100人目 浅井崇弘さん:0903株式会社P

会社名:0903株式会社P
URL:https://0903.co.jp/
公開日:2011年12月10日


今回の旅は、0903株式会社Pの浅井崇弘さんです!自分です!

(インタビュアー:社員)なぜ100番目に自分なんですか?

楽しみにしていた人、すいません。
現在、31歳で、
自分でも29歳の頃を振り返れる年齢になりまして。。
それに100人社長インタビューを始めた当初から、
過去、99人にしてきた質問を自分にもして、
100番目は自分にしてオチをつけよう。って思っていたんです。
恥ずかしいので匿名希望にしようとしましたが、
嫁から「意味わかんない」と突っ込まれたので、
名前もちゃんと公開することになりました。
今までインタビューを受けてきた社長さんの気持ちがわかりました(笑)

(インタビュアー:社員)ではまず、読者向けに自己紹介をお願いします

ネットワーク構築やシステム開発、WEB制作をおこなったり、
IT関連の会社を経営しています。
小さな会社なので、今はまだ限定的な業界と人材にはなってしまいますが、
未経験者やフリーター、就職難民と言われる人達に
「チャレンジしてみよう!取り組んでみよう!」
と、背中を押してあげ、少しでも多くの人に
一歩を踏み出すきっかけの場を提供できるよう動いています。

(インタビュアー:社員)起業したのはいつ頃だったのでしょうか?

会社を立ち上げたのは26歳の時です。
社員を雇ったりという、本当の意味での起業は28歳頃になるかと思います。
そもそも学生の頃から社会人になりたくないという気持ちがあって、
就職するのも嫌でした。
サラリーマンという言葉の響きやイメージにも抵抗があり、
いつまでも学生でいたいという甘い考えで、
大学院に進むという選択肢も思いましたが、その道は辞めました。

(インタビュアー:社員)それはまた何故?

アホだったからです。
そもそも大学1年生が終わる時点で授業にも全然興味関心が持てず、
内容もさっぱり理解できなくて、ついていけてませんでした。
要領とコネと情報収集力には長けていたみたいで、
テストや単位取得はうまく切り抜けていたんですけど。。
もともと10代の頃から就職やサラリーマンという道は嫌で、
かといって、何か夢や目標があったわけでもなかったので、
お金が稼げそうで、将来安定して職に困らなそうな、
医学部や獣医学部を目指していたのですが、
一年間浪人しても合格できませんでした。
で、ちょうどその頃は、バイオ関連ブームだったので、
ブームに便乗してなんとか農学部のある大学に行きました。
二年間浪人するほどの気力も思い入れもなかったですし、
早く大学生になって遊びたかった。。
だから大学に入ってからは腐ってましたね。
その先の目標や夢なんてないわけですから。
無駄に日々を過ごしていました。
授業をサボっては、なぜか芝生で逆立ちの練習をしたり、、
かかとにローラーのついたシューズをブームになる前に手に入れて、
校内中をスベったりしていました。
目立ってたけど、いろんな意味でスベっていた。
大学3年時からは、
タンパク質の解析やアミノ酸等に携わる研究室に所属していましたが、
教授がとても理解のある方だったので、
こんなダメな奴も面倒をみてくれて、卒業させてくれました。
なので、大学院なんてそもそも無理でした。

