78人目 てんつくマン(軌保博光)さん:有限会社クラブ・サンクチュアリ

会社名:有限会社クラブ・サンクチュアリ
URL:http://ameblo.jp/tentsuku-man/
公開日:2011年02月16日


今回の旅は、有限会社クラブ・サンクチュアリ てんつくマン(軌保博光)さんです!

まずは読者向けに自己紹介をお願いします。

19歳の時に吉本興業の専門学校に入って、
そこで7年間、山崎邦正と「TEAM-0」というコンビを組んでお笑いをやっていました。
次に映画の現場に出会って、
映画の現場の人の輝きに魅せられてしまった。
映画の世界の人っていうのは、命を懸けてやってるんよ。
スタントマンの人はホンマ死ぬかもしれないのに、
たった数十万円ほどでアクションをしている姿にしびれたね。
俺も命を懸けて何かしたいと思った。
映画の現場にいる時は魂が喜んでいるの。
お笑いの現場にいる時も楽しいんねんけど、何かが足りへん。
人生は一度きりで1年後に生きている可能性も100%ではない。
「やっぱり、今やな」
と思い、映画の世界に入って役者をやっていたけど、
俺は映画をやりたいのではなく、
メッセージを伝えたいってことに気付いた。
脚本を書いて見積もりを取ったら、6000万円かかることがわかった。
そこで先に映画のキャラクターグッズを作って、
それを500円で売って6000万円集めたらって考えたの。
500円くらいなら出してくれる人がいっぱいいるんとちゃうかなと。
そして、その人たちは映画を観てくれる可能性が圧倒的に高いなって。
何万人もの宣伝マンができたことになるから、
映画がヒットする可能性がめっちゃ高いと思ったの。
そこで、グッズを作ってみたけど、不良品ばかりやった。
7万個作ったうちの6万個が不良品。
スタッフも倒れてしまうし、
このままではいい映画ができないので、撮影2日前になって延期にした。
そして、800万円という借金が残った。
最悪の状況でご飯も食べるお金もなかった。
でも、自分自身に問いかけてみた。
「今日のご飯を食べるお金もない。
今から800万円を返して、さらに6000万円集めなあかん、どうする?」
やっぱり、自分自身のど真ん中が「映画を作りたい」って言いよった。
常識的に考えたらムリやけど、そんなもん関係なく自分が作りたいと言っとるから、
あきらめんとこというのが決め手。
とにかく、6800万円をどうやって集めようかなと思って、
「何かアイディア来い! 何かアイディア来い、何かアイディア来い」
と、ずっと考えていたら、ある日、言葉が降ってきた。
その言葉をずっと書いていたら、友だちが「これや!」って。
「この言葉をいつか本にして売って、800万円を返して、
さらに6000万円を集めて映画を作ろう」
そこで一か八かやってみようと。
まずは人に見せなあかんから、路上に座って浮かんだ言葉を書いていった。
ある日、女子高生が来て「私を見て、言葉を書いて」と言ったの。
そこから、あなたを見てインスピレーションで言葉を書くようになり、
感動したり、泣いたりして元気になる人が次々と出てきた。
マスコミにも取り上げられて超ブレイク(笑)
路上に座れば、人だかりになり、
1日5万円くらい稼げるようになった。
出版社も本を出さないかと言ってくれた。
本も売れて800万円の借金がなくなった。
次は百貨店さんが「個展をしませんか?」と声をかけてくれたので
自転車で日本一周を1年間しながら、
百貨店で個展をして6000万集めちゃった!
そして、映画が完成。
7年間かけてその映画を作ったけど、
別に映画を作りたいわけではないことをはっきり感じた。
映画がヒットしても世の中が変わっていなかったら、
全然、魂が喜ばないと思ったのかな。
俺は映画というツールを使って、世の中を元気にしたいと思った。
で、NGO「MAKE THE HEAVEN」を設立して、海外支援を始めた。
最初はカンボジアの子供たちを支援していたけど、
このままでは地球がヤバいことになると思った。
インドネシアの大津波に子供たちが巻き込まれているのを見た時に、
「地球を護れないのに愛する人は護れない」
という言葉が浮かびホンマやなと思ったんだよね。
目の前の人を喜ばせることも大事かもしれんけど、
地球がボロボロになってもうたら、一瞬にして全員死んでしまう。
今、自分がやっていることをやりながら、
環境のことから目を逸らしたらすべてが嘘になる、
今やっていることをやりながら、
環境のこともしようと思い植林をし始めた。
2007年に地球温暖化を止める新聞を作るために
募金を1億円以上集めたこともあった。
3000万部の新聞を作って、みんなで配った。
他には日本の山の手入れや香川県の小豆島の村づくりをしたり、
甲子園を目指している高校野球部のコーチングもやっている。
「昔は良かった」と言いながら、
死んでいく爺ちゃんには絶対になりたくないねん。

