79人目 大橋悦夫さん:有限会社サイバーローグ研究所

会社名:有限会社サイバーローグ研究所
URL:http://cyblog.co.jp/
公開日:2011年02月21日


今回の旅は、有限会社サイバーローグ研究所の大橋悦夫さんです!

まずは自己紹介をお願いします。

大橋悦夫と申します。
1974年3月生まれです。
仕事は2つに大きく分けていて、
「クリックを減らせ」と「クリックを増やせ」という風に呼んでいます。
「クリックを減らせ」というのは、
マウスを使わずになるべくキーボードだけで仕事を進めよう、ということです。
仕事の効率を上げるためにすぐにできることは、
なるべくマウスを使わないこと。
キーボード中心で操作していけば、
同じ作業をするにしてもスピードが早くなります。
クリックを減らす →
仕事の効率が上がる →
残業が減る →
豊かな時間を過ごせるようになる。
という風につながっていきます。
あとは習慣継続です。
ちょっとしたコツやいいことを知っても続けないと意味がないので、
「どうしたらそれを続けられるのか?」
といったノウハウ、あるいは実践の場を
ブログやセミナーで提供するのが「クリックを減らせ」という仕事です。
「クリックを増やせ」という仕事は何かというと、
「たくさんのクリックを集めましょう」ということです。
1人で仕事をしている人は、
本業以外にも事務や経理など複数の仕事をこなさないといけません。
営業に手が回らないのです。
そんなとき、ブログやメルマガのクリック数が多ければ、
お声がかかりやすくなりますよね。
僕自身、お声がけいただいたのは、クリックがあったからだと思っています。
自分がどんなにいい仕事をしても、
「どういう人なのか」
ということをWeb上で伝えられないとお声はかかりません。
いいものを持っているなら、ブログをちゃんと書こうよって。
それが、ブログのノウハウにつながるわけです。
そのためのセミナーやコンサルティングをやっています。
つまり、会社で仕事をしている人に
「クリックを減らせ」ということをやっていただいて、
クリックを減らしていくうちにだんだん仕事ができるようになり、
「独立をしたい、転職をしたい」と思った時には
「クリックを増やせ」という方向に進んでいただきます。
彼らのステージに合わせて提供できるノウハウを2種類用意しているわけです。

矛盾しているようでつながっているんですね。
このお仕事を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

今日は重要な年表を持ってきたんです。
僕は96年に初めて会社に就職しました。
4年勤めましたが、26歳の時に体を壊して退職したんです。
転職活動はしなかったのでプータローです。
でも、1か月ほどで派遣社員の仕事を得ました。
その仕事をしながら本を書きたいなと思っていて、
ご縁があって実際に本を書いたんですけど、
29歳になるまでの3年間はやりたいことがなくて、
できることをやっていた時代なんです。
「地を這う時代」と呼んでいます。
その後、29歳の時にとあるきっかけがあって、
「地を這う時代」から少しだけ中腰になりました。
僕にとって2004年の30歳がいい年だったんですよ。
そして、2005年に脱皮しました。
僕は2000年に形の上では独立はしましたけど、
実質的に独立したのは2005年だと思っています。
2005年に今のブログ(「シゴタノ! 仕事を楽しくする研究日誌」)を始めたんですよ。
僕にとって31歳は「エポックメイキング」な年です。
初めに入った会社は企業の情報システムを作るソフトウェア会社。
ITエンジニアの仕事をしていまして、
朝9時から夜中の1時過ぎまで働くような環境で、休みは月に1回とか。
残業代で基本給より高かった記憶があります。
4年目の冬に体を壊したのをきっかけに動きました。
文章を書くことは学生時代から好きで、
大学は言語学を専攻していました。
文章を書くことを仕事にしたかったので
それ以外の仕事を体を壊してまで続けることはないと思って会社を辞めたんですね。
辞めたのが2000年3月31日。
1996年4月1日から2000年3月31日のちょうどまる4年間。
文章を書く仕事とITエンジニアの両方を活かせる仕事は、
マニュアルだと思ったので、システム開発している現場に入って、
そのシステムのマニュアルを作る仕事をやっていました。
会社を辞めてから、
いろんな人に会っているうちに編集プロダクションの方と知り合いました。
ちょうど先方に休眠していた企画があったので、
共著者の方と本を書いて2000年の8月に出版しました。
「会社を辞めて一人で食っていくのは大変かな?」と思っていたけど、
意外と食えた時代だったんです。
ここでとある会社の仕事をしていたんですね。
その会社の仕事が煮詰まってきて、
その仕事は自分のスキルアップになりにくいし、
“この会社と付き合い続けるにしても、いつ切られてもおかしくない”
という不安があったんです。
そして、一念発起してあることをしました。
「地を這う時代」の3年間はものすごく濃かったんですよ。

