83人目 斉藤直人さん:有限会社ネクステージ

斉藤直人さん
会社名 有限会社ネクステージ
URL http://ameblo.jp/yumedaigaku/
公開日 2011年05月09日

今回の旅は、有限会社ネクステージの斉藤直人さんです!

まずは、自己紹介をお願いします。

学習塾の経営と、現場で講師もやっています、
斉藤直人と申します。
小学校4年生の時に塾の先生になるという夢を持ちました。
そして大学1年生の時に「斉藤塾」という小さな塾を、一人暮らしのコーポで始めました。
白板と机を3台、イスを9脚並べましてね。
学校の門の前で生徒募集のビラを配りました。
新聞の三行広告にも、何度も掲載しました。
でもね、最初は誰も来なかったんですよ。
よく考えたら、一人暮らしの男性の自宅教室に行く女子高校生なんていないでしょ?(笑)
しかし当時の僕は、それに気づかないくらい、塾作りに夢中なんですよ。
結局、半年くらいは誰も来なかったんですね。
もちろんその間は、アルバイトを十個くらいかけ持ちしてやっていました。
そしてお金を貯めては白板を買って、
またお金を貯めては、新聞広告に出して、という風に。

大学1年生の時からすでに行動されていたんですね。

子供の頃、僕には大人になったらやりたい4つの夢があったんです。
塾を創ること以外に、中学生の時には、社長になるという夢、医者になるという夢、
そして高校生の時には、テレビに出たいという夢もできました。
昔から夢だらけでした(笑)
夢を実現した時の、僕のビジョンは…、
日中は医者をして、夜は塾をやって、
土日にテレビに出るというようなイメージだったんですよね。
医者を目指した理由は、当時、僕の祖父が病気がちで、
どの医者よりも、祖父の病気を諦めない医者になりたい、と思ったんですね。
それで中学生から医学部受験に向けて勉強しました。
ところが、医学部を受験する3日前に、
祖父は亡くなってしまったんです。
それで、僕が医者になる意味がなくなってしまったんです。
ビジョンが崩れ、しばらくは立ち直れませんでしたが、
僕には、まだ塾の先生と社長とテレビという夢が残っていたので、
「じゃあ、その3つを実現しよう」
と思って、大学生の時に3つとも実現しました。
テレビレポーターも3年ほどさせていただきました。

大学1年生の時に塾を立ち上げて以来ずっと経営を?

はい。今までずっと、塾をやっています。
毎日、夢の中で生きているから、やっていて楽しいですよ。

塾の生徒さんは高校生のみだそうですが、
対象を絞っている理由は何かあるんですか?

いろいろな側面があるんですが、理由の一つは、
「やっぱり、楽しいから」かな。
高校生たちを見ていると、彼らの毎日は「ドラマ」なんです。
学園ドラマ、青春ドラマ、ホームドラマ、そして恋愛ドラマ。
そんな、いろいろなドラマの中で生きている彼らの中に
僕もずっと関われたら最高にワクワクするだろうな、と。
毎日素直に泣いたり、笑ったり、怒ったりね。

塾を立ち上げた当時、
半年ほどは生徒さんが来なかったということですが、
そこからどのように切り替えていったんでしょうか。

これは、「自己開示」ですね。
僕には塾を作るという夢があったので、家庭教師には、興味がありませんでした。
しかし大学の学費も払わなきゃいけないし、生活費もあるしで、
仕方なく家庭教師もするわけです。
バイトをたくさん掛け持ちしているので、とても大変でした。
ある日、家庭教師先でのことでした。
生徒さんが問題を解いてもらっている間、
僕は20分くらい、眠りこけてしまったんです。
「しまった!」 と気づいて、その子に「ごめんね」って言ったら、
「先生、何でそんなに疲れているの?」
って笑顔で言われて、ホッとして僕は全てを語ったんです。
塾を作りたいという夢や、現実は夢のようにうまくはいかないこととか。
大学生の僕が、その子の前で泣く泣く話をしたんですね。そうしたら、
「先生、どうしたら、塾ってできるの?」
って言われて。
「机も買ったし、白板もある。あとは生徒さんさえ、来てくれれば…」
と答えたら、
「じゃあ、何人か友達を呼んでくるよ」
と言ってくれた。
そこからですね。
その子が友達を3人呼んできて、さらに2人来てくれて、
女の子3人、男の子2人の合計5人で塾が始まったんです。
だから、すべては「自己開示」がスタート。
涙ながらにすべてを語ったことが、僕の人生を変えましたね。

家庭教師先で生徒さんにすべてを話したところから塾が始まった。
そこからは順調だったのですか?

