99人目 伊藤隆博さん:株式会社スマイルラボ

伊藤隆博さん
会社名 株式会社スマイルラボ
URL http://www.smile-lab.com/
公開日 2011年11月29日

今回の旅は、株式会社スマイルラボの伊藤隆博さんです!

まずは読者向けに自己紹介をお願いできますでしょうか。

スクウェア・エニックスが100%出資している子会社、
株式会社スマイルラボという会社の代表をしています。
インターネット上の「絵本のような仮想生活コミュニティ」
「Nicotto Town ~ニコッとタウン~」http://www.nicotto.jp/
というサービスを運営しています。
(2008年9月に正式リリースして、2011年11月、約3年間で、
100万IDの累計ユーザー登録数となりました。)
経歴としては、
1999年のネット黎明期の時期に、28歳でUSENに転職し、
当時、光ファイバーのインフラ事業と、
インターネットコンテンツ事業が立ちあがっていく中で、
社内初のネット事業を立ち上げるなど、
約6年間、インターネット事業を統括する経験をさせて頂きました。
今にして思えばですが、USENは、創業40年、社員10,000人という会社で、
全国3,000人の営業社員が800の支店で、
音楽放送端末の営業をしている会社であったため、
インターネット事業を立ち上げるための人員、組織機能も無く、
一番最初のスタッフも内定学生のアルバイト12人でしたし、
サーバーも、コールセンターも、全部、外部から調達し、
パンフレットの印刷や、外部のネット提携なども全部、0からやっていました。
その後、自分の部署も一時期には、100人を超える部門になったのですが、
光ファイバー事業の不振もあり、社内リストラ対策の余波を受けて、
黒字であるにも関わらず、自分の部署の人員を減らす状況であったり、
社内調整に追われることが多くなりました。
また、上場後、有名企業になったこともあり、
語弊がある表現ですが、
上昇志向の強い中途社員も多くなり、
社内のポジション争いのような競争も
増えていったように思います。
そして、会社全体が赤字の時期もあり、
リストラの影響もあったかと思いますが、
多くの中途仲間が会社を去っていった時期もありました。
僕自身も、最後の1年は、本当に大変でした。
長らく、当時の社長だった宇野さんの直属だったのですが、
会社が大きくなるにつれ、役員制度ができ、
仕事の方法が変わり、新しい担当役員から、
書類を投げつけられることもありました。
でも、宇野さんから、5つの事業部の1つである
「インターネット事業」を任せて頂いていた責任感もあり、
2005年、すべての事業が黒字になるまで、
ずっと、インターネット事業部を統括していました。
そして、7年目を迎える前に、会社を辞めました。
会社を辞めるキッカケは、
「責任を果たした」
と思ったからです。
2005年は、すべての事業が黒字になったこともあり、
映画会社の「ギャガ」を買収し、無料動画サービスの「GyaO!」を開始し、
会社は「好調な成長」を導き出そうとしていた時期でした。
当時、他の部長職の方より一回り若い30才で、
事業部長の役席を頂いており、
社内の新規サービスを立ち上げる際には重宝がられましたが、
だんだん、モノ作りへの時間が減り、
社内調整ばかりに時間を取られるようになった結果、
「このままでいいのだろうか?」
と考えることが多くなりました。
元々、美大を出て、
「モノ作り=人生の糧」
と考えていましたので、
大きな組織の中の管理職でいるより、
モノ作りの現場に戻りたいと考えました。
でも、辞意を伝えても、
なかなか「辞めてよい」という話にならず、
「しばらく、子会社で自由にしたら?」
など、大変ありがたい言葉もかけて
頂いたのですが、その昔、宇野さんに、
「マネージャーは40才になれば自然とできるようになる。
それより、おまえは、1日100ページの企画書を作る変態プランナーなので、
余計なことを考えず、新しい事業を作ることに集中したらいい」」
という話をされたことがあります。
そこで、辞意を伝える時、
「今のUSENでは、プランナーとして生きにくいし、
もっと外で学ばないと、会社のお荷物になる気がする」
という話をしました。
「プランナーに戻って、いろいろなモノを作りたい」
と伝え、退職しました。
転職先は、ちょうどその頃、
韓国のNo1ゲーム会社:ハンゲームと、
韓国のNo1検索サイトのNAVER(ネイバー)
という会社が合弁してできた「NHN」というベンチャー会社でした。
ハンゲームの事業統括の役職を拝命しました。
2005年~2008年、オンラインゲームバブルと言われた時期でした。
(2010年~2011年、ソーシャルゲームバブルと言われた時期と似ています。)
今では、携帯のモバゲーやグリーが有名となっていますが、
それらのサイトができる前、
ハンゲームというPCサイトで、
アバター&ゲームポータルサイトを運営していました。
その後、NHNグループは、
グローバルで中国やアメリカにも進出し、
1000億円規模のグローバルインターネット会社に成長し、
日本国内でも、ハンゲームは実質的にNo1ゲームサイトにもなりました。
しかしながら、ハンゲーム事業の統括をしていた頃、
売上を数倍に拡大することができたのですが、
未成年トラブルの発生率も増え、オンラインゲームと、
インターネットの安全性に疑問を頂くことになりました。
そこで、モバゲーやグリーが、アバターサービスをスタートする頃には、
オンラインゲーム業界から一歩引くことにしました。

