97人目 中村誠さん:株式会社岡山楷進予備校

中村誠さん
会社名 株式会社岡山楷進予備校
URL http://www.55kaishin.com/
公開日 2011年10月31日

今回の旅は、株式会社岡山楷進予備校の中村誠さんです!

まずは読者向けに自己紹介をお願いします。

「岡山楷進予備校」という医学部受験を掲げた塾と、
個別指導塾を運営してます。
個別指導の方は去年から始めて今年9月で6校舎、岡山楷進予備校は1校舎です。
浅井くんが家に来ていた時代(約15,6年前)は、
教室とも呼べない四畳半の部屋で、
少し塾らしくなった次の教室も、2階の六畳と八畳の部屋だったよね。

そうでした。普通の自宅のお部屋でしたし、
よく窓やホワイトボードにヤモリが歩いていましたよね(笑)
その時代から考えるとめまぐるしい成長ですよね!

自分でもこんなになるとは思わなかったな。

そもそも、医学部に特化した塾を始めたきっかけは何だったんですか?

俺が数学と物理しか教えられなかったから。
最初に浅井くん含め岡山朝日高校の子らが来て、
何年か経つと進学校の成績上位の子が来てくれて、
医学部に合格する子が増えていくうちに、
医学部に特化していくようになっていった。

本当に四畳半の部屋から始められていた姿を
リアルタイムでみていたので、感慨深いです。
そもそも塾を始めたきっかけはなんだったんでしょうか?

当時、塾の先生に知り合いがいてさ。
もともとは鍼灸の専門学校に行きながらそこでアルバイトを始めたのがきっかけ。
で、塾で理数を教え始めたら、それがおもしろかった。
夕方は暇だから自分でも塾をやってみようかなと思って、
お小遣い稼ぎくらいの気持ちで自宅ではじめてみた。
実際に塾をやってみたら、すごく楽しかったんだよな。
ただ、何もわからず適当に始めているからね。
そのままの気持ち、考え方でずっと塾を行っていたらヤバかったね。

ビジョンがなかったわけですよね。

そう。楽しいからやっていただけ(笑)

いつ頃からビジョンを意識するようになったんですか?

大学受験ですごくがんばる子や優秀な子がいるよね。
ここまで努力するのかと思うほどね。
自分が集めた生徒によって、
俺自身、勝手に磨かれていったの。
自分が所属しているコミュニティによって
人から磨かれることってあるじゃない。
俺は塾の先生だけど、本物かどうかと言われたら、
「どうだろう?」というインチキみたいな気持ちが自分の中にあったわけ。
自然と「いつまでもインチキではまずいだろう」という気持ちになっていった。
もっと大きな価値を提供できるようにならないとダメだと思い始めて、
コンサルタントの宇治川先生のホームページを見るようになり、
勉強し始めたんだよね。
当時の自分は今の自分から見るとひどかったな。

塾を始めたのは何歳くらいだったんですか?

30歳か31歳くらい。

30歳を越えていたんですね。

全然本格的じゃないけどね。
借家の四畳半だしね。

子供ができた頃ですよね。
しばらくして移転して少し広い部屋になりましたよね。

生徒たちが「岡山朝日高校のそばがいい」って言うもんだから、
「じゃあ、チャリで5分くらいの所に引っ越そうか」って。

あ。それって僕の発言かな。
何気ない一言で変えちゃったんですね。

結果として、よかったよ。
あのまま小さい四畳半ではできなかった。
六畳と八畳の部屋のふすまをハズしてくっつけてさ、
教室としてはそんなに大きくないけど、
生徒もたくさん入れるようになったから。
それからテナントを借りようと考えて、たまたま駅前で安い物件を見つけた。
3キロくらい離れていたけど、みんな来てくれたしね。
駅前の3階建てのビルに引っ越して、
最初は2階の10坪のとこで、半年経ったら同じフロアの隣の
10数坪の物件が空いたから借りて、
もう半年後に3階のワンフロアが空いたから借りて、
さらに1年経ったら1階のフロアも空いたから借りてって、
いいタイミングだった。
そのあとも隣のビルの2階と3階も借りていって、
つぎはぎだけど自分のレベルに応じた大きさで拡張できて
すごく運がいいって思うね。
で、今年の7月にここ(岡山市北区本町6-30 第一セントラルビル2号館7階)
にまとめて移転しました。

30代で塾をやり始めたわけですけど、
それ以前は何をされていたんですか?

