90人目 上條清崇さん:有限会社ヤマト宝飾

会社名:有限会社ヤマト宝飾
URL:https://kahi-yamato.jp/
公開日:2011年08月09日


今回の旅は、有限会社ヤマト宝飾の上條清崇さんです!
まずは読者向けにお仕事のご紹介をお願いします。

自由が丘でアクセサリーの仕入れ販売と
ハワイアンジュエリーをオーダーメイドで作っています。
アクセサリーに機械で文字を彫ったりと付加価値を付けて売る商売になります。

お店を始めたのはいつ頃なのでしょうか?

僕は3代目になります。
祖父がアクセサリーのお店で起業し、
父が40年ほど前に八重洲でお店を始めました。
父は大学を卒業した年から八重洲のお店を始めているんです。
その後、蒲田にもお店を出すようになりました。
八重洲も蒲田も駅ビルにテナントとして入っていましたが、
全館改装時に改装費がものすごくかかることになり、
今の自由が丘にお店を移転させました。

自由が丘のお店は何年になるのですか?

自由が丘は12年になります。
僕が大学を卒業した年からです。

2000年頃ですか?

ちょうどその頃になりますね。

昔から家業を継ごうと決めていたのですか?

逆にそうなるしかないと思っていました。
他の仕事は考えていなかったんですよ。

じゃあ、サラリーマン経験は?

経験したことがないですね。
家業一本です。
実を言うと、デザイン系の学校に通うようになったのは、
まだ3年ほど前のことなんです。
ハワイアンジュエリーの彫金機械を買ったのも同じ時期。
以前からその機械に目を付けていて、
ハワイアンジュエリーをどうしてもやりたかった。
指輪を売ると必ずサイズ直しを行いますよね。
うちの父も彫金の学校などに行かず、
問屋さんや職人さんに教えてもらっていたんです。
子供の頃、僕は日曜日になると必ずお店に遊びに来ていたんですけど、
父はサイズ直しや彫金を僕の目の前で見せてくれていました。
だから、指輪を作ること自体は、
学校に行っていなくても何となくできていたんですね。

大学時代は何を勉強されていたのですか?

理工学部でした。
大学は推薦で入ったんですよ。
何がやりたいということもなかった。
高校時代に理系と文系のどちらかを選ぶ時に
僕はパソコンが好きだったので、理系に進んだんですね。
理系だと思い込んでいました。
でも、理工学部でパソコンをあまり学んでいないですね。

そして、サラリーマンにならずに宝飾デザインの道に?

そうです。
父がただ宝飾を売ることから、
貴金属のプレートに文字やイラスト、
写真などを機械で彫ることを始めた時期だったので、
興味をもってみていました。

手彫りと機械彫りの違いを教えて欲しいのですが。。

例えば、弊社のブランドロゴの「K」は、
原版の金属を曲げる前に機械で彫ります。
平らな部分しか彫れませんから。
基本的に機械では文字やイニシャルなどを彫ることができます。
イラストや写真なども彫刻できます。
ダイヤモンドの刃で罫書いて彫るだけだったり、
超硬の刃で回転させて深く彫ったりします。
逆に手彫りは平面でなくても彫れます。
手彫りはタガネで彫るので、機械では出せない輝きがでるのです。

ジュエリーデザインの道以外に
別の道へ進んでみたいとは思いませんでしたか?

それはありません。
僕にはこれしか能力がないですから。
僕にはサラリーマンはムリだと思います。
父のお店に入った時も
営業や接客は絶対に出来ないと思っていました。
僕は職人をやりたかったんですよ。
今は接客も楽しいですけど。
人と会話して物を売るなんて、
絶対にムリだと言っていたんです。

大丈夫そうに見えますよ。

今でも人見知りはしますけどね。

インタビューのテーマは「29歳」なのですが、
29歳の1年間、どのように過ごされていましたでしょうか?

