーションも上がらないしで。
1学期が終わる頃に教授に相談をしたんです。
「ここの大学に通うためにお金を貯めていたのに
アメリカ人と一緒に話していく勇気もありません。
でも、これじゃいけないと思うんです。どうしたらいいですかね?」
「初めて留学した人はそんな感じだから、少しずつやっていけばいいよ」
そう言われましたけど、
出ていく金額がとんでもない額だったので、本当にどうしようって。
1学期目で大学を辞めようと思いましたね。
ただ、相談に乗ってくれた教授は、
私が野球をやっていたことを知っていたので、
2学期から野球をすることを薦められたんです。
2学期は野球をやってそれなりに楽しめましたが、
自分の中でモヤモヤした思いがあった。
結局、約1年間通った後、
休学することを決めちゃいました。
決めるまでは長いんですけど、
一度決めたら決断は早いんです。
ずーっと悩んでいたけど、一区切り付けました。
アメリカの大学は休学をしていても、
日本の大学のように半額とか学費を払わなくてもいいんですよ。
籍を置いた状態で戻りたい時に戻ることができる。
そして日本に戻ってから、すぐにアメリカの大学に戻る気もないし、
お金もまだあるので、現地発着多国籍冒険ツアーに参加しました。
30歳までにやりたいことをすべてやると話しましたが、
その中のひとつが多国籍ツアーに参加することだったんです。
で、ニューヨークからシアトルまでカナダを横断するトレックツアーへ。
多国籍ツアーに参加して思ったのは、
大学の座学は自分には不得意だということ。
旅の最中は、生の英語をどんどん使わなくてはいけないし、
一緒に旅をしているイギリス人やオーストラリア人に
わからないことを質問するとすぐに教えてくれるんですね。
大学に行くより旅のほうが勉強できる。
なおさら、大学に戻りたいと思わなくなってしまった。
英語はツアーに参加したほうが絶対に身に付くことを実感しましたね。
カナダから帰国後はニートみたいな生活になりました。
お金はあったので働く必要がなかった。
その頃が23歳です。
それから、ひたすら自己啓発本をずっと読んでいました。
その中でもナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』が印象に残っていますね。
アメリカの大学に通っていた時は、
ほとんどネガティブな考えしか持っていなかった。
うまくいかないことを考えていたら、その通りになっちゃうだけ。
その後、旅をしたり、
本を読んでいた頃に出会ったのが「オーペアの制度」
たまたま電車に乗っているときに見た中吊り広告に
「子供の世話をしながらアメリカでホームステイをしませんか?滞在費無料!」
と書いてあったんです。
実は高校時代の進路の先生に
「アメリカの大学へ行かないか?」
とアドバイスされた時、
同時に保育士を薦められていたんですよ。
広告を見た時にその言葉を思い出しましたね。
当時はアメリカでスポーツの勉強をすることしか頭になかったので、
保育士と言われてもピンと来ませんでしたが。
この広告をみて、これが俺の進むべき道なんじゃないかって勝手に思ったんです。笑
これがオーペアを知ったきっかけです。
そしてオーペアをネットサーフィンで探していくうちに、
世界中にこのオーペアの制度があることがわかりました。
アメリカのオーペアは27歳が年齢制限。
ドイツは25歳がオーペアをできるギリギリの年齢。
急がないといけないことがわかりました。当時23歳。

年齢的にもギリギリだったドイツへオーペアをしに行く準備をされていったんですね。

そうです。
一言語を独学で1年間勉強したら、
どれくらいマスターできるのか。という事にも興味があったんです。
さらに、ドイツは2006年のサッカーワールドカップの開催地だったんです。
2002年のサッカーワールドカップでは韓国に飛び現地観戦し、
すごく感動したので、
次は現地ドイツで絶対に観戦する!と決めていたんです。
いろんな要素が重なり、ドイツに行こうと決意しました。
多国籍ツアーのカナダの後は、
ニュージーランドのツアーにも参加をして帰ってきてから、
保育経験を積むために保育園でボランティアをしながら、
毎日、ラジオのドイツ語講座でひたすら勉強の日々。
オーペアは家族とのコミュニケーションを取らなくてはいけないので、
読み書き能力よりコミュニケーション能力が大事。そう思って
特に音読に力を入れて一日50回以上は読んで、
カンバセーション(会話)の練習をしました。
丸暗記で勉強して、
半年くらい経つと自分の口からドイツ語が出てくるようになりました。
言語を話せるようになるには音読をしなくてはダメだと感じましたね。
そして、ドイツのオーペア先も見つかり、念願のドイツへ。
ちなみにオーペアって98%くらい女性の仕事なんです。
保育士と同じく子供の世話をするから女性向きというわけです。

