96人目 武藤ゆうきさん:Mother’s inc

武藤ゆうきさん
会社名 Mother’s inc
URL http://spoonbread.jp/
公開日 2011年10月27日

今回の旅は、Mother’s incの武藤ゆうきさんです!

まずは武籐さんのプロフィール、自己紹介をお願いします。

1980年代ニューヨークのマンハッタンに住み、世界の食を研究。
帰国後、ベーグルを日本のパンカテゴリー化すべく、
日本初の本格的ベーグル教室をプロデュース。
教室スタート後、約5年で、
全国より延べ4,800名以上の人々が受講する話題の教室となりました。
最終的に、受講された60%位の方がプロでしたね。
その後、2000年には、大手出版社より声が掛かり、
ベーグルを中心としたニューヨークのパンとお菓子のレシピ本を企画し出版しました。
これがベストセラーになり、
これを機に、以後日本でのベーグルブームが起きることになりました。
その後、第二弾として、日本初のPOPOVER(ポップオーバー)専門店
「SPOON BREAD」を自由が丘にオープンさせました。
ニューヨークでは、ベーグルをはじめ、
幻の「ポップオーバー」を長年研究、
SPOON BREAD独自のレシピと製法を確立してきました。
食にはこだわっています。
お客様の信頼に答える様、日々努力しています。
食べ物は、本質的に、人の命を支えるものですから、
その本質がブレてしまってはいけませんからね。

食へのこだわりがしっかりとありますよね。

そうですね、色々な国で、様々な食べ物を食べ、多くを学びました。
中国やアメリカなど、圧倒的は食文化の違いを体感しましたね。
僕の子供の頃は、日本経済が成長していて、
新しい物がどんどん作られていく
マスプロダクション全盛の時代でしたから、
食品添加物、合成甘味料と言ったものがどんどん開発されていた時代でした。
前に中国で粉ミルクの事件がありましたよね。

ありましたね。ぞっとする事件でした。

昔、日本でも粉ミルクの問題はあったんですよ。
僕は下町育ちですから、子供の頃は駄菓子屋の常連で(笑)
当時は発がん性の高い「チクロ」なども入っている食べ物を、
そうとは知らずバンバン食べてましたね。
母親からは、駄菓子屋立ち入り禁止命令が出ていたので、勿論内緒で。
この様に安全基準が明確になっていない発展途上の時期は、
必ず環境や食品で、そういった問題が起きるんですよね。
食べ物は毎日取るもので、人間の根幹を支えるものですから、
その本質的な部分を大事にしなくてはいけないと思っています。
少し話しは逸れますが、
僕の名前「武藤ゆうき」と書きますが、
英語で書くと「Non-Sugar Organic(無糖 有機)」
武藤は「無糖」 ゆうきは有機野菜などの「有機」
名前からも食へのこだわりがあるでしょ?(笑)

面白いですよね!
外国人の人に話すとすぐに覚えてもらえそう!

そうそう!これを外国の人に話すとウケですよ。
「僕の名前、日本でこういう意味なんだ」って言うと、
一度聞いたら忘れないって。
僕は、食にもともと縁があるみたいで、
うちは、おじいさんの代から浅草なんですが、
昔、帝国ホテルに、村上信夫さん 通称「ムッシュ村上」という、
日本のフランス料理界の基礎を作った人がいて、
その村上シェフと、うちの叔母がたまたま小学校時代のクラスメイト、
大人になってからも親交が続き、
僕が3~4歳の頃、叔母や両親に、よく帝国ホテルへ連れて行ってもらっていました。
そこで村上さんに、
下町では食べたこのとのないハンバーグやら
オムライスなどを食べさせてもらいました。
この時、子供心にすごい衝撃でしたねー
「世の中にこんなおいしいものあるんだ!!」
って、これが僕にとって食への何かが開花した瞬間だったと思います。
そして、食のもう一つの出逢いは10代後半。
僕が生まれる前の事なんですが、
当時の厚生省(現・厚生労働省)にいたお役人で、
その人が厚生省時代、
「今の日本の添加物にたいする政策はよくない。
このままだと、必ず将来、日本人の死因のトップに肝臓病が入ってくる。
ガンと共に死因の上位になると」
昭和の20年代後半から提唱され、
それで厚生省を去った方なんですが、
僕がその方と出逢ったのが18歳の頃、
知合いのお医者さんの関係でお会いし、
その方から言われた事が
「食べ物はただおいしいだけではダメ」
という事でした。
3歳の頃に村上さんの料理に出逢い、食の喜びを知り、
10代後半で、食は人間の生命を支えるものと言うことを教えられ・・・
このニつの事が、時と共に、僕の中で結び付き今に至ったと思います。