ではインタビューのテーマでもある、
29歳の頃の思い出は何かありますか。

大転換期だね。
映画の撮影を2日前に止めたのが29歳だったかな。
飯を食う金が全然ないから、コンビニで一番大きいぶどうパンを買ったり、
パン屋さんに「うさぎのエサがほしいので、パンの耳をください」と言って、
友だちと2人で食っていた。

それがちょうど29歳くらい?

お金はなかったけど、バイトはしないことだけは決めた。
バイトで1日2万円稼ぐとして1か月で60万円だから
「俺、どんだけバイトせなあかんやろ?
一生、映画はできへんぞ、これはいかん」
って思った。ホンマに死にかけているからこそ、必死で考えるから、
アルバイトをしないことを決めた。
毎日、パンの耳を食いながら、
「絶対にここから這い上がってやる、這い上がってやる!」
って念じていたね。
そして、言葉が降ってきたのが29歳頃。

諦めようという気持ちはなかったのですか?

あきらめる勇気がなかった。
たくさんの人を巻き込んでいたもん。
その人たちに「映画をあきらめました」と話す勇気がなかった。
俺に勇気があったら、たぶんあきらめていたと思う。
あきらめる勇気がなかったし、
映画を止めていたら絶対に日本に住むことができないね。
自殺する勇気もなかった。
28歳の頃に自殺をしたいと思っていたこともあったよ。
病院には行っていないけど、うつ病のような時期もあった。
何をやってもうまくいかないんだもん。
鉄板の上に油を引いて、その上を全力疾走で走っている感じ。
毎日、昨日が来る。
どんだけがんばっても昨日と一緒。
昨日が毎日繰り返されて、明日が来ないのよ。
トンネルの先には必ず出口があると言うけど、
でも、そのトンネルが360度でどこに出口があるかわからない。
やっていることと逆に進んでいる感じがしたこともあった。
初めて路上で座った時も、お客さんはほとんど来なかったし、
1日1000円稼げないことが当たり前やった。
路上に座って1か月半目に人だかりができて、
その日に売上を数えたら1万円になっていた。
その前日までは2000円くらい。
「出口が見えた、今日から這い上がれるぞ!」
ホンマに思った。うれしかったな!

初めはお笑い芸人をなさっていましたが、
お笑い芸人になるきっかけを教えてもらえますでしょうか。

三者面談。
担任の先生が大嫌いで、こいつにだけは人生を決められたくないと思った。
「進路どうすんねん?」と言われたので、
昔、小さい時に親戚のおばちゃんに言われた
「あんた、大きくなったら吉本に行ったらえぇねん、えぇねん、えぇねん……」
という言葉が聞こえて、
「俺は吉本に行くから、じゃあ!」
って教室を出ていった。
翌日の朝のホームルームに担任が
「軌保が吉本に行くことに決まった!」
と発表しやがったの。
「誰がやねん!」と思って立ち上がったら、
みんなが「おめでとう、ほんまか!」ってうれしそうやったから、
「うん(笑)」って言ってしまい、19歳で吉本へ行った。
そこから始まんねん、俺の人生のストーリーは。

お笑い芸人を辞める勇気もすごいことだと思います。
ある程度の収入もあったでしょうから。

給料は40万円前後かな。
テレビにも出始めていた。
街に出かけたらチヤホヤされるし、
タレントとも付き合えて楽しいけど何かちゃうねん。
魂がこれやと言うとらへんねんな。
逆に、映画では超熱くなっている自分がいる。
自分の中で、生まれ変わりはあると思っているのね。
あるかないかわからへんけど、あったらおもしろいと思うから。
俺は基本的にプラス思考でもマイナス思考でもなくて、
自分が「こうだったらえぇな」という思考。
死んだら肉体から離れて、神様と話をする機会があると思うのね。
その時に神様が「おまえの人生、どうやった?」と聞いてくるから、
「自分は23歳の時はすごい苦しかったですよ。
でもね、こういう人と出会って助けられてもらってね」
そんなことを話しながら、神様と一緒に喜びの涙を流すの。
「最期に家族の前でこういう一言を言って、僕は離れてきました」
神様は「もう一回、人間をやりたいか?」って聞いてくると思う。
間髪入れずに、
「もちろんです、もう一回やりたいです、すぐに生まれ変わりたいです!」
というような人生をできるかできへんかと思う。
仮に98歳くらいで死んで神様に
「もう一回、人間に生まれ変わるか?」
って聞かれて、
「もういいですわ」
というような人生やったら、何のために生きてきたのか。
俺は幸せって長さじゃないと思う。

そういった発想や価値観はどこからきたのでしょうか?