(インタビュアー:社員)そんな学生がなぜ起業の道に進まれたのでしょうか。

大学三年生くらいの頃かな。
周りが就活だと騒ぎ出し始めて、みんな、説明会に出たり、
リクルートに登録しているのをみて、すごく冷めたんです。
友人や仲間、周りの大多数が、「行きたい」
とか一言も言ったこともないような業界とかを急に勉強し始めて。。
そんな就職活動している周りの友人らをみて
俺は絶対に就活なんてしない!
って、言ってましたね。
とはいえ、やっぱり将来には不安を持つし、どうしていいかわからない。
肌感覚でやりたいことや夢なんて見つかってないし、目標もない。
そんなある日、ハーレーやBMWのホームページを見ていたら、
カッコイイバイクの写真が並んでいたんです。
カッコイイ!!!乗りたい!!!
と思ったのもつかの間。
金額をみて、もの凄い無力感に襲われました。
こんな高いバイク、社会人になっても買えないんじゃないかな。。って。
ますます就職する気力が失せました。
でもカッコイイバイクに乗って旅したい。という欲求は膨らむばかりで。
じゃあ、どうすればいいんだろう。って考えた結果、
貯金が1000万円あればいい!
1000万円貯金できたら、バイク買えるよね!
という単純な結論しか思いつきませんでした。
でもこれがよかった。
具体的な目標が数字となって出てきたので、
ゴールが見えた感覚ですよね。
戦略や計画なんて全くないけど、
どうすればいいのか。何をすればいいのか。
ひたすら考えることができるようになったんです。
『俺は1000万円稼ぐ!25歳までに!』
22歳くらいの頃だったと思いますが、
思いだけで突っ走りだすきっかけにはなりました。
25歳までに。と決めたのは、
目標に期限がないとダラダラすると思ったからです。
カッコイイバイクに乗って旅をしたい
→ 1000万円稼げる男になる
→ 自由な時間も手に入れたい
→ 自分ルールで生きれる道は何だろう
→ サラリーマンや公務員ではない
→ じゃあ自分がトップである経営者となればいい。
という思考回路で、
起業、経営者になることを目指したというわけです。

(インタビュアー:社員)起業を目指すといっても、まずどういったアクションをされたんですか?

まず、経営者になるためには技術よりも先に営業力だと考え
営業を「個人営業、法人営業、テレアポ営業」の3つで分類し、
20代のうちに必ず3つの営業を経験し、ノウハウを学び、吸収し、
それぞれで結果を出すことに決めました。
就職することも受け入れることができ、
社員数千人の大手通信IT企業に進むことになり、
学生のうちから仕事をさせてもらったりと、
できる限りの時間を自分自身の実力をつけることに費やすようにしました。
学校を卒業して、大手企業に就職し、
法人のインターネット回線営業をする部署に配属されました。
けど、わずか2ヶ月で辞めました。
部長に退職理由を聞かれ、
「俺、1000万円稼ぎたいんです」
と、正直に答えたら、
「どうやって?」
と若干、キレ気味で問われたので、
「わかりません!でもやるんです!」
と答えたら、「なめんな!」という罵声とともに
机にあった文房具が投げつけられました。
本当に怖かった。

(インタビュアー:社員)退職されてからはどうされたんですか?