確かに男性は少ないですよね。

でも、やれないことはないだろう。と(笑)
やってみなくてはわからないし、
仮にやってみてダメだったら、違う道で挑戦しようと。
ビザを取るためにドイツ大使館へ行ったら、
「もしかしてドイツのオーペアビザを取るのは、
男性で初めてかもしれないです」
と言われました。
結果的に私が日本人男性で初でした(笑)
ドイツでは1年間、5歳の女の子と7歳の男の子のお世話をしました。
サッカーワールドカップ時にドイツ語を使って
自由自在にドイツを周ることが目標でしたから、
オーペアの経験と同時にドイツのことも勉強をして、
電車に乗って周れる程度の旅のドイツ語は習得できました。
ドイツのオーペアの生活が終わってから一度日本に帰りましたけど、
ワールドカップが始まる時期に再びドイツに戻って試合を現地観戦しました。
全部で3試合、スタジアムで観戦しました。
やっぱり韓国の時同様、めっちゃ感動しました!!!

目標を達成させていますよね。

ただ、自分の中にアメリカが残っていた。
アメリカにまた戻るとは思っていました。
アメリカのオーペアの制度が世界中で一番、発展しているんです。
ドイツのオーペアから帰ってくる時に
何でオーペアは日本にないのかなと。
大阪にいたアメリカのオーペアを経験した子も
日本でオーペア制度を作りたいってブログに書いていたんですね。
ドイツから帰ってきた時にその子とコンタクトを取って、
すぐに大阪に行って話をしましたが、
私はアメリカのオーペア後に起業するつもりだったんです。
でも、その子はすでにアメリカのオーペアを経験していましたから、
すぐに仕事を始めたいと。
目標は同じなんですけど、時期のズレや地理的に問題があり、
別々にやろうという結論に。
ただ、同じ考えを持っていた人がいることもわかりましたし、
アツい気持ちのままアメリカに行きました。
アメリカは国としてオーペア制度が整っているから、勉強しに行こうと。
空き時間にはエージェンシーの本部に行ったり、
オーペア制度をいろいろと勉強していましたね。

日本に戻ってきたのはいつ頃になるんですか?

2008年の8月です。

すぐに株式会社を創られた。

そうです、個人で動くには限界を感じていたので、
一人で動いていくとしても会社組織にしないと話が通じないので。
絶対に法人にしようと決めていました。
23歳の頃から起業しようと思っていたことと、オーペアが繋がりました。

29歳という年齢はご自身の中でどんな1年でしたか?

30歳までにやりたいことをすべてやると決めていたから、
29歳は総仕上げですかね。
総仕上げですけど、やりたいことはすでに決まったので、
その決まったことをどれだけ形にしていけるかどうか。

考えが明確ですよね。

ただ、決めるまではすごく考える人なんですよ。

ちなみに29歳から30歳に切り替わる誕生日の思い出は何かありますか?

富士山にいました。
誕生日が8月なので登頂できる時期ですから。
兄と一緒に登りました。
日本の一番高い場所で、
これからの30代を見つめようという思いがあって登ったんです。
アメリカから帰ってきた時も富士山に登っていました。
これから会社を創るので、
将来の展望を視野に入れながら登っていましたね。
頂上まで登ることができなかったら、
例え、会社を創っても仕事はできないと思っていたんです。

現在のお仕事はどうなんですか?

収入の面で中々ついてこないんですよね。
去年の8月に就職活動を始めたんです。
会社をやっているのに(笑)

えっ、会社をやりながら就職活動を?