オンラインゲーム業界を引いた後はどうされたのでしょうか。

次の仕事先は、アメリカの外資ネット会社にしました。
アジアの外資会社で従事したので、
次はアメリカの外資会社で経験を積み、
「グローバルでインターネットプロデューサーとして通用するのか?」
ということを試したいと考えました。
アメリカに本社を置く動画プレーヤーの会社、
リアルネットワークスの日本法人のコンシューマ代表という役席を頂き、
転職することにしました。
この外資会社で学んだことは、グローバル感覚でした。
「グローバル市場で、日本人がどうパワフルに結果を出せるのか?」
ということを学び、実践していくのに、ちょうど良い職場となりました。
オフィス内は、日本人、中国人、韓国人がいて、
本社はアメリカで、他にイギリス、ドイツなどにも支社があり、
グローバル企業の組織運営、業績コミット型の仕事スタイル、外交とは、
「自国の利のみ追求しないと他のエリアに予算を投げ込まれてしまう」
など、目からウロコの毎日でした。
それから、36才になった頃、
元々、自分が一生の仕事と成すサービスを作りたいと考えていた時期に、
スクウェア・エニックスの和田社長とお会いする機会があり、
「インターネット上で、安全に遊べる居場所」
というサービスコンセプトの話をしました。
3か月後の2008年2月29日には、会社を創業していました。
それが、株式会社スマイルラボとなります。
・人のためになるサービス
・長く利用できるサービス、
・社員が家族と遊べるサービス
・利用者が口コミで紹介したくなるサービス
松下幸之助しかり、本田宗一郎しかり、
「日本のモノづくり精神」
こそが、グローバルに対抗できると思いました。
「グローバリゼーション イズ ローカリゼーション」だと思います。
「手作り感のある温かみのあるサービス」
こそが、目指すサービスでした。
ちなみに、2008年は、セカンドライフ(3Dバーチャルワールド)がありました。
だから、同じ3Dバーチャルワールドを、
より合理的に作っても勝てないと思いました。
「より合理的」というのは、資本や体力の勝負となります。
グローバルのゲーム市場やネット市場は、
既に、数百億円の買収劇になっており、
マネされないサービス性が必要だと思いました。
海外のグローバル会社は、合理的に、大きい面積率でやってきます。
簡単にマネされず、非効率で、
手作り感のあるサイトを作ろうと思いました。
その結果、第一弾事業として作ったニコッとタウンは、非合理です。
具体的には、アバターの絵でいえば、
全部手書きでレイヤーが200枚もあり、
レースの透け感や、縫い目まで再現した絵を、仮想空間で動かしています。
恐らく、他の会社がニコッとタウンのようなアバターを描いて、動かすと、
「とても非効率で、採算が合わない」
と思うかも知れません。
コストや合理性を考えると、任天堂のMiiのように、
2頭身のコミカルなアバターデザインを採用すると思います。

アバターサービスにおいては、
服や家具アイテムを販売するのに、
ニコッとタウンの場合、無料のアイテムが多いのですが、
経営的には、どのようなバランス感なのでしょうか?