新卒で入った会社を啖呵をきってすぐに辞めた手前、
バイトをするということにも、自分のプライドが許せなくて、
なかなかアルバイトや転職に一歩を踏み出せませんでした。
おかげで、無収入の無職で、ヒキコモリ状態。
ちょうどその頃、学生の頃に出会った怪しい会社の社長さんに、
中国のビジネス投資の話をもちかけられ、
当時は、無職で無収入で、焦っていたこともあり、冷静な判断ができず、
借金して、100万円以上のお金を投資し、
結局、夜逃げされました。
そんな時に限って、地元から母親が遊びに上京してくるんですよね。
でも、親には
「新卒で入った会社を辞めた」
「借金までして、詐欺社長に夜逃げされた」
なんて絶対に言えないし、心配をかけたくなかったので、
朝、スーツを着て、まだ大手通信会社で働いているかのように振る舞い、
会社に出社するフリをして家を出てフラフラしていた。
俺は一体何をしているんだろう。
って、本当に情けない気持ちになった。
これからどうしていけばいいのか全くわからない。
途方にくれた日々を過ごし、家賃もろくに払えない状態で、
借金で借金を返すようなひどい状態でした。
しばらくしてから、ようやく重い腰があがり、
くだらないプライドとかも全部捨てて、
とにかく借金を返して、一回、ゼロに戻そう。
と、数ヶ月間、昼間はテレアポのバイトをし、
夜はイタリアンレストランで皿洗いをはじめました。
かなりの時間を労働していたので、
気づけば、月収は同年代の正社員の人よりも全然稼げていました。
「フリーターという状況もいいな」
なんて、現状維持を考えるようにもなっていましたが、
ある日、車線変更違反で白バイに捕まったのをきっかけに意識が大きく変わりました。
白バイ隊員に
「職業は?」と聞かれ、
「フリーターです」と答えると、
「あぁ。無職ね」と、冷たく返ってきたんです。
そのときの一言がひどく胸に突き刺さった。
そして、ようやく今の自分の状況が飲み込めたんです。
フリーターという言葉の響きになんとなく
自由なスタイルのカッコ良さを錯覚し、
危機感が薄れていましたが、
第三者、一般社会から見ると、無職。
フリーターという横文字の言葉でごまかしていただけで、
要は無職なんですよね。
正社員よりもバイト代が稼げるからといって、
未来の自分の為には、今の状況はよくない!
自分の経歴、歴史を軌道修正しなきゃいけない!
そう思うようになれた。
だけど、何をすればいいのかわからなかったので、
神にもすがる思いで、神社に行き、
なけなしの5000円を払って御祓いをしてもらった。
するとね、数日後、御祓いの効果かわかりませんが、
学生の時にバイト先で出会った女性から
転機となる電話がかかってきたんです。
「何してるの?起業とか目指してたよね?」
「知り合いでこれから会社を立ち上げる人がいるんだけど」
「営業としてやらない?浅井くんなら興味あると思って。」
という誘いの電話。
最初なので給料はほとんど出ないという条件でしたが、
失うものはもはや何もなかったですし、
そんなことよりも、社長の右腕という立場でベンチャー企業の立ち上げ時から
仕事を一緒にさせてもらえるという状況に、
「絶対にこれはチャンスに変えれる!」
と感じ、バイトを辞めてこの誘いを引き受けることにしました。
このときに自分の中で約束したことが2つあるんです。
・どんなことがあっても必ず3年は続ける
・このベンチャー企業を必ず成長させる
前職での失敗や反省もあったので、
途中で何があっても辞めたり投げ出したりしないことを誓いました。