それをぜひ聞きたいです。
20代から30代に切り替わるタイミングで大きな転機があったんですね。

僕はずっと日記をつけているので、
この辺りの日記を読み返したんです。
忘れていたことも結構ありましたね。

毎日、日記をつけていたのですか?

大学の頃からです。
パソコンで日記を書いているので、
「あれ何だっけな?」と思ったら検索したら出てきます。

「地を這う時代」のストーリーを教えてください。

4年勤めた会社を26歳で辞めて、「地を這う時代」は3年間。
一回りして、ある程度マンネリを感じていたんですね。
独立してすぐにクライアントの方が見つかったんですけど、
何だか煮詰まっていたんですね。
地を這っていたけどお金は儲かっていました。
ただ、仕事が充実していなかった。
まっすぐ進めばいいのはわかっているけど出口が見えないトンネル。
いつ終わるかわからないし、途中に穴があっても見えない。
それが29歳の「地を這う時代」。
寝ていても不安でハッと目が覚めてしまい、どうしていいのかわからない。
独立というのは、いろんなお客さまと付き合っていて、
あるお客さまの仕事が終わっても
他のお客さまがいれば売上はキープできますよね。
でも、その時は1社の仕事でほぼ100%のシェアだった。
このお客さまに食わせてもらっているのがよくないと思いつつも
どうしていいのかわからなかったんですね。
そんな時にある本に出会ったんです。
梅田望夫さんの『ウェブ進化論』。出版は2003年です。
梅田さんの文章をよく読んでいたんですね。
当時の日記にこう書いてあります。
「彼のような文章をいっぱい書いていきたい。
具体的なエピソードを交えつつ、
その具体的なエピソード群そのものも希少価値の高いものであるという状況
(常に自分の身を世間とギャップのある状態に置くことによって得られる)」
まどろっこしい書き方なんですが、要するに自分の体験を書くことで、
それが誰かの役に立つ状態がすごくいいなと。
たった3年ですけど、1人で仕事をするスキルをある程度体得したので、
そのコツみたいな文章を書きたいなって。
当時、発表するわけでもなく断片的に文章を書いていたんですよね。
今思うと恥ずかしいんですけど、
そういった内容をもとにメルマガか何かを創刊したいなと。
どういうコンセプトかというと、
“人生の法則というのは、常に誰かのがんばりに勇気付けられてがんばることだ”と。
自分のがんばる姿を見てその人も同じようにがんばる。
その人のがんばりを見てさらに色んな人が頑張っていく。
果てしなくどこまでもがんばる輪。
「あなたががんばるからがんばれる、僕もがんばろう、僕もがんばろう」
今、読み返しても、これが僕のブログのベースにあるんですよ。
応援って無償でやるものなので、何か手応えがないとできないんですね。
だから、僕ががんばっている姿を見て誰かががんばって、
そのがんばっている姿を僕が見て、また僕ががんばるみたいな。
そうなれば無料でもいいかなと思う。
そんなことを悶々と考えながらも日中はパッとしない仕事です。
本当に何をしたらいいのかわからなかった。
その時に関心を持っていたのはマーケティングの分野です。
そういった方面に暗かったんですよ。
ITの知識やシステム開発と重ね合わせれば、
何か役に立つんじゃないかなと。
そうしたら、たまたま知り合いの伝手で
マーケティング会社の社長がITに詳しい人を求めていたんですね。
で、会ってみたのがその会社の事実上の面接でした。
僕は2001年に有限会社をつくり、自分の仕事をしていました。
クライアントは1社だけでしたけどね。
煮詰りを感じてどうしたらいいかなと思っていた時に
ITの知識を持っている人を求めていたし、
マーケティングの勉強もしたかったので、
お金をもらって勉強できるならいいかなと思い、入社したんですね。
地を這う時代から中腰になったのは、
自分の勉強してみたいと思っている分野に実地で学べる場に身を置くことがきっかけです。
そして、2003~2004年頃にブログが日本に入ってきました。
その当時の僕の仕事はWebマーケティングです。
ブログを作って商品やサービスをプロモートする仕事をしていたから、
研究も兼ねてプライベートで7つくらいブログを書いていたんです。
マーケティング会社は、
2004年3月1日に入社し2005年3月31日に辞めました。
3年はがんばろうと思っていたのですが、
世の中の動きが想像以上にスピーディーで、
何か始めなくては、という気持ちが勝ってきて。
そこでふたたび独立をしました。