そうですね。
ニコッとタウンの場合、他社サイトで有料となっている家具が、
基本的に無料だったりします。
もちろん、デザイン原価がかかっていますので、家具だけでも、
毎月100万円を超えるコストがかかっています。でも、
「インターネットの居場所に利用して欲しい」
と考えていたので、
「サイト内に住む」という部分は、無料サービスにしました。
その他に、仮想ペットも、2匹まで無料にして、
小物や背景も、毎月の無料ガチャで、
無料サービスとして提供しています。
経営のバランスとして、
農耕スタイルになると思います。
具体的には、
株式会社スマイルラボは、
スクウェア・エニックスの100%出資会社ですが、
「将来、上場しない」
という話をしつつ、
一過性の売上拡大ではなく、5年、10年、15年と続くサービス
を運営していく経営バランスを目標にしています。
個人的な思いですが、ずっと、ネット業界の隆盛を見てきたので、
一時的に売上が増え、社員をたくさん雇用した結果、
その後、立ち行かなくなり、
サービスの継続ができなくなった会社をたくさん見てきました。
だから、一過性の拡大ではなく、
ゆっくり成長していくサービスを運営していく会社でありたいと考えています。
「上場しない」という理由については、
上場すれば、一時的な資金を得ることができるかも知れませんが、
日本のインターネット人口が今以上に増えていかない以上、
上場した数年後には、会員数(売上)が頭打ちになり、
「海外に進出」という目標を打ち出さないといけなくなるかも知れません。
でも、自分達の会社(社員)が食べていける分の収益があり、
毎年、新しいサービスを作る開発費を出せる状況があれば、
農耕生活のように、ずっと長くサービスを運営していけると思っています。
「会社を作る目標」として、「大きな会社」という目標ではなく、
「長く続く会社」という目標に対して、
組織やサービスを設計しています。
そのために、ユーザーさんと一緒に成長し、
ユーザーさんと一緒に年を取る。
ということを考えています。
だから、ユーザーさんが無理せず、
マイペースに長く利用し続けられるように、
サービスの制限や、課金の制限をニコッとタウンは導入しています。

サービスの制限というのは具体的にはどうのようなものなのでしょうか。

例えば、インターネットサイトなのに夜12時で仮想タウンが閉じます。
あるいは、日本初(世界初?)だと思うのですが、
一番売上が期待できる有料ガチャには、
1日の利用回数を10回という制限にしています。
利用ボタンの近くに、
「お金の使いすぎに注意してください」
と書いていたりもします。
年齢制限も設けていて、
小中学生がつかえる金額も一ヶ月5000円までです。
小中学生がゲームに何万円、何十万円も使えてしまうのは問題があると思います。

今回のインタビューのテーマは29歳ということなのですが、
29歳の時、30歳を目前に悩み立ち止まる人も多くいると思います。
29歳の時に大切にしておいた方がいいことは何かありますか?

ビジネスの世界では、28、29才で悩むことが多いと思います。
多くの会社は、入社3年以内が若手と呼ばれ、
27才くらいから中堅と呼ばれます。
ですから、同期を見ていれば、27才くらいから何か任される人が出てきて、
28、29才くらいで結果を出す同期が出てくると思います。
そこに対して、
「自分はどうだろうか?」
と振り返るのだと思います。
そう考えると、26才までの間に、
自分の可能性をアピールしないといけない。
つまり、26才までの活動が、27~30才の自分を決めると思います。
であれば、30才までにチャンスが回ってこないと思った場合、
29才前後で、自分にチャンスがある会社に転職するのも選択の1つかも…。
30才だと、「マネージャー格=結果を必ず出す人」として採用しますが、
29才であれば、「チャレンジが期待できる人」として採用されます。
僕の場合は、昔から10年間の計画を立てるようにしているのですが、
25才の時に、10年間はとにかく勉強、経験をしようと思っていました。
その理由は、25才の頃、ベンチャー会社にいたんですが、
その頃に出会った35才の人は、優秀で、何でも出来る人達ばかりでした。
自分が35才くらいになった時、
「なんでもできる人になれているのか?」
ということを想像しました。
その結果、「今のままじゃダメだな…」と思い、頑張ろうと思いました。
そして、35才になり、今後の10年間を考えた時、
「自分のライフスタイルになるサービスを作ろう」
と思いました。

20代の若い人達に向けて、、
どのような20代を過ごしていけばいいと思いますか?

誰かの信頼を得たり、チャンスを得るには、2、3年かかると思います。
「信頼貯金」という言葉を使う時があるんですが、
自分が行動を起こす時、
「何もないけど、自分と一緒に行動を起こしてくれる人がどれだけいるのだろうか?」
と考えます。30才までに、
「人脈をどれだけ作れるか?」
は大切だと思います。
一方で、その「信頼貯金」に対して貰ったチャンスを、
1回中、1発で成功させることは大変難しいと思います。
でも、2~3回のチャンスがあれば、
1回は結果を出せるかも知れません。
つまり、25歳の人であれば30歳までに、2~3回のチャンスがある。
でも、すごい努力をしないと、結果は出ないと思います。
だから、もし起業するならば、
「中学生までに大好きだったことをやればいい」
という話を聞いた時、
「努力と思わないくらい好きなことを見つける」
ということも、とても大切なことだと思ったことがあります。
そういう意味では、20代で、
「とにかく好きなことを見つける」
ということが、実はとても重要かも知れません。

伊藤さんにとってのこれからのチャレンジは?