あまりちゃんとしてなかったね。
銀行に就職したくせに、椅子取りゲームみたいなことで一生が終わる、
出世が大事みたいな人生ってどうなの?
って、疑問を持ちながら仕事をしていた。
学生時代のあまっちょろい気分を引きずっていて、
もっとおもしろいことがたくさんあるんじゃないか?って考えていたね。
今考えると、「おまえはアホか!」と当時の自分に言いたくなるけどね。
ちゃんと働け!って(笑)
そんな低レベルじゃなくって、もっと周りの人の役に立ちたいって
価値観を持っていれば、銀行を辞めなかったと思う。
現状のおもしろくないことばかりに目がいっていた。
当時は人生観なんて確立していなかった。

悶々とした感じで仕事をされていたんですか?

ここじゃないどこかにもっといいものがあるんじゃないかと。
居場所を変えるより自分が変わるべきだったんだけど、
根がボンクラだから、どうしても人より気づくのが遅い。
時間がかかるんだよね。

20代には夢や目標はなかったんですか?

いろいろおもしろいことはあったよ。
会社もいい人が多かったし仕事もおもしろかったけどね。
ただ自分で商売するなんて発想はなかった。
おもしろそうだから塾をやって、
時間の経過と共にきちんとしなくてはと思い始めて、
一生懸命やっているうちに何とか力もついてきた。
最初から塾をきちんとやろうって考えていたら、
実力不足ですぐにコケていたと思う。
「最低限このレベルではじめないとダメでしょう」ってラインがあるんだけど
当時のオレじゃ全然ダメ。
「これだったら失敗しないよね」という感じで自宅で塾を始めて、
手堅く、そしてローコストで自分の成長に合わせていった。
それが許される業種だった。
実力はないんだけど大ゴケせずに運良く成長できて、そしたら
「もうちょっとこうがんばればいいんだよ」
ということを教えてくれる人達に出会っていったの。
そういったことをおもしろがって生徒たちに話してる(笑)

その姿、背中を昔から見ていて、影響を受けたのが僕です(笑)
さて、今回のインタビューのテーマーである29歳。
この頃はどのような時期でしたか?

29歳はまだ専門学校に行っている段階だった。
その頃はいまいちだな。
資格を取るために専門学校に行くわけじゃん。
それなのに、昼休みになるとパチンコに行ったりして真剣にやっていない。
資格は勉強したら取れるし、東洋医学っておもしろくて勉強もするんだけど、
その仕事で一流を目指すという感覚がなかった。
同級生の中には一流を目指してる人がいたからね。
一流になれる人間は決まっているね。
その人は国体のハンマー投げで優勝しているような人で、
考え方が根本的に違う。
当時は「へぇ~」くらいに思っていたけど、
今になると言ってたことがよくわかるよ。
一流を目指していくこと。
錯覚でもいいから信じていないとそこに辿り着けない。

29歳はダメダメな感じだったんですね。

ダメダメと言ったら結婚した嫁さんに悪いけど、
考え方が変わっていたんだと思う。
サラリーマンとしてちゃんとする感じでもなかったし。
銀行を辞めずに周りのみんなのためにがんばっていたら、
勝手に充実していたと思うんだけど、当時はそんなこともわからないからね。
親が子供に「何で勉強しなくちゃいけないの?」って聞かれて、
自分の将来のためとか受験のためだという答えが多いよね。

はい。確かに。

この仕事をしているとこちらが一生懸命がんばると
成績が上がったとか受かったって喜んでもらえて、すごく充実感や達成感がある。
親に「自分のためにがんばりなさい」って言われると、
楽をしたい子供は、
「そんなにがんばりたくない」
って思うけど、
「みんなを喜ばせるために今からがんばって勉強して力をつけよう」
という言い方ならだいぶやる気も違うと思う。
たぶん、それが正解。
たくさん喜ばせたら跳ね返ってくるものもたくさんあって、
それでちゃんと生活もできれば、さらにがんばって大きな価値を提供できる。
いい循環になるわけじゃん。
そういう原理原則を大人がちゃんと話しておいたほうがいいよね。