その頃は、楽天ブログが流行っていましたよね。
ブログを始めるためにどういった戦略を練りましたか?

戦略は特にないですね。カッコ良いことが言えればいいんですけど…。
この時代にやっていたブログの目的は…モテたかったんですね。
当時から人気ブログはあって、
そのブロガーさんが記事を書けばすぐにアクセスが集まり、
書かれた内容がみんなのブームになったり話題になったりする。
それってアイドルみたいじゃないですか。
人気ブロガーになりたいと思ってがんばったんですけど、
モテている人ってモテようとしていないんですよ。
自分の書きたいことをムリなく書いているんですね。
当時は今みたいに言語化して感じることはできませんでしたけど、
ブログが7つも失敗して、いい加減嫌になっていたんです。
それで、もうモテなくてもいいから自分の書きたいものを書こうと思って、
自分が無理なく書ける内容を書き始めたんですよ。
それが今のブログ(「シゴタノ! 仕事を楽しくする研究日誌」)です。
結局、それは何かというと、
日々やっている仕事の反省やこれをやったらよかったなとか、
こういう風にやったらメールが早く書けたとか。
未来の自分に読み返してもらって、役立ててもらうためのブログなんです。

29歳の時に何か夢を持っていましたか?

夢はまさに「文章を書いて暮らしていきたい」ということです。
でも、当時は10時~18時までの時間は仕事に取られるので、
独立しても会社員と大した違いはありませんでした。
自分の中で解決できない矛盾を抱えていましたね。
その矛盾を全部取っ払うことで、
自分の好きなように時間を使って、
文章をいっぱい書いて過ごしたいという思いがあったんでしょうね。

名実共に独立したのは31歳だとおっしゃっていました。
お仕事は何をされていたんですか?

仕事はホームページの制作をしていました。
でも、以前と同じで、ただできるからやっていただけ。
せっかく独立したのに、これって何かおかしいなと思って、
それが今のブログにつながっているのだと思います。
当初は、それをメインにしようとは考えてなかったですね。
例えば、ホームページの制作の仕事で打ち合わせをしている時に、
「こんな話し方をすると相手はこう言ってくれるんだ」という気付きがあれば、
仕事が終わってからそのことについてブログを書く。
だから、仕事もブログのどちらも必要だったんですよ。
それから、ホームページの制作は、
僕がやらなくてもいいと思っていたんですよ。
若いデザイナーやプログラマーがどんどん出てきますから。
僕は天邪鬼な面があるので、他の人が同じことやっていると興味を失ってしまう。
前代未聞のキャッシュポイントがあって、
「これで稼げるんだ、食えるんだ」
と人から言われるような状態を目指していたのかも。
ホームページ制作の仕事は2006年くらいで辞めて、
2006年4月に『「手帳ブログ」のススメ』というブログの本を出しました。
それが僕の中ではひとつの区切りとなっています。
2007年2月に仕事の効率化をテーマにした『スピードハックス』という本を共著で書き、
以後、「クリックを減らせ」に主軸を移していきます。