一からのベンチャーだったので、
やったらやった分だけ結果が返ってくるのが肌身で感じれる環境でした。
自分から「あれやりましょう!これやりましょう!」と、
動いても、誰も文句を言わず、
むしろ歓迎されてどんどんチャレンジさせてもらえる。
自分のスタイルに合った居場所をみつけた喜びもあり、
また、頑張れる場所を与えてもらった恩返しじゃないですけど、
「俺が会社を成長させる!」
というワクワクな気持ちと野心で、
色々な事に取り組ませてもらいました。
知らない、わからない。という状況の中、
自分で考えて動かなきゃいけないので、大変でしたし、失敗も沢山しました。
社長のムチャブリも数多くあり、ストレスは半端なかったですけど、
おかげで、かなり鍛えられ、成長させてもらいました。
あの苦労は、今に思えば、本当に感謝です。
4年程で社員も150人近くまで膨れ上がり、
入社当初の誓いどおり、
3年以上勤め、結果を出すことができました。
ただ、会社が大きくなるにつれて、自分の意識や心構えが、
いい風に変わればよかったのですが、
どん底だった状況からの激しい変化だったので、
その環境やポジションに甘んじるようになっていっちゃったんですよね。
さらには、副業でも調子に乗っていて
人を雇って個人的に表参道にワインバーをつくったりしちゃって。。
当時は何でもやってみたいという、
今以上に好奇心旺盛でしたし、
直感が冴えていたというか、何をやっても上手くいっていたし、自信もあった。
なんの恐れも無く、入ってきたお金で、株とかにも手を出したら、
素人の直感のくせに、売り買いがことごとく大当たり。
あっという間に大きなお金を手に入れるようになりました。
楽にお金を稼ぐ方法を覚え、楽な道に進みだしちゃったんです。
『地道にコツコツと』
という感覚に戻れなくなっていた。
毎日、株価と貯金残高のお金ばかりを見ていて、
生き甲斐とかキラキラしたものは何もなかった。
完全に腐ってましたね。
でもね。当時、調子にはのってましたが、
「絶対にこのぬるい状況のしっぺ返しはやってくる」
「楽をもとめて楽が出来るほど、世の中あまくない」
って、お金が入れば入るほど、恐怖も感じていた。
その頃には社長と会社のビジョンや方向性、価値観が合わなくなっており、
組織というより個人プレーの集まりという雰囲気で、
とても良くない状況だった。
あの頃の自分が良くない状況をつくり出していたんだと思います。
社長の一番の味方でなければいけない自分が、会社や社長に対して、
否定的でマイナス面ばかりを粗探ししているような時間が増えてきていたんです。
ネガティブはネガティブを伝染させてしまうし、
このままではいけない。
というのは、社長も自分もわかっていたので、
社長と相談の上、社員数名を引き連れて
完全独立という形で2008年末に会社を卒業しました。
会社を卒業してから、社員を雇い、動いてはいましたが、
リーマンショックの影響で、数ヵ月後には仕事がどんどん打ち切られ、
表参道に立ち上げたワインバーも運営悪化で潰すことになり、
大きな損失、借金が残った。
持っていた株もジェットコースターのように下がり、大損。
やっぱりきたんです。しっぺ返し。
来るべくして来た危機。
という感じだったので、
自然と受け入れる事はできました。
気持ちを切り替え、仕事を頑張ろうと思いましたが、
営業先に行ってもリーマンショックや
景気に対する愚痴や不満ばかりだったので、
「しばらく営業活動やーめた!」
と、吹っ切れて、新規の営業活動をやめることにしました。
20代前半はお金を目標に突っ走ってきて、
色んな人と出会い、騙されたりもしましたが、
がむしゃらに動く中で、チャンスを引き寄せ、
活躍させてもらえる場も与えてもらった。
結果として、お金を稼げる実力や知識はついて、順調にきた。
ただ、ものごとが上手く行き過ぎた状況に甘んじて、
ぬるま湯にもどっぷり浸かってしまった。
面白い経験や世界、
見たこともないお金、貯金残高も見れたし、
ある意味バブルな20代中盤でしたね。
そして、ぬるま湯に浸かったしっぺ返しが、28歳、29歳で襲ってきて、
お金はもちろん、色々なものや人、仲間、目標を見失い、
大いに反省することになりました。
なので、二度と経験したくない、してはいけない、過ちやぬるま湯、
過去の行動や生き方を反省をし、これからの30代へと活かすべく、
29歳という年齢の1年間は、
締めくくりの「学びと行動、整理の年」にする事にしたんです。
学ぶといっても、本を読んだり、資格の勉強をするわけではなく、
経営者として、人として、今の自分に足りない知識や経験、軸、
生き方を、直接、先輩経営者やリーダーから聞き出し、
文章をまとめて、整理していくことにしました。
それが、ブログで公開している100人社長インタビューです。
多くの先輩経営者、リーダーの『29歳』という年齢の時の想い、行動、目標を
インタビューという形でヒアリングし、まとめていくことで、
自分自身の生き方とか、仕事観の軸が固まっていくんじゃないかな。
って思ったんですよね。
何の確信もなかったけど。
ただ、地道にコツコツと動くことを30歳以降も忘れないようにしたかった。

(インタビュアー:社員)インタビューを通して、何か変化はありましたか?

大きな変化といえば、筆跡が変わったことかな。
手紙も沢山書くようになったこともありますが、
多分、自分に自信がついてきたんだと思います。
言葉や行動にも。

(インタビュアー:社員)20代のうちにやっておいた方がいい事など、
何かアドバイスはありますか?

