104人目 広瀬新朗さん:株式会社ゲートウェイ
会社名:株式会社ゲートウェイ
URL:http://gateway-inc.co.jp/
公開日:2012年12月26日
104人目の「社長の29歳を振り返る旅」は、
株式会社ゲートウェイの広瀬新朗さんです!
まずは自己紹介をお願いします。
シェアオフィスを専門に事業を行っています。
2012年5月1日に株式会社ゲートウェイとして独立起業したばかりで、
虎ノ門の「フォレスタ虎ノ門」という第一号拠点から始まり、
青山の「NAGAYA AOYAMA」を第二号拠点として活動を広げています。
シェアオフィス事業を行う前までは
どのようなことをされていたのでしょうか。
元々は不動産関係の会社勤めをしていましたが、
ここ数年は企画や設計をやる会社にいました。
建築はできないんですけれども、
私は、どちらかというと運営管理や企画とかですね。
どういった不動産をつくるか、どういう風に活用していくか。
という、コンサルティング的な仕事が多かったです。
シェアオフィスに特化した事業形態でやろうと思ったきっかけは?
サラリーマンの特権かもしれないですけど、
5年前に会社の中で新規事業としてやらせてもらったのがきっかけです。
当時はまだ世の中にあまり無かった頃だったんですけど、
確実にニーズが増えるという予感はしていました。
ただ、最初からそんなに儲ける仕事としてやったわけではなかったんです。
起業する人、独立する人、若い経営者の支援をする。
という要素が強く、社会貢献的な部分も含まれていました。
最初のシェアオフィスで、
仕事柄も年代も出身地もバラバラだけど、
数多くの方達と知り合いになることができ、
「ずっとこの仕事を続けていくことができればいいな」
と思うようになったんです。
この仕事を通して人に喜んでもらい、収入を得ることができて、
長く続けられることができるのであれば、
これが世の中でいうライフワークなのかな?
と感じ、現在に至っています。
もともと起業の意識を持ってはいたのでしょうか?
それはありました。
私はサラリーマンとしては当てはまらない。
会社勤めのタイプじゃない。と感じており、
自分の会社を持って、100パーセントの責任と夢を持って事業をする!
という、理想、夢はずっと持っていました。
独立するきっかけとして、もう一つ付け加えるとしたら、
自分で定年を外さなければいけない。
と思っていたことも大きな要因です。
自分が元気であるうちは、可能な限り仕事に取り組み、やっていけるので、
自分の居場所をしっかりと創っていかなくてはいけない。
という意識はすごく強かったですね。
実際に独立起業をされてみて、
大変だな。と感じることはありますか?
すべて大変ですし、苦しいですね。
ただ、その何倍も楽しいことがあります。
時間にしても、使っている体力にしても、
サラリーマンのときよりもすごく働いているのに楽しいんですよね。
では、今回のインタビューのテーマでもある「29歳」
その当時はどのような一年でしたでしょうか?
29歳のときは日本ではなく香港にいました。
28歳のときに当時勤めていた不動産会社の海外拠点である香港に行ったんです。
「20代のうちにどんどん世界を広げてやろう」
「自分の活動の世界を広げていきたい」
という思いが20代の頃からあったので、完全に勢いですね。
勢いで行って、香港に6年。
そのあと3年は台湾に行って、もう一度香港に戻って3年。
合わせて12年間、海外にいました。
12年ですか。
とんでもなく世界が広がったんじゃないですか?
そうですね。
さらには28歳のときに結婚の約束をして、香港に連れて行って、
29歳で子供が産まれたんですよね。
29歳で子供が産まれて、
香港で仕事もしていて、
怒涛の20代最後の一年だったんですね。
ただ、よく奥さんは香港に一緒に行こうと思われましたよね。
当時は、海外志向が多かったですからね。
最近はテレビのインタビューなどで
「海外赴任を命じられたらどうしますか?」
と聞かれた若者が、
「会社を辞めます」
という人が多いみたいで、その答えが不思議で仕方がないです。
自分の子供を見ていたから、
世の中が変わったのはわかっていたし、
なりたい職業もどんどん変わっているのもわかってはいたのですが、
海外がそんなに敬遠されているとは思っていなくて、
ずいぶん昔と比べて意識が変わったんだなと。感じています。
12年間も日本を離れて、海外で仕事をすることに対して、
不安や悩みはなかったのでしょうか?
悩まなかったかな。
そのとき悩んでいたら、
もうちょっと着実な人生を歩んでいたかもしれない。
日本はいわゆるバブルが崩壊した頃で、
どんどんおかしくなっていたのですが、
香港はちょうど返還ブームに始まった年で、
破竹の勢いで経済発展をしていたんです。
悩んだりする暇も無く、イケイケでしたね。
ちょっと殺伐とした部分もありながらですが、
香港の街自体は、みんながガツガツでイケイケ。
そんな環境にいたので、自分自身もそうなっちゃいますよね。
そんなときに結婚して子供を授かって、
人生の中のハッピーな出来事が重なって起きた年だったので、
自分の中ではあまり悩めるものは無かったですね。
気づいたらあっという間に30歳になっていました。
もともと早く歳を取りたいと思っていたんですけどね。
それはまた何故?