吉本にいた時に、昔付き合っていた女の子から本をもらったことがあったの。
シャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』と『バシャール』
わけのわからん本だと思って、全然読まへんかった。
ある日、本が光ってる感じがして読んでみたら、超おもしろかった。
それが影響しているかもしれない。

話は変わりますが、
最近、20代前半の若い子と話をすると、
やりたいことが見つからないっていう人が多いんですね。
人達にやりたいことを見つけるには何が必要なんでしょう?

大事なのは何をやるかよりも誰とやるかってこと。
あとは何のためにそれをやるかということが大事。
あるとき、こう問いかけられたことがあった。
「あなたの仕事は何ですか?」
その時は映画をまだ作っていなくて、
路上で言葉を書いていたので、
「俺の仕事は路上詩人です」
「私が聞いているのはあなたの仕事です」
「路上詩人です」
「それは職業でしょう」
「職業と仕事は違うんですか?」
「違うよ、路上詩人でどんな時に喜びを感じる?」
「お客さんが笑顔になったらうれしいっすね。
お客さんが希望を湧いてくれたらうれしいです」
「それや、それが君の仕事なんや!
笑顔を増やしたり、希望を増やすことが君の仕事。
その仕事をやるためにたまたま路上詩人をやっているだけ」
「やりたいことは何やろう?」
っていうのは、職業を探してんねん。
まずは自分の喜びは何か、自分の仕事は何かを知ることやと思う。
「私は笑顔を増やしたい!」
と思ったら、どんな職業を選んでもいいのよ。
レストランで接客するのもいいし、
街を掃除しながら笑顔を増やすのもありやと思う。
職業なんかどうでもいい。
ただ、それを誰とやるかですごく変わるな。
めっちゃ好きな人と水を飲むのか、
ごっつい嫌な人とハワイに行って1万円のティーを飲むのか。
好きな人と水を飲むほうがおいしい。

わかりやすい(笑)
何をやりたいかにとらわれず、自分の喜びは何かを知ること。
今までの人生の中で「喜びを感じたのは何やったろう?」ってことを紙に書く。

職業に心を奪われている人が多いかもしれないですね。

それでもいいと思う。
間違いは何一つない。
山登りだってどんな登り方をしてもいいでしょ。
重たい荷物を持ちながら山登りをしている人もいる。
その人が選んでるんやから、間違いじゃないねん。
とにかくやってみて、違うと思ったらまたやったらいい。
恋愛と一緒よ、付き合ってみなかったらわからへんやんか。
一緒に暮らしてみーひんとわからへん。
手を握った瞬間、意味はわからんけど、何かが違うねんってこともあるやん。
とりあえず、付き合ってみないとわからへんからね。

なるほど。
では、現在、代表取締役として会社もやられていますが、
会社をやろうと思ったきっかけは?

前社長がいて、俺はアーティストとして契約していた。
その社長が「やりたいことが見つかったから、会社を辞めるわ」と言ったの。
「じゃあ、俺が社長するわ」
って。
そんな経緯で俺が引き継いだ。

そんなノリだったんですね(笑)
経営者としての勉強をされたりしているんですか?

特にしていないな。

いろんな経営者がいらっしゃるので、
どんなタイプなのかを聞いてみたかったんです。

一番、経営者としてはダメな綱渡り経営者かな。
全然、貯蓄できひん。
会社が安定してくると「あかんやん」って思う。

あかんと思うんですか?