食への探求から20代の頃に
アメリカに行って研究していたと聞きましたが。

そう、僕のライフワークは「食」
ただ僕はプロの職人さんじゃないから、
彼らとは違うアプローチをしようと考えました。
職人さんは経験と共に、どんどん腕を上げ、
美味しいものをお客さんに出していく。
僕は、食文化を背景とした食の楽しさを伝えたいと考えていました。
そこで更に、世界の食ってどうなんだろう!?
と、すごく知りたくなり、
世界中の人がいるニューヨークに20代後半で渡りました。
当初は、パリを含め、ヨーロッパも考えましたが、
フランス語は難しいし~ では英語圏!だと、
はじめはロンドンとニューヨークが浮かびましたが、
速攻ニューヨークに決定しましたね。
理由は、ニューヨークには僕の好きな食と音楽、
そして現代アートが集約されていましたから。
そして直ぐに、世界中の人がいる街ニューヨークへと旅立ちました。
世界の人が集まるということは、イコール世界の食があるということ。
ニューヨークに行けば、手っ取り早くいろんなものに出逢える。
ヨーロッパだったらオーストリアだ、オランダだ、スイスだと・・・
時間もお金もかかるし、また短い間、ただ旅行に行っても得られるものは限定的、
やはり住まないとダメだと思ったんです。

期間はどれくらい?

トータルで4年半位です。
帰国後も、10年間位は行ったり来たりしてました。
アメリカに行けば、最低一ケ月間、長くて三ケ月位は行っていましたね。
向こうにいる間は、約一ヶ月間、一日5食食べ歩いていた事もありましたね。
これが、かなり太るんですよね~

すごい執念ですね。

そうですね。
日本人が絶対に行かないような場所にも潜入していました。
僕が住んでいたのはマンハッタンW87丁目。
ラッキーな事に、ジャーナリストでユダヤ系アメリカ人の知人から、
ものすごく良い条件で部屋を貸して貰っていました。
周りには、有名な食品専門店やレストランが沢山あって、
僕にとっては最高の場所でしたね。
今では日本でも有名になったベーグル屋さんも歩いて数分。
映画『You’ve Got Mail』の舞台になった所です。
当時は色々な国の友達がいましたね。
特に僕の近所は、ユダヤ系の人が昔から住むエリア。
ユダヤと言っても、いろんなユダヤの人がいるから、ユダヤ料理と言っても様々。
またイスラムの人が食べる「ハラル料理」やアフリカの料理からヨーロッパ、
アジア、南米と、世界中の食べ物を食べ歩いていました。

それは、将来レストランをやるためではないんですよね?

レストランについては、もし将来余裕ができたらやりたいなーと思っていたくらいでしたね。
やるなら、アメリカで出逢った美味しい食べ物を日本に紹介したいと思ってました。
それで帰国後、90年頃、先ずベーグルの教室を日本で初めてプロデュースしたんです。
その頃はまだ、製菓パン学校の先生達も殆どベーグルのことを知らない時代。
とにかく、日本で知られていない美味しいものを
みんなに知ってもらいたい気持ちでスタートしました。
ベーグルは、卵や牛乳も使わない、砂糖もほとんど使わず、
カロリーが低く、ヘルシーなパンですから、
必ず女性に受け入れられると思いましたね。
またその当時、東京のパン屋さんにベーグル自体ありませんでしたから、
自分で作るしか無かった。
自分が美味しいベーグルが食べたいから、
一生懸命ニューヨークで出逢ったベーグル屋さんの味を東京で再現しようと、
頑張ってレシピ改良してましたね。
粉も水も、環境も違いますからね(笑)
しかし、僕の中で、一番伝えたかったことは、作り方がメインではなく
「その背景にある食文化」
僕の世代(60年代)では、日本料理、フランス料理、そしてイタリア料理が美味しい料理で、
「アメリカ料理」はとにかくマズイというイメージが強くて。
でも僕がアメリカに住んで、出逢った料理は、
美味しいものが色々あって、そのことがすごく悲しくて・・・
そこで、僕自身が伝道師となるべく、色々紹介しようと心に決めたんです。
やはり、現地に住んでみないとわからない美味しい物があるんですよ。
食以外でも、アメリカは世界からの移民の国ですから、
生活様式も様々で、本当に楽しいですよ。