会社存続といったらおかしいんですけど、
ある程度、固定給が必要なんですよ。
就職先の第一希望はインターナショナルスクールです。
でも、決まらなかったんですね。
保育士の資格を持っていないので難しかった。
たまたま決まったのが松戸の保育園。
ここはなぜだかわからないんですけど、
気付いたら応募していて、面接を受けていたんですよ。

保育園は、週何回働いているんですか?
毎日です。

固定給をもらう正社員ですけど、
自分の会社があるので、バランスよくやりたかった。
ただ、いろいろとゴタゴタがあって、
本音は昇格したくないのにどんどん昇格していきました。
主任をするつもりはなかったのに、主任です(笑)
下っ端で固定給をもらいながら、会社をやりたかったんですけどね。
自分の思いとは裏腹に昇給、昇格して主任に。
お金の面ではいいんですけどね。
でもいま、考えればとても良い経験をさせてもらっています。
主任にはなりましたが、
特別に朝の7時から16時の早番だけをやらせてもらっています。
でも、通勤に家から2時間くらいかかるんです。
7時に保育園を開けるので最低でも6時半くらいに着かないといけない。
毎日、4時に起きて弁当男子をやっています(笑)
保育園の仕事が終わってからは東京に移動したり、
家に帰ってメールの返信など自分の会社の仕事をする生活を送っています。

本来は株式会社の売上をしっかり伸ばすことに、
力を入れたいですよね。
安定してきてはいるんですか?

お金があると心に余裕を持てます。
お金がないとお客さんと会っても「早く契約しろ」という心が出ちゃうんですね。
自分が思っていなくても出てしまう。
やっぱり、生活がかかっていますから。
今は固定給があるのでお客さんと会ってもドッシリと構えられます。
その方が信頼性も安心感も増してお客さんも申し込んでくれますね。
申し込んでくれるので、なおさら忙しくなる状況です。 苦笑

本社は銀座なんですよね?

なぜ銀座かというと、
海外のオーペアの代理店とやり取りをしていますけど、
外国人はあまり私の住んでいる千葉のことを知らないんですよ。
東京で会社を登記しないと海外の取引ではすぐにつながらないなと。
本社の場所を決めなくてはいけない時に
たまたま、テレビで「外国人が訪れる場所ランキング」を放送していたんですよ。
1位が銀座だったので、もうそこしかないと。

アンテナを張っていたからこそ見えたんですね。

大成功といったらおかしいですけど、
オフィスの場所を質問されて「東京の銀座ですよ」と答えると、
地名でわかってくれますね。

今回、お話を聞いてオーペアのことを知れました。
ただ、一般的にはまだまだ知られていないと思います。
オーペアを広めていく戦略のようなものはあるんですか?

将来的に子育て支援のひとつに入れたいですね。
日本は保育所、幼稚園、託児所、ベビーシッターとか子供を預ける手段、
子育て支援の方法があるじゃないですか。
その中のひとつに加えたい。
オーペアは外国人がお世話をするので、
小さい時から外国語の感覚を養えます。
そのようなメリットも踏まえて選択肢として考えてもらいたいですね。

オーペアを知ったら、興味を持つ人はいっぱい出てくるでしょうね。
では、当時29歳の自分に向けたメッセージを色紙にお願いできますでしょうか。

“オウバイトウリ”と読みます。
仏法用語なんです。意味は
「桜は桜のまま、梅は梅のまま、桃は桃のまま、李は李のままらしく、
自分の良さを出していきなさい」
という教えです。
桜は桜らしく咲きなさい、梅は梅らしく咲きなさいとあるので、
私は自分の長所を前面に押し出してやっていこうと思っています。

最後に、読者向けに、
20代のうちにやっておいたほうがいいことがありましたら、
アドバイスをお願いします。

頭にちょっと浮かんだことでもいいので、
やりたいことをバーッと書いてほしいんです。
思いついたものでもいいからどんどん書いていく。
そして、その中でできそうなことを一つずつ挑戦していってほしい。
全部やるのは難しいですけど、
できることを一つずつやっていくうちに夢に近づいていくので、
できることからやってもらいたいですね。
そしたら、その先の目標につながってくると思います。

本日はありがとうございました!


ママチャリで日本一周している経営者
■Profile:(2018年時点)
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指すこと11年目。ほぼ一周を終えつつ、まだまだ走り続ける口実をつくるべく、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人1団体の理事として活動中。
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