がむしゃら感かな?
言い方を変えれば、「アホになれるかどうか。」ってことが大切な気がします。
自分も、もっともっと、がむしゃらに、アホになれたと思う。
騒ぐとか、人に迷惑をかけるとか、そういうアホじゃないですよ。
がむしゃらな。って意味でのアホ。
今回の社長インタビューで99人の経営者、リーダーとお会いしてきたことで、
世の中にはもっともっとアホレベルの高い人、がむしゃらな人がいるんだ。
って痛感させられた。
死なない程度の失敗や挫折は恐れないで、
20代は、がむしゃら感を持つことが大切なんだな。
ってなんとなくわかった気がしますが、
自分、もう31歳なので、手遅れですね。
20代の人には、やっとけ!動いとけ!ってお伝えしたいです。
他にアドバイスするとしたら、
むやみやたらに動くのではなく、創意工夫やオリジナリティも入れて、
「がむしゃらに考えること、工夫すること」
も忘れないようにしなきゃいけないのかな、って思います。

(インタビュアー:社員)がむしゃらになるものや目標が見つからない人もいると思いますが?

自分は昔からそうなんですけど、
なんとなく語呂やキリのいい数字と期限を勝手に決めちゃいます。
たとえば、適当ですが、
25歳までに携帯メモリー1000件にする。とか、
30歳までに貯金を1億円にする。とか、
25歳までに1000人の社長さんと名刺交換をする。とか、
2012年の12月12日までに2012人の自分ファンクラブ会員を作る。とか
そんなもんでいいんだと思います。
できるかできないかじゃなく、
自分で立てたフラッグに向かって走ってみるかみないか。だと思うので。
夢とか志だとか、使命だとか、らしい言葉を無理に使わなくてもいいから。

(インタビュアー:社員)今後の夢や目標を教えてもらってもいいですか?

軸となる目標は、
創業105周年となる2112年の9月3日まで、まずは会社を継続し続けること。
この日は、某未来のネコ型ロボットのお誕生日なんです。
つまり、これも自分の中ではキリのいい、意味のある期限なんですよね。
この日、某ネコ型ロボットが生まれてきた時に、
「素敵な社会だね、世界だね」
って言ってもらえるような未来を繋いでいきたいと思っているんです。
その為でならば、やったらよさそうな事はどんどん取り入れ、チャレンジし、
より多く。より良い。価値感動を提供できるようになっていきたいと考えています。
とはいえ、何でもかんでも取り組んでいたら、散漫になってしまうので、
現在は、蓄積してきたノウハウや企業間の連携を活かして、
就職難民と言われるような、
きっかけや一歩を踏み出すことができないでいる人に、
場を与えていくことに力を入れて取り組んでいます。
もちろん、就職難民と言われるような人に限らずですが、
まず100人を正規雇用することを目標とし、
仕事の場、一歩を踏み出す場を与えていく。
これを近い目標として掲げています。
現在は得意とするIT分野を中心に動いていますが、
今後は様々な業種と協力、連携して、
多くの一歩を踏み出せないでいるような人に、
経験が積める場を提供していきたいと考えています。
未経験者がいつまでたっても未経験というレールから抜け出せない
このような状態の人は本当に多いと思います。
少しでもそういう人の背中を押してあげることができる
フォロー体制や企業間での連携、協力体制、組織を作り上げ、
多くの人が未来に希望を持てるようにしていきたい。
希望が持てる事を、「地味に地道にコツコツと」取り組むことができたら、
きっと素敵な創業105周年のお誕生日会ができるんじゃないかな。って思ってます。
それに、自分も過去、フリーターで将来に不安を感じているときに、
人と出会い、未経験でもチャレンジさせてもらえる会社と出会えた事で、
成長する意欲や野心を改めて持てたし、
世界が広がり、何より自信がついたんですよね。
自信ってすごく大切で、
これが無いとなかなか次にすすめないのはよくわかったので。