29歳の時に「もっと考え方が違っていれば」とおっしゃっていましたけど、
環境で変わることもあると思うんですよね。

まぁ、向き不向きでいうと銀行の仕事は向いていなかったね。
俺は自分の好きなことに固執するタイプだと思う。
きっと軽くアスペルガーが入ってると思っているから。
一つのことに集中しちゃうというか、
複数の仕事をうまくさばけない。
職人系のコツコツ夢中でやることに向いていたんだろうな。

ちょうど僕の同い年の同級生が大手銀行に入っていて、
「こんな人生でいいのか?」って同じような悩みを言っているんですよ。
「俺は出世なんて興味ない。
でも出世ルートに乗っているように思われていて、
周りからいいねと言われるけど、全然おもしろくない」って。

それはリフレッシュしたほうがいいな。
出世に興味ないって考え方もアリだと思うけど、
面白い職場にできるかどうかは100%自分次第だしね。
浅井くんの会社は面白いを色々やっているから、刺激があって楽しいし、
ジェットコースターのような感覚だよね。

そうですね。毎日刺激的ですし、
ジェットコースターのようでもありますし(笑)
それだからこそ大変なことも数多くあり、鍛えられたりもしますね。

振れ幅が大きいから平気なことが増えるよね。
あんなことも平気だし、こんなことも平気になちゃったみたいな。
そうするといろんなことをもっと楽しめるようになる。
どんなに大変なことが起きても、実はそんなに大変じゃなくて、
一生懸命やっていれば解決するんだよ。
例えば仕事で徹夜とかしんどいことが続くと、
被害者意識になっちゃうことがあるじゃない。
それを笑えるか笑えないか。
俺は基本的に笑えるもん。
ハチャメチャな事やあり得ないことが起こったら、
「もうどうしよう」ってなるけど、
それも面白いと思えちゃうんだよね。
問題は解決できると思っている。
どういう解決策になるのかわからないけど
どうせ2~3年後には解決していることがわかりきっている。

大抵は問題が起こった時点で思考が止まって、
悩んじゃいますよね。

問題が起きた瞬間は、俺もそのことを忘れていることもあるけど、
ちゃんと落ち着いた時にどうせ来年には解決しているって思えちゃう。

いろいろと経験をされているので、先が読めるのかも。

他の人もいろんな言い方をしているけど、
とんでもないことや大変なことが起きて、
それに一生懸命対処していたら急成長ができるんだよ。
逆にめちゃくちゃチャンスというか、いい状況なわけ。
でも、そういう風に捉えない人が多いんだよな。
うちのスタッフにも、大変なことをそのまま大変だって反応しちゃうのがいるけど、
すごくもったいないと思う。
塾生の模範にもならないし。
昔、プロジェクトXって番組があったけど、
ほとんどの話は、大変なことに取り組んで急成長ってワンパターンの話だった。
だからみんなそのパターンにちゃんとはまっていればいい感じになるわけで。
成長したいなら大変なほうがいい。

では、今まで最大のピンチだったことは何だったんでしょうか?

どん底ってあるかな…。
初めて人を雇った時かな。

最初に人を雇ったのは何年くらい前ですか?

6~7年前かな。
最初は人材採用に苦労したけど、
レベルの高い人や俺ができないことをできる人が
だんだん入ってくるようになってきた。
ただ、それまでは、人が増えれば増えるほど、
会社に寝泊まりしないといけない状況になっていった。
やらなくてはいけない仕事がどんどん増えていった。
人の使い方や組織の作り方もわかっていなし、
会社としてのベクトルもどうやって揃えていいかもわからない。

自分で仕事をこなし、抱え込んでしまう。という状況ですね

そう、自分の実力不足でね。
今も実力不足なんだけど、
状況がよくなっていくのがわかっているからOKだって思っている。

ちなみに今後の会社のビジョンは?

塾生にこうなってほしいって話はさっきも喋ったから、数字でいうと
「年商10億を目指す」
その数字を強く意識しているね。
10億円じゃなくてもいいと思うけど、
この数字は誰でもできるってコンサルタントの先生に聞いたことがあるから。
だから、だれでもできることを自分ができないというのは、
ちょっと嫌な気持ちがあるね。
でも、コンサルタントの先生に聞き直したら、
俺はそんなことは言っていないと。
「実力があれば10億もいける」
そう言ったらしいんだけど、
俺はそれを聞き間違えて
「誰でもいける」
と何年も信じていたの。
人間だったら誰でも売上10億はいけるんだったら、
俺がいかないわけにはいかんだろうって。