信頼して付いて来てくれた社員、そして、その家族が幸せであるように、
会社を運営していきたいと思います。
そして、長らく一緒に過ごした社員がいてくれれば、
その社員は、会社を支えるサービス、
あるいは、支援してくださるユーザーさんを
大切にしていこうと考えてくれると思います。
僕の能力では、株主、ユーザー、社員の3つを大事にするということはムリです。
だから、社員と、ユーザーさんの2つだけです。
正確には、「スクウェア・エニックス」が株主というか、資本主になるのですが、
資本主を1社(100%)に絞るだけで、
月の経営会議で報告する宛先も1社だけになります。
大きな会社から何社も投資してもらうのはステキなんですが、
一か月は30日しか時間がないので、
経営会議は3回(3日)より、1回(1日)が良い。
報告先が1か所しかないので、財形レポートなどの管理コストも最小限です。
株式会社スマイルラボは、管理業務の専任社員が1人もいません。
そういったコストも削減して、
そのコストで、デザイナーを増やしたりしています。

~~~同行サポーターからの質問タイム~~~
若い時に手を抜いて、
だらだらした時期はあるんですか?

ありましたよ。
高校の時、ほとんど学校に行かなかった。
だから、不登校な人の気持ちに共感したりします。
当時、進学校に行ったのはいいのですが、
「いい点取って、いい大学に行って、いい会社に行く」
ということが理解できなくなってしまって…。
で、学校に行かなくなって、
いつも家でゲームをして遊んでました。
そして、ずっと片頭痛だった。
自分の中でリズムが取れなかったんでしょうね。
でも、絵を描くのが好きだったから、
突然、美大に行く決心をしました。
自分を一から変えなくてはダメだと思って、
美大に行っていた4年間は、取れる限りの授業を全部取りました。
イラスト、写真、版画、アニメ、映画、染物、なんでも勉強しました。
高校の3年間、大きく悩んだことが良かったかも知れません。
でも、美大は美大で、頑張っても、最後は「才能」の世界なので、
ずっと努力をしてきた人や、
才能のある人には勝てないと痛感しました。
残念ながら才能があるタイプじゃないので、とにかく努力しかない。

ご自身の中でのルールや決めていることは何かありますか?

創業以来、一日たりとも会社を休まないと思っています。
それは自分に対するルールなんですが、
元々は、だらだらする人なので、
自分にスキを与えないように注意してます。
どんなに体調が悪くて、お腹が痛くても、熱があっても、
薬を2倍飲んででも、たった30分でも、会社に行っています。
でも、実は小さい頃から病弱で、
親は20才まで生きられない…と思っていたくらいに病弱だったので、
今でも、疲れやすいし、虚弱です(笑)
だから、土日は、体力の温存をしたり、
できるだけ疲れないようにしてます。
その代わり平日は、いつも朝5時くらいまで資料を作っていたり、
週に1日は、今でも貫徹で資料を作り、タクシーに飛び乗ってプレゼン先に
急いで向かうようなパターンも多いです。

ありがとうございました。
~~~同行サポーターからの質問タイム終了~~~
最後に当時29歳のご自身に向けたメッセージを色紙におねがいできますでしょうか。

29歳の時はすごく悩むはず。
たぶん先が見えない時があると思います。
雨の中、迷って立ち止まっている時、
雨が止むのを待つのではなく、
雨が晴れたところまで歩いていけば良いと思います。
苦しい時、悲しい時、1歩も前を向いて歩けない時もあると思います。
でも、1歩ずつでも歩いていけば、そのうち、雨が止むと思います。
今は辛いけど、今考えたってどうしようもない。
そのうちどうにかなるだろう。ってね。

本日はありがとうございました!


ママチャリで日本一周している経営者
■Profile:
2007年から毎年分割でママチャリで日本一周を目指す。ほぼ一周を終えつつ、まだまだ走り続ける口実をつくるべく、寄り道企画(四国八十八ヶ所編)を2017年から開始。人に「場を与え、繋げ、拡げる」を基本軸に、法人複数社の経営と一般社団法人1団体の理事として活動中。
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