その頃から「ハックス」って言葉が流行り出したのでしょうか。

2006年3月に「ライフハック」という言葉が日本に入ってきて、
2006年7月に小山龍介さんと原尻淳一さんが『IDEA HACKS!』という本を書いていたんです。
そして、僕たちが2007年に『スピードハックス』を出版。
この本がかなり売れまして、
そこから急に仕事の効率化が注目されるように。

時代の流れにうまく乗ることもできたんですね。

初めから狙ったわけではないんですけどね。

今後の目標はありますか?

それはまったく変わりません。
最初にお話しした「クリックを減らせ」と「クリックを増やせ」なんです。
そもそも、クリックを減らせ・増やせのきっかけはというと、
1999年、会社辞める前年にあります。
会社は新大阪にあり、仕事は連日徹夜に近い状態でした。
幸いなことに東三国に家があって、
歩いて10分の距離だったんですけど。
仕事の効率が悪い自分がいましてね、
この人がクリックを減らしてほしい人なんです。

当時のご自身?

そうです。
そして、もう一人、2005年に独立してどうしていいかわからず、
右往左往している自分がいるんです。
それまではマニュアルを作ったり、契約社員になったりとか、
わりとやることが決まっていたんです。
2005年が自分でやりたい仕事をやるという本当の意味での独立元年なんですけど、
フリーランスとして、何から始めたらいいのかわからない。
2つの時代に転換点があったと思っています。
1999年の自分に対しては「クリックを減らせ」となりますし、
2005年の自分には「クリックを増やせ」ってことです。
「1999年の自分」が僕にとっては、
仕事の効率アップやブログ・セミナーの想定読者。
当時の自分に向けて書いているんですよ。
昔、自分はこうやって苦しんでいたなとか困っていたなって。
ただ、それのみだと「クリックを減らせ」にしかなりません。
それをある程度身に付けた人は、次に自分のブログやメルマガのクリックを増やしたいから、今度は「2005年の自分」に向けて書いていきます。
この2人にとってありがたいと思えることを書いて、発信すればいい。
というのが僕の目指しているものというか、
日々、見えている所なんです。
今は寄稿者の方にも入ってもらっています。
特に僕は何もしていませんが、寄稿者のほとんどは
出版が決まったりしています。
すでに2冊目を出している人もいます。
寄稿者の方々に対しては、出版のみにとどまらず、
より自分らしく楽しく仕事をしてもらうためのステージを提供してきたいという思いがあるんですね。
何かで困っている人がパートナーを見つけることができたり、
仕事のヒントを得られたりとか。
そういった場所を提供していくのが最終的なゴールです。
今、思っているのは…電子書籍って流行っていますよね。
電子書籍って、作るのは簡単なんですよ。
でも、そのあとの販売が難しいですよね。
ですから、これから電子書籍を出したい方の支援をしたいなと。
そこから商業出版にもつなげられると思っています。

~~~同行サポーターからの質問ターイム~~~
今、自分はやろうと思えば何でもできる歳ですけど、
できることって何があるんだろうって思っています。
「やりたいこと」と「できること」
これをどう考えたらいいのでしょうか?

できることは飽きるまでしたらいいと思いますね。
だけど、それだと絶対にブレーキがかかるんですよ。
できることだけやって、
それでお金をもらって満足する人も中にはいるでしょうけど。
もし、満足できなかったら、
それは自分に対するメッセージなので受け止める必要があります。
たぶん、受け止めないと苦しくなってしまう。
自分に嘘をつき続けることになるから。
できることをやっても満足しないのは、
本当にしなくてはいけないことがあるからです。
メッセージが来るまではできることをやり続けたらいいと思います。
とはいえ、僕自身、それがわかっていてやっていたわけじゃない。
梅田望夫さんの文章がおもしろいと思ったのは、
それがやりたいことのサインだったからだと思っています。
人生って、波乗りなので刻々とゴールが変わるんですよ。