青二才と思われたくなくて。
日本はバブルが崩壊して、海外にお金が流れ始めたとき。
投資家の方達を相手にすることも多かったのですが、
みなさん、海千山千の人達ばかりで、
20代そこそこのペーペーでは、話もできないわけです。
その人たちの信頼を得て、
大きな取引を決断してもらう仕事をやっていかなくてはいけなかったので、
早く歳を取りたい!と思っていましたね。
なので、当時の写真を見ると、老けてますよ。
29歳から30歳になる誕生日。
何か思い出はありますか?
感慨深い思いはありましたね。
20代はまだ学校に行っていたり、
社会に出たばかりで教えられる立場。
でも30歳になるとさすがに立場的にも変わる。
もっと上のポジションを目指そう。もっと稼ごう。
と思ってはいましたね。
シェアオフィスやコミュニティビジネスをされていると、
一歩を踏み出す人達。
新しい世界にどんどんチャレンジする人達。
との交流が多いのかな。と思うのですが、
そういった方達と、先ほどもおっしゃられていた、
海外赴任するくらいなら会社を辞める人達。
なかなか一歩を踏み出せないでいる人達。
との違いで、何か感じることがありますか?
今の20代の人って、すごく真面目で、着実で
表現するとしたら、椅子取りゲームができない世代。
最後に席が残ったときに「あっ、どうぞ」と言っちゃう。
とにかく優しいんですよ。
昭和の僕らおっさんの時代は、
人を押しのけてでも「ガハハ」と笑っていた世代。
つまり今の若い子たちって、総じて優しいんですよ。
ゆとり教育の弊害だとかってよく言われているけど、
それだけじゃないと思うんです。
今の親御さんの世代って、終身雇用が崩壊し、リストラにあったり、
さらには、あまりにも長期間、経済が立ち直らない社会環境自体が
「冒険する牙」
を抜いてしまったのではないかな。って思うんです。
海外に出ることにためらっているわけでもなく、
関心が無いわけではなくて、
その選択肢の優先順位が低いだけなんだと思うんです。
実感が湧かないんだと思うんですね。
あまりにも優先順位が低くて、遠すぎるから。
そして、企業も人事採用、新人採用で失敗しないようにしているので、
日本全体、みんなが、
失敗しないように。
という意識になっているのだと思うんです。
人事の判断で、ちょっとおもしろい奴を採用して
会社が掻き回されることでも起きようなら、
「おまえはどういう目を持って採用したんだ!」
となるわけです。
すると当然、人事担当の方は降格になりたくないだろうし、
変なレッテルを貼られたくないでしょうから、
次第に安全な採用しかしなくなるわけです。
そんな暗黙の空気が、
若者のいろんな牙を抜いてしまっているのかなと感じます。
だからこそ20代のうちに、国内でも海外でも、
どんどん外に飛び出してみることがいいと思います。
浅井さんがやっていらっしゃることもそうだけど、
なかなか一歩を踏み出せないでいる人は、
「自分の非日常的な所での経験」
を増やすことが大事じゃないかなと思いますね。
たとえば、赤道直下の国に行って、どれだけ暑いのか。
ということを肌で感じてくるとか。
南極に行って、
「こんなに寒いんだ。でも温暖化で氷が溶けちゃっているんだ」
というのを肌で感じで、見てくるとか。
日本の全都道府県を行ってみるとかでもいいし、
アジア圏を全部行ってみるとかでもいい。
体験が全てじゃないかな。
~~~同行サポーターからの質問タイム~~~
海外や非日常の経験を増やした方がいいということですが、
実際に広瀬さんは20代で海外に出てみていかがでしたか?
楽しかったですか?