29歳の頃はすでに父の仕事を継いでいました。
お店は順調に発展していくと思っていましたが、
急に「あれ?」となった時期でしたね。
お店の売上が悪くなってどうしようもなかった。
物が売れない不況だけなのかわかりませんでした。
その時に何か新しいものをしようと思い、
今のレーザーもそうですけど、
手彫りを始めようと考えていました。
そのために展示会へ足を運んでいましたね。
機械を導入して新しい商品を販売していこうと思っていた時期です。

そんなに景気が悪い時期だったんですか?

悪くなり始めた時期でしょうね。
当時はZIPPOのライターがメインのお店で、
今のお店の名前は「自由が丘 ヤマト」ですけど、
当時は「ZIPPO&SILVER ヤマト」という名前だったんですよ。
ZIPPOをメインでやっていましたが、
禁煙ブームでライターの売上が落ちてしまいました。
金属を彫る機械はあったので、
その機械を活かして何かできないかなと考えていましたね。
何か彫れる物を探していたんです。
ZIPPOってすごくいいキャンパスなんですよ。
肌身離さず持つアイテムですから。
他に同じような物は何かないかと探していましたけど、
なかなか見つけられませんでした。
レーザーの機械も選択肢にありましたけど、
ものすごく費用がかかり、導入は難しかったですね。

29歳は迷っていた時期だったんですね。

なるようになると思っていましたけど、
29歳から30歳は一番挫折を感じましたね。

30歳になる時、正直不安だらけだった?

今まで大丈夫だと思っていたものが
ダメになっちゃった瞬間ですから。

その挫折をどう乗り越えていったんですか?

機械を買うことで乗り越えました。
ただ、その機械を見つけるまでに時間がかかりましたね。
何をしたらいいのかわからなかった。
逆に何もしないのも手かと考えていました。
経費を使うだけ使っているとマイナスになってしまいますから。
投資をしてもリターンが見込めないと
やっても意味がないと思っていたので。

逆に何をしないのも不安になりませんか?

それはそうなんですけど、
蓄えの中から経費を出して過ごしたほうが
いいのではと思う時期はありましたね。
結果はこれからだと思っています。
僕はオーダーメイドのハワイアンジュエリーをメインでやりたいんですけど、
レーザーの方が将来性があると考えていますね。
僕はその狭間で動いています。
本当はお店を全部アジアンっぽくしたいんですよ。
でも、資本はうちの父なので(笑)
機械はもともと好きですから、
確かにレーザーも可能性は無限にあります。
何をやるかが問題ですね。
商品を考えて値段を決めて、
それを販促しなくてはいけない。
これが、もう大変。
これを毎日やっている人は偉いなと思いますよ。

インタビューのテーマに戻りますが、
29歳から30歳に切り替わるお誕生日の思い出はありますか?

誕生日の思い出はないですね。

30歳に対する期待や不安、
夢や目標を書き出したりとか、そういったことは29歳のときにされましたか?

そんなこともしていないですね。
気づいたら30歳になっていましたね。
お店の調子も厳しい時期だったので。
今はレーザーなど新しいことをどんどん取り入れようと考えています。
それが正解かどうかもわかりませんが。

手彫りと機械の両方をやっていますけど、
どちらか一本に絞ったほうがいいのかと考えてもいます。

29歳は挫折を味わった頃だとおっしゃっていましたけど、
逆に好調な時期はありましたか?

お店がよかったというよりも、
僕はこれ(手彫り)をできるようになったのがうれしいですね。

それはいつ頃からでしょうか?

3年ほど前です。
毎日のようにスクールに通い、帰ってきてもひたすら練習していました。

今まで自分が作った物をお客様にお渡ししていて、
一番うれしかった言葉や思い出などはありますか?

手作り、手彫りのハワイアンジュエリーをお客様に渡したら、
その知り合いの方がみて気に入り、
「私も」と買いにきてくれたのですが、
その連鎖が何度も続いたことです。
それはとてもうれしいですね。

では、今後のビジョンや目標を教えてもらえますでしょうか

逆に自分がどうなっているか興味深いです。
う~ん、どうなっているのかな?
まぁ、突き進むしかないと思ってやっています。
希望としては、
子供ができたら僕の仕事に憧れを持ってほしいですね。
僕の仕事をやってみたいと思ってもらいたい。
そして、僕が仕事を休めたらいいかな(笑)