そこからは順調ですね。
大学生の僕が持っていたのは、
絶対に曲げられない自分の夢に対する想いと、
それをこの人には、という相手に本気で話すこと、その人の前で裸になれること。
これは大切なことだと思います。
僕の場合、夢や志については、立ち止まることはあっても、
「あっちがいいかな、こっちがいいかな」
とブレることは、ありませんでした。
「どうしたらこの夢が実現できるかな」
「どうやったら塾ができるかな」
と、そのやり方や方法を悩むのはいいんです。
ときどき、目指す夢については本気で悩むべきなのに、あまり考えず、
結果的に、世間的な尺度で決めている就職活動中の学生さんをみかけます。
ブランドの通った会社に入ったら周りに自慢できるとか、
内定を多く取ることに必死になっているとか。

夢がない人は、逆にどのようなアプローチをしたらいいでしょうか。
悩み過ぎてどう動いていいのかわからない、
という人もいると思うんです。

そういう時は、仲間が大事だと思いますね。
僕にも動けない時期がありましたが、
そういう時期って、仲間に話すことが一番。
友達が「面白いから、ここに行ってみない?」って言ってくれたら
「じゃあ行ってみようかな」って思うことって、ありませんか?
僕は友達がきっかけで一緒にどこかに行ってみたり、
何かを始めたり、ってよくあるんです。

それでは、今回のテーマである29歳の時のお話を伺いたいと思います。

29歳はね、僕の人生で、ドラマな歳でした。
大学を卒業して、塾を立ち上げました。
生徒も順調に増えて、経済面でも余裕ができましたね。
仕事も忙しくなり、社員を雇うことにしたんです。
僕が29歳の時、初めての社員が入社してくれました。
それまでは、学生のアルバイトさんが中心で、社員は僕だけでした。
社長一人しかいない会社に、就職してくれました。
さて、この新入社員さんの彼は、どんな気持ちだったと思う?

不安ですよね。
この会社が潰れないかとか、社長とうまくやっていけるかな、とか。

そうだよね。条件としては、いいことは何もない会社なわけ、わが社は(苦笑)。
そこに入ってくる人は、どんな人だと思います?

志が同じ人ですか?

そう思うよね。でも、実際はまったく逆の人なんです。
というのも、就職活動をして、どこの会社からも内定をもらえず、
しぶしぶわが社に就職したわけなんです。
でも僕は、超ハッピーだった。
なぜならば、初めて社員が来てくれたから、涙が出るほど嬉しかったんですね。
僕にとっては、来てくれただけで、感謝だったんです。
そして、彼も、採用された後、感謝してくれました。
僕ら2人は、ハッピーな出会いでした。
ただ、彼の採用試験の時に、
僕は彼と、ひとつ夢を約束したことがあるんです。
彼に「夢は何?」って聞いたら、
「本当は、学校の先生になりたかった」と答えたんです。
大リーグに行きたいと言いながら、
草野球チームの採用試験に来るようなものですね。
僕は上司として、
「なんだ、学校で働きたいんだな。塾じゃないんだな」
と考えることもできますよね。
しかし今でも不思議なのですが、
僕は彼への返事をする時、大風呂敷を広げてしまったんです。
「じゃ、一緒に学校を作ろう。そしたらきみは、学校の先生になれるだろ?」
それで、彼はうちで仕事を始めることになりました。
だけど、さっきも話したように社員は僕ら二人だけ。
僕にとっては、初の社員、初の部下。どう育てればよいのか、わからなかったんです。
学校って、教員同士であまり部下指導はしないじゃないですか。その感覚だったんです。
ですから僕は、指示の出し方が下手っぴでした。
そして彼も今まで就職をしたことがない新入社員ですから、
僕の下手な指示を察して動けるような社員じゃありませんでした。
せっかく2人になったのに、
チームワークどころか、かえって忙しくなるばかりでした。

初めて社員を雇って、でもうまくかみ合わなくて。
その後、その社員の方とはどうされたんですか?