安定してくるともっと何かしようって思ってしまう。
会社の利益は全然上がらへん。
利益を上げようと思ったらNGOの活動なんか何もせんで、
毎日、講演をしとったら、会社の利益も何億っていくと思うねんか。
でも、つまらんみたいな。
売上が上がったら「こんだけNGOに日程を取れるわ」って。
会社がうまくいったらNGOに回していくから。
「今月、あんまり仕事をしていないぞ。
会社が倒産するかも、来月、働こう!」
休みを削らなあかんもん。
だから、休みがほとんどなくなんねん。
俺にとって植林もオフというか遊びみたいなもんやから。
みんなと木を植えてさ。
仕事だと思わへん。
~~~同行サポーターからの質問ターイム~~~
(女性サポータ1人目)何かやろうと思っても弱気になったり、
逃げ腰になっちゃうこともあります。
勇気を出せばいいというのは頭の中ではわかっていても、
いざ、その壁を目の前にした時に乗り越えられない。
恥ずかしい、怖い、面倒くさいという気持ちが邪魔してきた時に
それを打開するコツはありませんか?

まずは逃げ道をふさぐことやね。

どうやってですか?

人に言いまくる。
人に言いまくったら逃げられへんようになるから。
「わたし、女優になるわ」と宣言したら、
「女優になるために何をしているの?」って絶対に言ってくる人が出てくる。
そうなると、具体的にビジョンを描き始めるから。
あとは、うれしいゴール地点をどんだけ描くかやね。

それは近いほうがいいですか。
すぐに行けるゴールか、最終目標みたいなものを掲げたほうがいいですか?

両方、必要やと思う。
喜びの涙を流せるくらいのイメージをしたほうがえぇ。
体が反応して涙が出てくるというのは、擬似体験をするんよ。
夢が叶ったかのような体験から涙が出てくるのね。
それをイメージできたら、体はそこに行きたくてしょうがなくなる。
常にそこに行くようにアンテナを張っていったら、
ちゃんと引き寄せられるようになってくるのね。
他には、「残り3か月で命がなくなるとしたら、自分はどうするかな?」
という問いかけをしたりする。
その時に今のようにためらうかなって。
みんないつかは死ぬと思ってるやん。
いつかは死ぬとは思っているけど、
1年後に死ぬなんて思ってないやろ。
俺は交通事故に遭って、死んだと思ったことがあんねん。
小学校6年の時も鉄棒から落ちて、心臓が止まったことがあんねん。
ほんまね、死は突然来んねん。
「あっ、死んだ、やってもうた」
死んでないのに体験したんよ、擬似体験を。
でも、自分の中で1回死んだと思ったから。
ほんまに突然、死は来るってことが分かった。
これはホント!
死を知ることは生が生きることになるから、
一度、死の現場に行ったりするといいかもね。
人が死んでいく姿を見に行くっていうのも。

自分が動けずにいたら…。

いいんじゃない、死ぬんやなということがわかるし。

(女性サポータ2人目)メッセージを伝えるために映画をやるとおっしゃっていましたけど、
生涯を懸けて伝えていきたいメッセージは何なんでしょうか?

山ほどあるんやけど、1つは
「答えも道も1つじゃない」
ということ。
だから、あきらめる必要もないよって。
何か違う方法があるから。
ガンでも西洋医療しかないと思うから、
みんな殺されていくねん。
抗がん剤を打って死んでいくねん。
答えは1つやと思ってはるから死んでいく。
抗がん剤を打っていない人がめっちゃ長生きしてんねんか。
治療していない人のほうが結果、長く生きすることもある。
どんなことでも答えも道も1つじゃないから、
あきらめる必要はない。
必ず探せばあるから。
そのことは一生伝えていくと思う。
あとは、「動けば変わる」ってことも伝えていきたい。

~~~同行サポーターからの質問タイム終了~~~
20代でやっておいたほうがいいこと。
アドバイスがあればいただけますか?

まだ、まとまる時期ではないと思う。
29歳で成功するのもいいけど、失敗をいっぱいしたほうがいい。
今のうちに悔しい思いをいっぱいして、
たくさんの仲間のありがたさを感じ取ってほしいね。
自分一人で生きられへんってことを体験できたら最高やと思う。
そして、必ず上には上がいるから。
29歳で成功したとしても師匠を探すこと。
師匠は3人以上いたほうがいいな。
人間に完璧な人はおらへん。
1人の話を聞き過ぎると偏った人になってしまうから、
3人の師匠を持ち、3つの角度からいろんなアドバイスをもらう。
その中から自分の中にピンと来るものを選んでいくと、
すごくバランスのいい自分になっていくね。
今は完成する時期じゃなくて、とにかく学ぶ時期。
成功しても学ぶ、失敗しても学ぶ。
いろんな人から学ぶことは、必ず将来に生きてくるから。

では、最後に当時29歳のご自身に向けたメッセージを色紙にお願いできますでしょうか。

ありがとうございました!