波が来たら乗るしかない。
乗らないと波に飲まれちゃいますから。
自分にとって好ましい波がいつ来るかはわからない。

やりたいことがあるけど、
「やりたいこと」と「できること」が違っていたら、
まずはできることから始めたほうがいいということですか?

2005年の話でもしましたけど、
食うための仕事をやりながら、ブログをやっていたじゃないですか。
でも、当時ブログはまだ1円も生み出していませんでした。
ブログを養うために仕事をしていた感じだったかな。
僕はその区分けを「ライスワーク」と「ライフワーク」と呼んでいます。
「ライスワーク」は飯(ライス)を食うための仕事です。
「ライフワーク」は人生(ライフ)を掛けられる仕事です。
「ライフワーク」だけでは食えないし、
「ライスワーク」だけでは精神的に満足できません。
その両方を天秤にかけて、その天秤を持って走り続けるしかないと思います。
バランスが取れなくなった時に考えればいいのかなと。
実は、不安定な状態が良い状態なんですよ。
一生、安泰だと思ったら落ちていくしかないので。
ただ、安泰だと思った時に必ず何か事件が起こるんですよ。
例えば、不安定になって借金をしたとします。
借金したからダメな人間だと思っちゃうと、
どんどんダメになっていく一方です。
そこで、考え方を変えます。
借金をするということは、
借金した人の気持ちがわかるようになるということですから、
「借金をしなくちゃいけない(困っている)人にアドバイスできるようになるじゃん」
って思えるようになります。

今の自分を動かしているものは何なんですか?
例えば、Excelも自分が楽しんでいなかったら飽きちゃうんですよね。

やっぱり手応えじゃないですか。
やったことに対してそれ相応の、もしくはやった以上の手応えです。
例えば、ルーレットにお金かけていっぱい戻ってきたら
うれしいじゃないですか。
株式投資に近いですね。
ハイリスク・ハイリターンで上がる時もあれば下がる時もある。
でも、それが嫌な人は普通預金に貯金して毎月2円の金利で我慢する。
でも、楽しくないですよね。
それを楽しいと思う人はいいんですけど、やせ我慢だと思いますね。
どこかに自分におあつらえ向きのギャンブルのゲームがあると思っていて、
そのゲーム選びを間違える人が失敗すると思うんですね。
自分に合ったゲームを見つかるまで挑戦し続けるのが与えられた選択肢だと思います。
その過程でうまくいったり失敗するのが人に語れるストーリーなんです。
やっていることが全部うまくいったらすごくつまらないと思いますよ。
もちろん、失敗するのは嫌ですよ。嫌なんですけど、
「失敗したらどうなるんだろう」
というスリルを味わうことが大事なのかなって思うんですね。
その体験をした人にしかわからないこともあるし、
それをしないと行くことができない世界もあると思いますから。

~~~同行サポーターからの質問タイム終了~~~
当時29歳のご自身に向けたメッセージを色紙にお願いします。

最後に、20代の人たちにアドバイスをお願いします。

とりあえずやってみる。
考える人が多すぎますね。
考えるとやらないから、やってから考えること。
ただし、どこまで行ったらやめるかは決めておいた方がいいです。
それで、失敗しても借金をするほどではないと思うんですね。
せいぜい貯金を失うくらいかな。
そういう意味では、ある程度貯金のある状態で船出する。
もしダメでも25歳だったらいくらでも働き口があるでしょう。
結婚してからは難しくなりましたけど、
もし仕事がなくなったら何かアルバイトを始めればいいやと思っています。
もちろん、アルバイトだって大変だと思いますけど、
時間さえあればできるじゃないですか。
もし失敗したら、アルバイトで再起を図ろうと思えば挑戦できますよ。
やった数だけ成長できると思います。
失敗した人の話を聞いて、同じ失敗をしないように研究する人がいますけど、
研究するだけで行動しないとダメですよね。
失敗事例コレクターになっちゃうわけです。
それだったら、自分の中に体験をコレクションしたほうがいい。

本日はありがとうございました。