新入社員の彼とは「学校を作る」という夢を約束したのですが、
仕事ではうまくいかず、ある日、彼から、
「退職したい」と言われました。
仕事では確かにかみ合わなかったけれど、部下が辞めるのは寂しいですよね。
そうすると社長って、やっぱり引き止めたくなるわけです。
思い留まってほしい、と言おうとした時、
「斉藤さん、本当に学校を作るんですか?」
って言われたんですね。彼と約束した夢を、僕は忘れていたんです。
このひと言は、ショックでした。
「今から学校を作るために、がんばるから、考えなおして」
って言うこともできたけど、
それだと何か表面的な感じがして、もう何も言えませんでした。
そんな気持ちで、退職日まで過ごすわけです。
その間、僕は彼と、本の読み合わせをやっていました。
彼に本を一冊渡して、仕事が終わってから、
毎晩10分ほど一緒に読み合わせをするんです。
彼がうちの会社を辞めた後、別の学校や塾で働く可能性もあるわけでしょ。
その時にちゃんと教師としてやっていけるように、という想いがあったんです。
「人材育成」など知らない僕ができる唯一の人材育成というか、
餞別がわり、いえ、罪滅ぼしのつもりでした。
もちろん、「学校を作ろう」とは言えないままでした。
そしていよいよ彼が退職する日になりました。
これは本当に偶然ですが、その日に読み合わせた本の内容が、
厳しい上司に育てられた部下が有名な人物になる、というストーリーだったんです。
本を読み終えた時に彼は、
「これからも斉藤さんについていきたいです!」
と言ってくれたんです。
とにかく僕はびっくり驚き、そして喜びましたね。
そして恥ずかしいですが、彼がそう言ってくれたおかげで
僕はその時、ようやく
「ありがとう。絶対に学校を作ろうぜ」と言えたんですね。
この日の翌日が彼の誕生日だったので、
元々退職する予定でしたから、彼には3日間の休みをプレゼントすることにしました。
しかしその誕生日当日、
彼は交通事故に遭って、亡くなりました。
これが、僕が29歳の最大の出来事でした。
一度は辞めると言っていた彼が「斉藤さんについていきます」と言ってくれたのに、
その翌日に亡くなる。とは、どういう意味なのか。
学校を作ろうと約束したのに、その翌日に亡くなる。とは、どういう意味なのか。
自問する日々が続きました。
彼を引き離すなんて、神様はよっぽど彼と僕を引き離したいのか、と恨みましたし、
休みをあげた自分が悪いんだ、と自分を恨みました。
これは祖父が亡くなって医者を諦めた時と同じで、
僕にはもう、学校を作る意味がなくなってしまった。
彼の事故をきっかけに、僕は学校作りの夢を語るのをやめました。
他人から悪意なく「学校作り、がんばって」と言われるのが、とても辛かった。

経営者でもあり、現場に経つ講師でもあるわけですよね。
そのような出来事があって、しばらくは立ち直れないと思うのですが・・・

顔には、出せないですよね。
アルバイトの子たちもいましたし、動揺しないようやっていました。
その頃、森信三という方の本をずっと読んでいたんです。
「人生二度なし」という言葉に魅かれて。
森先生という人は、日本の教師人気ランキングベスト10に入るような偉大な教育哲学者。
この先生はもうお亡くなりになっているんだけど、
僕は自分の30歳の誕生日に、先生の過ごされた家に行って、教師としての覚悟を決めました。
教育に関わる人間としてのスタートがこの日。
30歳の誕生日です。
教育哲学者の森先生のところで30歳を迎えた時が、
僕の教育者としてのスタートだったんです。

多くの20代の人に向けて、20代から30代。
どのように過ごしていけばいいと思われますか。

論語で『三十にして立つ』という言葉がありますよね。
僕も、これは本当にそうだと思います。
「30歳になるまでには自立しないといけないよ」って。
だから、30歳までに自分が決めた夢に向かって準備しておくことは大切だと思います。
そして論語で言う『四十にして惑わず』
40歳になると、夢に対して迷いが出てくる。
お金の問題や健康の問題、家族の問題とかね。
それでも迷わずに突き進む。
論語に書いてあることは正しいな、とつくづく思います。
20代から30代の間、絶対にブレないものを持ち、準備することが、
大事だなと思います。