僕らが知らないだけなんですね。

アメリカには、様々な食べ物があり、それを体験して来て、
まずベーグルを紹介し、その次が「ポップオーバー」でした。
お陰で、今では、日本以外の海外のマスコミでも、
SPOON BREADが日本初のポップオーバー専門店として、
多く取り上げられるまでになりました。
また、多くの大手ファーストフード、コンビニストア、
ファミレス等の方から相談を受けたりしています。
例えば、POPOVERをアドバイスした一つに、
日本一のハンバーガーチェーンもありますね。
大手メーカーさんと一緒に商品開発しています。
今も大手メーカーさんと一緒に商品開発を進行中です。

見えない技術の積み重ね。
これは二番煎じじゃなかなか真似できないですし、強みですよね

そうなんですよ。
たまたま一回できても、それを継続して毎日出すのが難しいですよね。
それをやるために、日々工夫、
クオリティーの高い安定した商品を作っていかなければならない。
そして、僕が大切に思っている事の一つに、もの作りへの考え方があります。
これ全ての作りに共通する事ですが、
日々切磋琢磨しながら、見えない技術の積み重ねをする。
これが重要なんですよね。
昔から、日本の職人さんに共通する素晴らしい部分だと思います。
この部分はこれからも大切にしていきたいと思っています。

インタビューのテーマが「29歳」なのですが、
その頃はニューヨークに行っていた頃だと思います。
一言で表すと、どのような1年でしたか?

贅沢ですけど、とにかく「幸せ」の一言でした。
日々バラ色でしたね。
好きな所に行って、好きなことをやって、
美味しい料理を食べまくっていたわけですもんね(笑)
本当にラッキーでした。あの時期に感謝しています。

その時に仕事はどうされていたんですか?

学生時代から、広告代理店や企業の方と知り合いがいたので、
ニューヨークでは、新しいものや、ライフスタイルの傾向を調べたり、
また、ファッションや食を含め、今後の新しいマーケットについて
東京に提案したりしていました。
例えば20年前、
将来日本における潜在的オーガニックマーケットについて提言したりと。
また、日本にも「DEAN & DELUCA」がライセンスされてますけど、
その当時「DEAN & DELUCA」のマスターライセスを取るべきと、
伊藤忠ニューヨークにいた友達と話をしていました。
それから、7年後くらいかと思いますけど、
伊藤忠が日本に於けるマスターライセンスを取得したんです。
他にも、様々な企業に頼まれて色々な提案をしていましたね。
面白いところでは、コンビニにおける顧客誘導の提案。
これは、お客様が自由にトイレを使える様、
トイレを開放するという提案でした。
これを一番初めにCMで打ち出したのがローソンさんでした。
当時、多くのコンビニでは、一般のお客様へのトイレの使用を禁止する所が多く、
僕は先ず、お客様の分母を増やすという事を提案したんです。
まあこんな感じで、昔から裏方として色々やってきました。

コンビにのトイレには本当いつも助けられてるので、
その提案がなかったら。。。と思うとゾッとします(笑)
お聞きしていると自由な仕事のスタイルで楽しく過ごされていたんだな、って伝わってきます。