やっぱり、海外に飛び出してみてよかったと思っていますよ。
若い頃の時間は取り戻せない。
今から海外に出られるかというと、どんどん難しくなりますからね。
無鉄砲さが許せてもらえる、ギリギリの時期だったのかな。
という気持ちはすごくありますし、
飛び出してみて本当によかったと感じています。
実は浅井さんにインタビューのお話をいただいてから、
今までを振り返ってみたのですが、
私って「9」のつく歳に節目があるって気がついたんです。
京都の実家を飛び出して東京にきたのが19歳。
海外に出て子供を授かったのが29歳。
日本に帰ってきたのが12年目の年で39歳。
で、今49歳で、独立起業。
なぜか9のつく歳に転機が訪れているので、
次、59歳のときは何をしているんだろう。
どんな転機が来るんだろう。
って、楽しみですね。
10年後の59歳の転機には、
海外でシェアオフィスを展開されているかもしれないですね。
実は海外でのシェアオフィスは、
来年からやろうと思っています。
もちろん今の事業が安定したら。という前提の話ですけど。
シェアオフィスをやっていく中で、
多くの人が海外に目を向けていることが実感できたんです。
ただ、人も企業も、
一歩踏み出すまではすごく腰が重い。
自分もそうだったけど、一歩踏み出すまで、
「どうしよう、あーしよう」
と頭の中で考えるんです。
でも、一歩を踏み出してしまえば、
度胸も据わってきて、
よほどコミュニケーションを取れない人でない限りは、
大体そこで世界がどんどん広がっていくんです。
そうすると海外に出た個人や企業は、
不思議と次から次へと様々な国に行けちゃうんです。
「グローバルであるということ」
それは、
「自分の中の地図が小さくなっていくこと」
だと思っているので、
世界中で不便さを感じること無く行動していけるよう、
企業や個人の地図を小さくしていくお手伝いができればいいな。
と、思っています。
地図が小さくなる。というのはわかりやすいですね
浅井さんも日本中をママチャリで走っていると、
日本って小さくなったでしょう?
(浅井)そうですね。
随分と小さく感じるようになりましたね。
グローバル化も同じこと。
全然、尺度が違うじゃないですかと思うかもしれないけど。
(同行サポーター二人目)
私はなかなか踏み出せずにいるタイプなんです。
そうやって飛び出していけるのことにすごく憧れます。
そうやって好きなことを実現させて、
ご自身の人生を築いていらっしゃるお父様を見られて、
お子様が同じようなことをしたい!というお話はないんですか?
うちの娘は今、大学生なんですが、
「保母さんになりたい」
と高校のときから言っていましたね。私は、
「広がりのある勉強や見識を広げるようなことをした方がいい」
と、言って、短大ではなく、四大に行かせたんです。
経済的にはしんどかったですけどね。
仕事っていろいろあるじゃないですか。
新しいものもつくられていくし、
もしかしたら自分でつくるかもしれない。
その根を育てること。
それは親として、してあげられるかなと思ったんですね。
当然、本人が解決していかなくてはいけないことの方が沢山あると思うけど、
でもチャンスは与えてあげなくてはいけない。
と思っています。
素敵だと思います!ただチャンスが
多すぎてわからなくなることもありますよね。
そうですね。
ちょうど先日、娘との会話で、
「保母さんになろうと思っていたんだけど、ちょっと迷っているんだ」
「私もしかしたら幼稚園の先生のほうがいいのかもしれない」
「でも、幼稚園の先生もいいのかどうかもわからない」
「パパ。世の中の仕事がまとまった本ある?」
って。。
「それはない。でも、それほしいね!」
って、話になりましたけどね。
結局は、自分で触れていくしかないんです。
そこで働いている人の話を彼女自身が聞くのが一番いいですからね。
ありがとうございます!
私から質問していいですか?
いつまで仕事をしていたいと思っていますか?
私は社会に出たばかりなので、
辞めるという意識はなくて、
理想でいえば家庭を持った後も働いていたいと思っています。
何らか社会には関わっていたいと思っています。
それはいずれ自分で起業したいと?
それはまだ考えていないです。
でも、周りのそういった話を聞くと、すごいなって思います。
そのような人に付いていきたいという気持ちはあります。
なるほど。
野心というかちゃんと芽がありますね。
これからは、ますます女性が仕事を行う時代になっていくと思います。
昔は子供が沢山いる時代で、
家を守るのが母親。
外で稼ぐのが父親。
みたいな社会構造で安定化していました。
でも今は子供が少なく、少子化になっていて、
女性がまた時間を取り戻している時代だと思うんです。
シェアオフィスをやっていて思うのが
女性はコミュニティをつくるのが本当にうまいんです!
さっき、彼女が言ったように
「私は自分が中心になって旗を振れないかもしれない。
でもその手伝いはすごくしたい」
という人が役割分担でいてくれるからうまくいく。
コミュニティやコミュニケーション能力は
断然女性のほうがあるというのが私の持論です。
この「NAGAYA AOYAMA」という場所においても
地元の主婦層、お母さんたちに向けた仕組みをつくり、
「実は私、こういうことをやりかったんです!」
という人たちを掘り起こしていきたいとも思っているんです。
シェアオフィスというコミュニティで、
場所の提供はもちろんですが、一緒にやろう!
と言ってくれる人を見つける場にもなれたらいいなと思いますね。
~~~同行サポーターからの質問タイム終了~~~
では最後に29歳当時のご自分に向けた言葉を
色紙にお願いできますでしょうか。
今日はどうもありがとうございました!