そう思い込んでしまったんですね。

まだ全然到達しないけどね。
塾は一番ごっつい会社で年商500億という世界だから、
何千億という会社はない。
普通の塾と同じようなことをやっていても負ける感じがある。
だから、医学部や大学受験という切り口で
やっていくほうがすごくやりやすい。

特化させなくてはダメってことですよね。

俺の中ではこのスタイルだと1教室で年商1億5千万くらいだと思っている。
それができたら、今度は別の地域に同じものを作る。
今までよりはるかに早い時間で、
そのコピーができあがっていくのであれば10億はいけるじゃん。
それをやっていけばいいかなと。

最初は塾が楽しい気持ちから始めたわけですよね。
四畳半から。
そしてだんだんと拡大していき、
多くの学生や若者と接していく中で、
社会に対してどんな風になってもらいたいというイメージってありますか?
志というか大義名分ってやつですね。

「大人になりたくねー」
という台詞の子が多いんだけど、
俺は「大人もおもしろいのにな。」って思っているんだよね。
いざとなったら自分でいろんなルールを作って、
そのルールでゲームをやろうと思えば本当にできる。
だけど、大人は我慢するもので好き勝手できないみたいなイメージを持っている子が多い。
そうじゃないってことを知ってほしいね。
あとは受験勉強もそうだけど、
一つのことに長時間努力を積み重ねると、必ず力がつく。
人生を変えたいと思うなら、本気で変えられると思う。
スポーツなんかでがんばって何かを達成して感動するシーンがあるけど、
受験も同じで、その感動に立ち合えるのはすごくおもしろい。
そこで終わりじゃなくて、それから先もずっと感動が続けばいいなって思う。

ずっと感動の場面に立ち合えたら最高ですよね。

ただし、昔と比べると自分自身が10代の子との距離感を感じてる。
20代や30代と一緒に歳を取っていける社会人教育もやってみたい。
そのための勉強をするのもおもしろそうだし、
自分でやって良かったことを落とし込んでいきたい。
まだ自分の知っている狭い所にだけいるんだけど、
スタッフを増やしていくわけだから、それが社会人教育にもなる。
それがうまくいったら、スタッフ以外の社会人教育になっていけばいいね。

教育は生徒だけじゃないんですね。
大人が変わらないと子供も変わらないですからね。

浅井くんがママチャリで走るのも似たような所があると思うね。
やりがいのあることやおもろいことがたくさんあるのに
諦めや思い込みに縛られているのはもったいないよね。
がんばらなくてはいけないという原則はある程度あると思うけど。
もちろん、がんばらない権利も当然あるからさ。

自分が自分を見たときに憧れることができるか。
面白い!って思えるかどうか。これって重要だと思うんですよね

俺も20代でサラリーマンをやっている自分が見ていて、
今の俺をおもしろいと思ってもらいたいな。

僕も当時あこがれる大人がいなかったので、
社会人になりたくないと思っていました。
では、20代のうちにやっておくべきこと、アドバイスって何かありますか?

天才的な人は10代の早い時期から道が決まって、
ずっと集中して継続して結果を出すけど、
俺みたいなのは35歳くらいにやっと固まる、遅い方のパターンだと思うね。
うまく説明はできないけど、
専門学校とかいろいろ寄り道をしたのはよかった気がしている。
29歳の人には「寄り道もOK」って伝えたい。
全部プラスになるから。
もちろん、目標があってがんばっているならそれはいいんだけど、
目標がなくても大丈夫。

最近は、目標がない人、失っている人が多いのかな。
って、自分の周りを見ていると少し感じるのですが、
そういった人達は、その言葉に勇気づけられるのかなと思います。
目標や夢はないとダメ!という変な固定概念があると思うんですね。
自分もどちらかというとあったほうがいい!と思うタチなので。

あるよな、夢を探さなくっちゃいけない空気って。
俺も探していた気がする。

では、当時29歳のご自身に向けたメッセージを色紙にお願いできますでしょうか?」

「努力をしたふりをしても本当の現実は向こうからやってくる」
ってこと。

本日はありがとうございました!


ママチャリで日本一周している経営者
■Profile:(2018年時点)
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指すこと11年目。ほぼ一周を終えつつ、まだまだ走り続ける口実をつくるべく、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人1団体の理事として活動中。
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