そうですね本当に有難いです。
実は、僕は今まで就職をした事がなかったんで。。
おそらく僕の性格では、
就職出来たとしても、直ぐクビになったと思います(笑)
29歳の頃は、本当にいい時期でした。
30代になると、自分達の仲間も、
それぞれの会社でそれなりのポジションに就く頃。
その彼等に稟議とか決定権が出てくる時期です。
この時期になると、友達から
「一緒にプロジェクトをやろう!!」
などの話がどんどん出て来る。
とにかく20代迄は、いろんな経験をし、多くの人と会ってみる。
そして30代で、その横のつながりが機能し始め、良いネットワークに繋がる。
ただ、今後、日本経済は更にシュリンクして行きますから、
ぜひ若い人たちには海外に出て、世界人脈を作って欲しいですね。
そのためにも、先ず英語ですね!
勿論、英語じゃなくても、
日本語以外もう一つの言葉が話せると良いですよね。
とにかく20代迄は、
ぜひ良い仲間をいっぱい増やして下さい。
この時期は、自分にとって、宝物を作れる時ですから。
30代、自分も友達も皆頑張っていけば、
必ず良い仕事に発展したり、いい人を紹介されたりします。

20代のうちによい仲間を沢山増やす。
すごく共感しますし、納得できますが、
そういったことがなかなかできない20代の人も数多くいると思います。

そうですよね。
世代が変われば環境も変わるので、
「最近の奴はどうこう」
と言えないですね。
僕が今の時代に青春を送っていたら、
同世代と同じ悩みを抱えていたと思う。
今の時代、ネット環境が普及し、
人との関係がダイレクトではなくなりつつあるじゃないですか。
人と会わないで用が済んでしまう事も多い。
勿論、時間短縮だったり、ある意味合理的だったりするけど、
でも、或る日、もし自分が苦境に立った時、
よっぽど精神力が強く、一人で生きていける人は別ですけど、
一人で悩んだり、苦しんでいるとなかなか解決策は出てこない。
壁にぶち当たるんですよ。人生って。
こんな時、腹を割って話せたり、自分の恥を晒せる相手、
その様な信頼できる人が一人でもいれば、
その人と話すことで、何となく気が晴れ
「よし次に」
という気力がまた生まれてくる思うんですよ。
壁にぶつかった時こそ、
リアルな人と人との繋がりが生きると思うんです。
死ぬか生きるか、
人生の究極の選択に直面した時こそ、
リアルな人間関係が力を発揮してくれると信じてます。
また過去から学んだり、
自分とは違う考えの人から学ぶのも重要かと思います。
その中の意見に真の答えがあったりもする。

相手を認めることですね。

他の人の違う考えを理解することで、お互いの信頼が生まれ、
その事から、真の信頼が生まれると思うんです。
僕も含め、人間は弱い生き物だから、
心が折れそうな時に支えてくれる人が大切だと思う。
人は支えあうもの、それがないと心が折れてしまう。
自暴自棄にったり。
本当に身近に、腹を割って話せる、
信頼できる人が一人でもいると言うことは大切だと思います。
ぜひそう言う人を大切に、また今見当たらなければ、
ぜひ、これからその様な人間関係を築いて下さい。

仲間や人間関係の作り方がわからないという人は多いと思います。

これも時代の流れなのですが、
先程も言いましたが、多くはネットの中で済んでしまう。
バーチャル・コミューン化が進んでしまっている。
これからは、更にリアルに人に会わなくても殆どの事が済む事になる。
そうなると、やはり、
リアル・ヒューマン・コミミケーションの持つ、人の温とか、
アナログ的な部分がないバーチャルなものに偏ってしまう。
そこで私達SPOON BREADでは、
リアルな人間関係を作れる場を提供していきたいと思っています。
今までも、企業イベントから合コン、ライブなど、
リアルに楽しいイベントをかなりしてきましたが、
これからも更に楽しいことを皆(これを読んでくれている皆さんとも)と
作って行ければと思っています。
人生は、やはり楽しく生きたいものですよね!

ありがとう御座いました。
では最後に29歳当時のご自身に向けたメッセージを
色紙にお願いできますでしょうか。

本日はありがとうございました!

ママチャリで日本一周している経営者
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指しています。ほぼ一周を終えつつ、ゴール目前で、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人の理事として活動中。
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