一度夢を語ることをやめた後、改めて夢に向かっていくきっかけは何かあったのでしょうか。

僕は30歳の時から、学校作りの夢をふさぎました。
ところが38歳の時に、仲間20人くらいに集団コーチングされたんですね。
みんなで温泉に行こうという話があって。
温泉に行くだけだと思っていたら、実は違ったんですね。
僕の本当の夢を聞き出すというコーチングも、目的の一つのようだったんです。
一杯飲んだ後、
「直人の夢って何?」
一人や二人からじゃないですよ。みんなから総攻撃で(笑)
僕は、子供の頃の夢だった塾を、すでに作っていたので、
「僕はもう、夢は実現しているから、別にいいんだ」と最初は意地を張っていましたね。
しかし、あまりにもみんなが真剣に関わってくれたので、
それまで10年近く、誰にも話さなかった、あの部下が亡くなった話。
誰にもしなかった学校作りの話をしました。
その時、語った仲間から、ドリームプラン・プレゼンテーション大会というのに誘われました。
夢を本気で語る大会、多くの起業家が憧れるドリブラ、という大会に出場しました。
2009大阪大会で大賞を取り、また2009全国大会に出たらまた大賞をいただいて。
東京では2300人も入るJCBホールで夢を語り、
会場の方々の投票で、大賞をいただきました。
今まで10年間、夢を語らなかったのに、
今では様々な場所で夢を語らせていただいています。
人は、きっかけ次第で、変わるものですね(笑)
もちろん今は毎日、夢を語っています。
夢は、夜に寝ている間に見るものではなく、昼に見るものに変わりました。

今の夢とは?

「日本夢大学」という大学を作ることです。
夢を見つけたい人の大学ってないですよね。
この大学では、1年目は「夢学部」で夢を探すんです。

押し殺していた夢が、かたちを変えて復活したんですね。

そうですね。先の温泉事件の少し前に、卒塾生の同窓会に呼ばれて行ってきたんですよ。
亡くなった部下が生きていた頃の生徒さんたちです。
ちょうどリーマンショックの後でしたから、
東大卒や京大卒の子たちも来ているんだけど、
会社でリストラに遭っていたんです。
同窓会を盛り上げようと思い、「みんなで夢を語ろう」と言ったんです。
しかし、ある卒塾生さんに
「先生、僕らもう28歳です。夢を語る年じゃないですよ」
って言われて。
それで温泉旅行に行った時に、夢を語ってやる!ドリブラに出よう と思ったんです。
夢を押し殺してきた自分と、
社会人になって夢を語れなくなった卒業生さんたちがシンクロしたんですね。
「じゃあ、ドリプラに出るよ。僕の夢は、学校を作ることだったんだよ」
と、この時、単なる学校ではなくて、
卒塾していった教え子たちの夢を取り戻すための学校に
ビジョンは形を変えて復活したんです。
卒業した教え子たちに勇気を与えられればと想って夢を語っています。

お話は戻るんですが、そもそも、なぜ小学校4年生の時に塾の先生になりたいと思われたんですか?

すごく恥ずかしいんですが、
同級生にマユミちゃんというかわいい女の子がいたんですね。
その子と仲良くなりたくて、でも頭が悪かったら恥ずかしい、と思って。
小さい頃の夢なんて、そんなもんですよ。
それで塾に入ったんです。
そこの塾の先生が、とても厳しいけれど愛情のある先生で、
子供の頃って、格好いいものに憧れて、それが夢になったりしない?
僕の場合はその先生がそうだった。
「この先生すごい。僕も塾の先生になろう」って。
この先生は大学の時に出会った人と学生結婚をされていて、
夫婦で、自分の住むアパートを、塾にされていたんです。

すごい。同じ人生を歩んでいるんですね(笑)

本当に(笑)
でも、憧れるってそんなものじゃないかな。
逆に言えば、世の中が憧れられるような大人でいっぱいになれば、
子供は、夢がない、なんて言うことがなくなるんじゃないかな。
だから僕は格好いい大人を演じたい。

それでは、29歳のご自身に向けたメッセージをお願いします。

「人生二度なし」
部下が亡くなった時に、本当に心から思ったんです。
人生は一度しかないんだ、って。
この一度きりの人生を僕らは何を目指して、そしてどう生きて、どう死ぬのか、
を考えました。
この言葉に出会って、
一度きりの人生を精一杯生きていくって誓いました。
この気持ちを忘れないでいてほしい。そう自分にあらためて言いたいです。

本日はありがとうございました!

ママチャリで日本一周している経営者
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指しています。ほぼ一周を終えつつ、ゴール目前で、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人の理事として活動中。
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