先代からあまり他の人がやらない、
ニッチなことをされていたんですね。

そうかもしれませんね。
祖父も父もニッチな物を狙っていますから。
人の嫌がることをやらないと儲からないと言われましたね。
僕はやりたいことをやっているからダメかもしれない(笑)

~~~同行サポーターからの質問ターイム~~~
上條さんにとって「親父」ってどんな存在でしょうか?

どうやっても超えられない存在です。
父はパソコンや携帯電話の使い方をよく聞いてくるけど、
僕が仕事のことをちょっと聞くと、いろいろ答えが返ってきます。
超えられない存在ですね。

親父を超えたいという思いはありますか?

超えたいと思っています。
そう思ってはいるけど、
どうやっても超えられないですね。

「家庭の親父」と「仕事の親父」は違うんですか?

うちは離婚していて、ひとり親で父だけなんですよ。
だから、ご飯も父が作ってくれていました。
父は家庭の親父でもあり、仕事の親父でもある。
友達のような感じでもありますね。
仕事の面でアドバイスをくれますし、
趣味は僕と同じく機械や車が好きなので、
友達でもあり家庭での親父でもあるんですよ。

お父さんも現役でお仕事をされているんですか?

僕がほとんどお店に出ているので、
月に1回出るか出ないかくらいかな。

仕事の面でお父さんから影響を受けたことはありますか?

「人の嫌がることをやれ」
ですね。
価格競争ではなく付加価値を必ずつけて売ることと
絶対に安売りはするなということですね。
安売りして儲けた奴はいないと話すんですね。
あとは「必ずお客様の目線で考える」こと。
商品を雑然と置くのではなく、
値札を必ずつけてお客様が見てわかるようにしろ、
POPを大事にするということを教わりました。

ありがとうございます!
~~~同行サポーターからの質問タイム終了~~~
現在、経営者として心がけていること
かつ学んでいることは何かありますか?

何歳になってもいつ何をやっても遅くないってことですかね。
僕は去年から学校に通い始めましたから。
いろいろとやってみることです。

サラリーマンになりたくないと思っている
若い人たちもたくさんいると思います。
何か自分で物を作ってみたいという人も多いと思います。
ものづくりをしたい人達にアドバイスは何かありますか?

最初から独自性の物を作りだすのは難しいと思います。
まずは人の真似をすることですかね。
真似をして完全にコピーを作ることができたら、
そのコピーからオリジナルの物を作る。
コピーは誰でもいいとは思いますが、
憧れている人と同じようなことをやってみたらどうでしょうか。

上條社長が一番憧れている人は?

僕はやっぱり父です。
長所も短所もありますけどね。

「憧れの人なんていないよ」という人もいると思います。
自分の独自性でやる人もいるかと。

そういう人はオリジナルを作りだす才能があるからいいんじゃないんですか。
僕はいきなりオリジナルの物を作りだすことはできなかった。
学校に通わないとダメだと思っていましたから。
できる人は最初から独自の物を作りだしていったらいいでしょうね。

これから起業したい、ものづくりしたい!という人へ。
彼らに一言どんな言葉をかけてあげたいですか?

やらずに後悔するより、
やって後悔してみてください。

今までやりたいことを全部やってきたわけですね。

いや、僕もまだまだですね。

他に何かやりたいことはありますか?

今は金属の板からリングを作っているんですね。
完全に自分のオリジナルの作品を作りたい。
パソコンでジュエリーのデザインを作ることができるんですよ。
そのデータがアクセサリーになるんです。
そのアクセサリーと手彫りを融合させて、
完全なオリジナルをやっていきたい。

それでは最後に当時29歳のご自身に向けたメッセージを色紙にお願いできますでしょうか?

やらずに後悔していることってあるんですか?

やって後悔することのほうが多いです。

やって後悔している人のほうが
圧倒的に少ないと思います。

でも、もうちょっと最短距離で行くことはできなかったのかと思いますね。

ご自身では遠回りしていると?

遠回りのそのまた遠回りですよ。

僕は逆に遠回りが近道だったりするときがありますね(笑)
本日はありがとうございました!